長渕さんの良いところを述べるより、
彼のファンについて解説するほうが分かりやすいかかと思います。
一般的に田舎者で教育は低く、保守的で集団に属することで安堵をえるタイプです。
わかり安く言えばヤンキーですね(笑)
これを好意的に解釈すれば、頭はあまり良くないものの、幼なじみ、そして家族、家業を人生の中心に据え、
難しいことが理解できないから、勧善懲悪的モラルにはめっぽう弱い。
また村社会で純粋培養された感性は自分を開拓し新しい境地を知るというリベラルな姿勢ものとは対局に位置し、
わかりやすいもの、みんなとともに楽しめるものとか、泣けるもの、笑えるもの、とある意味幼稚とも取れる世界観が「分かるし、正しい」と信じている。
というわけで長渕さんの歌詞、曲、ルックス、知性。
上記のファンの好みど真ん中なんですよ。
もちろんこういう方々の人を見る目は確かなので、なんちゃってヤンキーは通用しません。
ということで長渕さんも同類ど真ん中なんです、立派としか形容できません。
お礼
ありがとうございます。あの歌い方も内容も、屁ぇぐらいにしか思えませんので、彼には屈折したヘタレ恋愛フォークに、本来の自分に返ってもらいたいものです。
補足
#1お礼から引用ですが、貼り付け場所を間違えました。正しくはこの場所です。 有名なところで言いますと、清原・人志松本あたりが大変に長渕に敬意を表しているように思えますが、まず清原、あだ名こそ番長ですが子供の頃から野球ばっかりしているヘタレのキンカン坊主でとてもではないですが、ヤンキーと呼べるたぐいの者とは思えません。松本などもああやって威張ってはおりますが、若い頃の風体から推測するに、やはりパシリ程度の不良であった事と思われます。やはり長渕ファンはあなたが言うところの、なんちゃってヤンキーなのではないでしょうか。当の長渕ですが、80年代初頭まではアイドル路線のロン毛の腰抜けフォークシンガーでありました。作る曲も、めめしく、変質的であったのですが、たぶんチェッカーズあたりの出現で自分のアイドル的オーラのなさに気づき、真似して不良路線に方向転換したのではないでしょうか。80年代初頭までは、不良の事をヤンキーと呼ぶ習慣は日本にはなく、そのたぐいの人たちは、ツッパリと自称・他称しておりました。おもに暴走族といった形で、そのワルぶりを競い合っていたようです。当時の不良たちのファッションを見ても分かるとおり、髪型はリーゼントが定番で長渕的要素は当時の不良たちには見受けられません。吉川晃司の人気にも火がつき、やけくそになった長渕は、とつぜん髪型を矢沢永吉っぽくする事によって、なんとか不良の仲間入りを果たしたものと思われます。高校生デビューという言葉がありますが、彼の場合30歳デビューという、お粗末な不良振りでありました。そのようなヘタレシンガーですので、当然作る曲もフォークなのやら演歌なのやらどっちつかずで、子供でも作れるようなクオリティーの低さでした。歌い方もこの頃から大人気だった桑田ケイスケのモノマネをする事を思いつき、以降はその歌い方を初めっからやっていたかのように、自分の地声だと言い張ってゆずりません。以上の事を持ちまして、長渕剛は今日から長渕弱し、と改名していただきたく思うところであります