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雅号の由来

書道において、先代の師に 常寿  と。命名されました。でもなぜその名前なのか由来がわかりません。先代の師は亡くなられたので、聞くこともできず。漢詩からとは思うけど。ご存知であれば教えてください

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  • yanhua
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回答No.2

雅号は流派や団体、師匠の慣例と好みで決めますから、その意味や思いはいまや関係者による推測しかありません。流派として雅号の系譜があってそこから採用しているのか、師匠の弟子の雅号には何らかの統一性を持たせているのか、使用する文字に慣例があって選んだのか などは確認なさいましたか。ご承知のとおり、一般的には決まりはありませんから、漢字二字に拘束されませんし、一人で複数の雅号を使い分けもします。 No1.氏の提言のように、“常寿”の各文字の意味から推定するのも一法といえます。なお、普通の中国語としては常寿は人名(古代にも現代も)であったり、常寿家常菜(健康家庭料理)など、単純に長寿・長生きを願った用法と思われます。 さて、ここから先はちょいと手間をかけてサービスです。 ■復習です、 “常”:いつも.恒久的である→常緑樹(ときわ木). “寿”:年齢.長寿、祝福する(ことほぐ). ■“常寿”の出典ないし師匠の思いは今や分りませんから、所詮は後付で解釈することになります、ご自分で納得できる解釈を探っていらっしゃるのでしたら、以下はいかがでしょうか。出典も確かで慶事の言葉です。あくまでも材料の一つです。 なお、典故を理解しないと判断もむつかしいでしょうから資料を和訳しておきますが、推敲未了ですのでご了承ください。 ・中国では、幸せを願う場合や年長者への祝辞で、 「福如東海常流水、寿比南山不老松」といいます。   [福は東海にたえず流れる水の如く、命は南山の不老の松の如し] ・出典は以下の成語、簡便に言うときはこちらを使います。 「福如東海,寿比南山」= 福は東海の如く、寿は南山に比すべし。  [人の福気は東海のように広大で、命は南山のように永い] ついでに:東海は以下の故事の解釈では特定の地域になぞらえていますが、古代中国では大きな水域や陸地、遠隔地はすべて海と称しました。“東海”は大陸東方(台湾辺りから北の海域とも)を指しました。中国大陸は西部が高地のため全ての水は東海に流入すると考えられ実際にもほぼ正しい。古代中国人にとって海は遠く生活とは無縁、ある種の憧れをもった存在だったようです。現在も内陸部の大多数の人々にとって“東海”は知識としての域を出ません。ちなみに東海=東瀛、東瀛に浮かぶ島国“東瀛”は日本のこと。 【由来】:「福如東海,寿比南山」  http://hanyu.iciba.com/wiki/607246.shtml  中国語ですので簡単に解釈しておきます。 【出典】:2つあり 1. 明·柯丹丘《荊釵記·慶誕》:“斉祝賛,願福如東海,寿比南山。” 2. 明 洪楩《清平山堂話本 花灯轎蓮女成仏記》:“寿比南山,福如東海,佳期。従今後,児孫昌盛,個個赴丹墀。” 【成語の典故】: 「福如东海,寿比南山」は伝説に由来する。昔1年以上雨が降らず旱魃に苦しむ人々(現海南島三亜市とされる)は毎日地に伏して雨を祈ったところ、恵みの雨が降った。 ある働き者の若者阿富が毎日海へ出かけ魚を捕り村人に与えた。彼が奇妙なことを言うのには、この1年あの海辺では魚が捕れず、東海へ行って魚や海老を捕っていた。ある日、阿富が東海で一匹の大きな魚を捕って村へ帰り切り身にして村人に配り、自分にもいくらか残しておいた。 その魚を火にかけようとした時乞食の老女がやって来た、一見すると髪は真っ白で襤褸を纏っている。阿富は魚を彼女にも分け与えた。彼女は食べ終えるとたちまち元気になり、地に叩頭して阿富のもてなしに礼を言う。阿富は慌てて彼女を助け起こし気づくのだが、目の前の彼女は決して老いてはおらず天の仙女のようだった。その女性が頷きつついうには「私の名は阿美といい東海龍王の第三女です。いま人々が旱魃で騒いでいるので教えましょう、善良な人々は東海に行き海水を三口飲みなさい、戻ってすぐに穴を掘れば水が出ます、作物は豊作で商いは儲かります、つまり思いが全てかなうのです」。 阿富は村人を連れて東海に出かけ、皆が手で海水を三口飲んだ。彼らは村に帰ると、田地に澄んだ淡水が湧くのを発見した、香りも味わいも良い水を。やがて一筋の流れとなり勢いずく。このようにして村人たちは救われる。阿富と阿美も結婚しました。以降、鹿回頭村の人たちは、困ったことがあると、三口の海水を飲みに東海へ行くのです、願い事はきっとかなうのだと。善良な鹿回頭村の人々は、この秘密を東海に来る人たちに教えたので、外来者たちも良い思いをしました。鹿回頭村の人々が言うには、幸福は東海がくれたものだと。依って、「福如东海」の句と話しが今に伝わるのです。 「寿比南山」は海南島瓊州の伝説。瓊州には今も歴史的名城があり“瓊台福地”の美称がある。 ある年のこと瓊州の天は昏く地は闇となり、閃光雷鳴轟き、豪雨が七日七夜続く。八日目に轟音が響き、天は裂け地は響き、瓊州は大陸を離れ一つの島となった。瓊州島の生けるものはあるものは死しあるものは傷ついた。全ての流れは変わり、山々は姿を変え、さらにいくつかの流れや山脈は消え失せた。おかしなことに、南山(現三亜市鰲山、南山とも)だけは何事もなく、そこの住人には一人の死傷者もなかった。この度の天変地異を経験した南山の人たちは皆数百歳まで生き、その後仙人になったと伝えられる。 西暦748年鑑真師徒35人が揚州を出航した第五次渡海で台風に遭い漂流万里の後振州(現三亜市)寧遠河口に漂着したが、皆すでに気力を喪失していた。南山の人々は彼らを発見し、救命に起ちあがる。彼らは南山の地を見るや目を見開いて起き上がり、元気を回復した。振州に住み一年ほど経って大雲寺を建て仏教文化を広めた。話しの伝わるのは早いもので、人々は南山を仙山と呼ぶようになる。由来南山を訪ねたり住む人が時とともに増える。伝わるところでは、病人は病が消え、健康になり、皆々長寿を得た。このことにより、人の長寿を願うときは「寿比南山」と言う。      -典故以上- *「幸せの非常に大きいこと」の意味で、簡略に「寿山福海」とも言います。 ■漢詩詞から選んだ可能性もありますが、可能性はいかがなものでしょうか。そうであるとして、漢詩詞からとる場合、詩詞中の離れた文字を拾う場合と語としてつながったものを採る場合があります。名言名句や成語からの場合も同様です。 漢詩詞の例を挙げておきますが、漢詩はお分かりになりますか。各詩詞中の常と寿が赤表示されていますが、13頁もあって多すぎるしおそらくここからは見当のつけようがありません。  http://hanyu.iciba.com/index.php?module=shige&act=search&type=all&keyword=%E5%B8%B8%E5%AF%BF&pageno=1

happymama0513
質問者

お礼

くわしく教えてくださってありがとうございます。所属する書道会の会報に、私の雅号について書かなくてはいけないのですが、どういう意味でつけられたのかわからず。字の意味で考えたのですが。ご返事の中より推敲してみようと思います。有難うございました。感謝|

その他の回答 (1)

回答No.1

漢詩のことは詳しくは分かりませんのでその由来を調べるの方法は努力されるといいでしょう。 師の関連する生徒さんなど他の皆さんの雅号を見比べて関連を掴む方法もあるかと思います。 そして、その常と寿(寿は略字なので古書体)についてそれぞれ字の解釈をされるとなぜこの字を付けて下さったのかお気持ちを察すっるといいと思います。

happymama0513
質問者

お礼

ありがとうございます。また考えます。

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