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自分作の歌詞どうですか?いろいろな意見待ってます。
(1)3月桜が花開く時 互いに涙する卒業生 別れを寂しく感じる日 けれど悲しいだけでない 社会への扉を開け 風を感じる始まりの日 もうすでに出来ている 生きるという道 しかし周りはただの真っ白い町歩みながら色を塗ろう (2)一日一日を重ねてゆく 一つ一つが色付いてゆく 赤や黄色が光りだす 色付きは感じない 歩いているから でもイルミネーションが道を 照らし出してるのがわかる もうすでに出来ている 生きるという道 しかし周りはただの真っ白い街歩みながら色を塗ろう 明るい色で埋めようよ でも暗い色も必要さ 人生山あり谷ありだから もうすでに出来ている 生きるという道 しかし周りはただの真っ白い街歩みながら色を塗ろう 高一の時書きました。アドバイスよろしくお願いします。できれば曲名も意見待ってます。
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長いので、二回に分けて回答します。 「生きるという道」 は異存ありませんが、「卒業生」&「道」と言えば、「生きる道」に決まっているような気が致します。ここは「道」でよいでしょう。 「しかし周りはただの真っ白い町歩みながら色を塗ろう」 これも小説のような文章で、詞的とは言えません。 「しかし」は、硬いとおもいますので、「でも」が良いでしょう。 「しかし」って日常はあまり使わないのではないですか、普通の口語体は「でも」でしょう。 「周りは」というのも、道があって町並みという情景であれば、町並みは道の周りにあるのに決まっていますので不要です。「道はあるが、しかし、町並みは白い」のであれば、わざわざ「しかし」とか「でも」を使う必要もないでしょう。 「ただの真っ白い・・」 これも重複でくどいです。 「ただ白い」または、単に「真っ白い」のどちらかを選ぶべきです。 「歩みながら色を塗ろう」は、「歩きながら・・」が口語的で良いでしょう。 しかし、その情景なら、「色付けしながら歩いていこう」のほうが良いと思います。 「歩きながら、色を塗る」というのは不可能だからです。歩くのが目的で、足を止めない範囲で簡単に色を付けているような感じになります。 「色付けしながら歩いていこう」なら、「色付けしている間は、歩をとめる」「色はキチンと塗る。塗ってから歩く」という感じになります。 私が、あなたの言おうとすることを歌詞にすると以下のようになります。 あなたの言おうとすることを含みながら、リズムもよくすっきりとなりました。 (元音楽系出版社勤務、コンテスト審査員) 「白い街」 まだ寒い日、涙見せ合う卒業生 けれど悲しいだけでなく、明るい風を感じる日 出来ている道、白い街 色付けしながら歩いて行こう
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- TAC-TAB
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作詞は、自由なので、他人がどうこう言うものでもなく、その言に従う必要もないのですが、わたくし的に意見を求められれば、以下のとおりです。 長くなるので、一番のみの添削です。 (1) 3月桜が花開く時 重複が多いです。素人さんの作品は、説明が多すぎる場合が多いので、想像をかきたてるようなものがありません。 あなたが聞かれて、プロの作品は、「これは一体何を言っているのか???」のような作品が多いと感じませんか? あまりにも???なのも考えものですが、説明のくどいのはよくありません。 日本では単に「花」と言えば、桜を指します。 「三月」と「桜が花開く時」は、時刻が同じなのでどちらかは不要 「桜が花開く」は、「桜が開く」で良い。「桜が開く」と言えば、花が開くことに決まっているので、わざわざ「花開く」と書く必要はありません。 しかし、「桜のつぼみが開く・・」なら詞的です。「つぼみが開きつつある」という進行形的な情景が感じられます。 そうすると「3月桜が花開く時」というのは、詞ではなく、季節を説明する普通の文章のように思えます。これをどのように詞的に表現するかが腕の見せ所となります。 「三月つぼみが開くころ」と書くのがよいでしょう。この一説には無駄やスキがありません。 ところで、「3月桜が花開く時」に、卒業式はやっていません。 卒業式は、普通2月の終わりか、3月の中頃までなので、桜の花はまだ咲いていません。 このような、間違いは救いようがありません。まず、何を歌いたいのか・書きたいのか・訴えたいのか、という基本がなく、何の取材も無く、文字遊びみたいなところからスタートするからこのようなこっけいなものができてしまいます。 卒業式のあるころは、「まだ寒い日」でよいでしょう。 「まだ」という言葉には、「これから変化する」というニュアンスがあるので、「まだ寒い」と言えば、「これから暖かくなる」という意味を感じさせるので、時刻がわかります。 「互いに涙する卒業生」 「涙を見せ合う卒業生」のほうが良いと思います。また、「を」は無いほうが詞的です。 「別れを寂しく感じる日」 「別れを寂しく感じたので、涙した」のですね。 それなら、「別れを寂しく感じる日」は、「互いに涙する卒業生」で説明できているので不要だと思います。 「けれど悲しいだけでない」 これは特に異議なしですが、「悲しい」に対比する表現が、後ろにほしいです。 「けれど」と書きましたので、「悲しい」という単語に対する分かりやすい単語がほしいところです。例えば「明るい」などです。 「社会への扉を開け風を感じる始まりの日」 これもくどいです。重複表現が多すぎ、小学生相手に校長先生がしゃべっているようです。 「社会への扉を開け」というのは、すでに「卒業生」という言葉を使っているので、単に、「扉」と言えば、「社会への扉」に決まっています。 「社会の風を感じる日」でもよいし 「社会」という言葉の感じが硬いというのであれば 「そとの風を感じる日」でもよい。 「扉を開け、風を感じる日」でもよいし 「扉を開ける日」でもよいし 「始まりの日」でもいし 「そとへの始まりの日」でもよい 言葉遊びではなく、「何を表現したいのか?」ということがあって、それをどんな単語に乗せるかということです。 「明るい風を感じる日」くらいで十分に分かると思います。 「社会への扉を開け風を感じる始まりの日」というのは、「何を表現したいのか?」という、ネタにすぎません。これをどのように短く・詞的に表現し、読み手の想像力でおぎなうということを考えるのが仕事です。書いてある文字を、読み手の想像力が補完するという詞が良いのです。すると、「明るい風を感じる日」でこと足りるということが分かります。比べてみると、同じことを言っているのに、あなたのはくどすぎる感じがしませんか? くどい詞で、読み手の想像力が入る余地のないのも困りますし、読み手が一生懸命に考えても???も困るのです。???の難解な歌詞は大きなヒットにはなりません。 「もうすでに出来ている」 これも重複でとてもくどいです。 「もう出来ている」と「すでに出来ている」は意味が一緒なので、どちらかにすべきですが、「すでに」は言葉が硬いので、「もう」が良いでしょう。 「もう」と「すでに」は意味が同じでくどいということです。 また、「出来ている」というのは、「すでに」「もう」という意味を含んでいるので、「すでに」も「もう」も無いほうが良いです。