- ベストアンサー
母親の死とはどういう意味なのか?
- 母親の死によって家族は少しは楽になりましたが、それでも落ち着けず、涙も流せません。
- 母親との別れが心に深い傷を残し、生きていく上で何を考えて生きていけばいいのか分からなくなっています。
- 親の死によって寄りかかれる存在がいなくなり、孤独感に苛まれています。
- みんなの回答 (6)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
貴方はしっかりお母さんの「存在」を受け止めきった。 それは間違いない。 貴方だからこそ出来た事、振舞えた事も沢山ある。 お母さんの最期の形が直ぐに涙として伝わって来る訳じゃない。 むしろ貴方は。 もっともっと「深い」部分でお母さんの存在を整理して。 そして受け止めて進もうとしてる。 お母さんが亡くなった。 そのお母さんの旅立ちが。 直ぐに貴方にこういう意味ですよ、とハッキリ言語化できる部分として 整理される訳じゃないし、整理する必要も無いんだよ。 言葉に出来ない部分にこそ。 貴方とお母さんの歴史があり、絆がある。 貴方はお母さんの存在を。 これからも「変わらずに」大切にしていけば良い。 その大切にしたい存在のお母さんが。 貴方と同じ世界にいるのか、次の世界に旅立っているのかの違いだけ。 大切である事に変わりは無い。 貴方の中に残る存在感にも変わりは無い。 ただ、貴方は凄く肩の力が入ってたんだと思う。 感情的に流されようと思えば。 貴方はそういう風にも対応できたんだよ。 でも。 貴方はそれ以上にやる事があった。 そしてやった。やらなければいけないと思っていた。 それはお母さんに対する感謝でもあるし、敬意でもあるんだと思う。 ただ。 それも一段落した。 無事にという言い方は不自然だけど。 貴方はきちんと役目を果たした。 もう少し力を抜いて良いんじゃない? お母さんの存在を失ったという脱力よりも。 その最期を全うしてもられるように貴方なりにケアしてきた部分の肩の力が。 まだ思うように下ろせてないんだと思う。 無意識でも力の入った状態が続いていたりね。 それも自然な状態なんだと思う。 周りから見たら時間差のように見えても。 貴方はもう少し時間が経った後で。 お母さんの旅立ちに対する受け止め方が変わってくるんじゃないかな? ある意味感情的な部分も自然に出てくる形でね。 何も心配しなくて良いんだと思う。 これからも。 貴方は貴方の場所で生きていけば良い。 その貴方の中には。 お母さんの存在がちゃんと残ってる。 貴方がいつまでも覚えている事。大切に心の中に残しておく事。 それだけでお母さんも笑顔になれる。 貴方も支えを感じていける。 焦らずに進んでいけば良いんだと思う。 貴方の幸せを大切にね☆
その他の回答 (5)
まだ、無くなってから日が浅いのかな? これからの人生でふとしたキーワードで母親の事を思い出し。きっと泣けてくると思うよ。 私は未だに父の事を他の人に照らし合わせて泣く時があります。 ドラマやニュースなどを見てもです。 今はまだ気が張っているから泣く暇。そして、思い出す余裕がないんだと思います。 お坊さんの話をいろいろ聞くと思います。その言葉の意味を考え だんだんと自分の心に余裕が出てくると死の悲しみがわいてくると思うよ。 それにね。お母さんはきっと男が人前でメソメソしてるんじゃないぞ!と言っているのかもしれないよ。 だからまだ泣く事が出来ないのかもしれないよ。 落ち着いて、時間が出来たら御墓に行ってあげてください。 そして、思い出し、生前好きだった生花を供えてあげてください。 その時は色々思い出しきっと、笑いながら泣く事が出来ると思うよ。
お礼
ありがとうございます。バタバタとしていたり、仏壇やお墓のことで 父親と金銭問題で言い合ったりで、なかなか休まるところがないのですが・・。 未だ涙はでません。しかし、僕がしっかりと生きていく事が供養になるのなら 泣いている暇は無いと思ってます。
- forever520
- ベストアンサー率46% (743/1588)
30代既婚者男です。 まずは心よりお母様のご冥福をお祈り申し上げます。 親との死別というのは、100%例外なく全ての人に訪れるもの だとは言っても、とても辛いことだと思います。 私の両親は健在ですので、あなたの本当の悲しみは理解できない かもしれませんが、少しでもあなたの心の支えになれればと思い、 お話しさせていただきます。 喪主として立派に努めた事は、お母さんもとても嬉しかった でしょうね。 悲しみにある中で、長男として気丈に振舞うことができたという のは、中々できることではありません。 涙が流れないのは、あなたの心が崩壊したからでは無く、 長男としての強い意識がそうさせているだけのように思えます。 お母さんの死を無駄にしたくないという思いは分かります。 でもお母さんの望むことは、一日も早くあなたが立ち直り、あなたの 人生をしっかりと生きて欲しいということです。 故人にとっての一番の供養とは、残された者がそれぞれ自分の人生 を精一杯生きてくれることであり、いつまでも悲しみの中で生きて くれることではないのです。 あなたもいずれ婚約者と結婚し、家族を作っていきます。 子供が生まれ、そうして歴史は巡っていくのです。 お母さんがあなたを産んで、一生懸命に育てて、家族を守ってきた ように、あなたも、あなたの家族を守っていく使命があります。 お母さんにとって、あなたの婚約者を見ることが出来たことは、 どれだけ嬉しかったことでしょうね。 我が子が独り立ちし、最愛の人を見つけ、家族を作ることができる というのは、親の至福の瞬間でもあります。 お母さんにしたら、何も心配することなく旅立てた事でしょうね。 そして、あなたもいつか旅立つ時がやってきます。 その時、迎えに来てくれたお母さんに恥ずかしくない生き方をする ことこそ、これからのあなたに出来ることでもあります。 「お母さん、僕は、僕の人生を精一杯生きてきたよ。とても素晴らしく、 幸せな人生だったよ」 って言えるような生き方です。 悲しければ、泣いていいのです。あなたはまだ自分に泣くことを 許していないのです。 思いっきり、とことん涙枯れるまで泣けばいいのです。 婚約者の方に甘えてもいいのです。誰かの胸を借りてもいいですから 全部吐き出してください。 そしてあなたの中で押さえ込んでいる感情を全て吐き出したならば、 立ち上がり、前を向いて、一歩一歩、確実に歩いて行くのです。 振り返る必要はありません。あなたには無限の未来が待っています。 あなたに与えられた寿命だけ、精一杯生きてください。 心から応援します。負けないでください。
お礼
ありがとうございます。誰もが経験する親の死。。。 少し早い段階で体験してしまいましたが、母親が生きているうちに やるべきことをやったから、人生という修行を終えて、天国で楽になっていると考えたら、涙は出ませんが、気持ちは楽になりました。 まだまだ実家がバタバタしているのですが、行く行くはゆっくりと 母親のことを想って泣きたいと思います。
- takapeko
- ベストアンサー率44% (251/563)
私も昨年母が逝去しました、72歳でした。半年後が一周忌になります。 テレビなんかでは長寿時代がどうのとか、ほのぼのとしたシーンがあると胸が痛むときがあります。 いつ亡くなってもおかしくない状態で、でももう少し先だと思っていただけに、急に倒れ翌日にはもう葬式の準備という状態に、質問者さんと同じく何がなんだかさっぱりでした。 私の場合はまだ結婚しておらず生前はかなり気をもませていました。その点では十分親孝行されていてうらやましく思います。 さてさて死の意味についてですが、肉体的な母は死にました、しかし精神的な母は生きています。それはDNAでもあり記憶・思い出・受け継がれた思いや教えてもらったこと、これらを次に伝えることが残された我々に出来ることであり、そうしていくべきだと思います。 今何か作ったりすると「これは母のやり方だったな」「この味が好きなのも」なんていう感じで影響を受けてきたことを感じます。そんな時まだ本当の意味で死んでいないと実感します。 私もあなたも死ぬときこそが母の死ということになるんでしょう。そのとき我々の意思が次の世代に引き継がれるとしたら・・・つまり、そうした人間になるべきだと思いますね。それこそが先人の死を無駄にしないことだと。 お彼岸が近づいてきました。去年は母が墓掃除に行っていました、今年は私がするつもりです。「畳を変えなきゃ、ふすまを綺麗にしないと」なんて言いながら。今年は綺麗になったそれらの部屋で法要をすることになるでしょう。 お互いがんばりしょう。母親あっての命であり、いろんな思いが出来るのもそのお陰ですから!
お礼
ありがとうございます。あなたの一言一言をかみ締めていたら 少し涙が出ました。未だ大泣きになれない自分がもどかしいのですが・・・。 母親は僕の中に生きている。そう想ったら元気になってきました。 遺骨の前で家族で話してても、母親の存在を感じるんです。 がんばりましょうね!
- mintmiko
- ベストアンサー率21% (128/605)
お母様のことご愁傷さまでした。 残された方は、どうしても割り切れなかったりしますよね。 老衰だと、心穏やかで居られたりするのですが。。。 私の父も58歳で亡くなっています。 ホスピスには行きませんでしたが、きっかけは胃がんで、その後は、腎臓をやられて、腎臓の機能不全が最終的な死因です。 私も父が亡くなった後、喪主(義理兄と母がしました)ではなかったのですが、葬式をおえ、すぐに1人暮らしに戻ったので、涙を流すよりはその後の生活に追われて、涙を流せませんでした。 やることが多かったり、気が抜けなかったりして、数ヶ月から1年は実感がわいていない状態なのかもしれません。 『あぁ、本当にもういないんだな』とふとした瞬間に感じたり、それは、突然に感じたりして、 気がついたら涙が流れてたなんてことはありました。 貴方の心は壊れていません。 ただ、喪失感に覆われていて、たぶん、びっくりしている状態だと私は思います。 場合によっては、ホスピスでにたずねていって、お世話になりましたと挨拶をして、遺族の会みたいなものがあるのかどうか聞いてみてもいいかもしれません。 変じゃないですよ。 私は家族の死というのを2つ経験しています。 始めは父、次は祖父です。 父のときは、最期、痛み止めの副作用で、幻覚をみたりして、寝たきりなのに、温かかったり、なんというか、すごく不思議な経験でした。ただただ、痛みを感じていないときは眠り、目をあけて起きたら幻覚。ある意味、壮絶でした。 2回目は、祖父のときです。3日ほど腹痛に見舞われ、手術のあと眠るように息を引き取りました。 とても対照的な逝き方でした。 父のときの壮絶さと、遣り残したことの多さを考えると、とても苦しくなって、何故父は亡くなっていったのだろうと憤りを感じっぱなしでしたが、祖父のときは、趣味の畑で痛みを感じ、病院に行って、手術をして、もう大丈夫だよ!という叔母の声を聞いた後うなずいて健やかに亡くなったとのこと。 遺影を祖母ととりに行ったりしていたしていた人でしたので、素直にありがとうと送り出せたのでした。 つらかったでしょうし、大変だったでしょう。 なので少し休んで。 少し休んだら、お母さんに感謝しながら、あなたは、貴方の人生をそれでも生きていかなければなりません。 あなたは、生きているのだから。 私に言えることは、お母さんを忘れずに、貴方は貴方の人生を精一杯いきて、そうすることで、親孝行をしてあげてください。 これは、私が知人に言われたことですが『親孝行は何も生きているときだけじゃないんだよ。』と。 長くなりました。失礼します。
お礼
ありがとうございます。失礼ながら似たような感じだったので読んでいて 涙しました。 大泣きできる日がいつになるかわかりませんが、一人暮らしもあと一月で終わらせ、婚約者と一緒に住むのですが、親の苦労が分かったとき、母親の偉大さに気がついて涙するかもしれません。 今は自分でも気が張っていてというのがわかるし、実家のゴタゴタがまだ続きそうなので、しばらくは泣けませんが、しっかりと生きて行く事で、母親への供養になると考え、いつの日か母親を思い出して思いっきり泣きたいです。
- Literary
- ベストアンサー率15% (12/76)
この度はご愁傷様でした。 また、ご結婚されると言うことで、おめでとうございます。 人の生き死では色々な感情をもつものです。 何も感じないと言うのもひとつの感情ですよ。 貴方が結婚し、自分の子供を持つと(そのとき)何かひとつ答えが見つけられるかもしれませんね。 貴方ご自身が充実した生活(人生)を送ることを亡くなられたお母様は心より祈っていると思います。 そして、これからの人生の中で、ふとお母様のことを思い出してあげられれば十分なのでは!? ご冥福をお祈りいたします。頑張ってください。
お礼
ありがとうございます。 まだまだゴタゴタした日が続いていて、実家の用事で泣きそうなのですが・・・。 ある時、母親を思い出して泣く日がくることを想いながら、しっかりと生きて生きたいと想います。
お礼
ありがとうございます。 なんと言えばいいかわかりませんが、今、スッと心に入ってきました。 なんだか納得した気がしました。 まだまだ忙しい日々、悩む日々が続きそうなのですが、母親を想いながら一生懸命生きて生きたいと想います。