• ベストアンサー

死んでからの為? 生きている今の為?

死んでからの為? 生きている今の為? 両方の為? いつの為? に信仰は あると お考えですか。 又 それはなぜですか。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
noname#130417
noname#130417
回答No.1

今、生きるためにあるのだと思います。 私は何の信仰にも属していませんが、日本の何物にも神が宿っているという考えは信じているのです。 そのほうが、道徳が身に付く(変な言い回しですね)気がするから。 誰かが見ていると思うから、悪いことにも近づかず。誰かが気付いてくれると思うから、小さな良いことを積み重ねようとするのだと思います。 お天道様が見ているという言葉は、私の中の信仰心を意識する言葉です。

minaotehon
質問者

お礼

とても共感致しました。 一つに拘ろうとする 疑問が違和感になり、そして苦痛となっていたのかと。 自然は良いですね。 参考になりました。 ご回答ありがとうございました。

その他の回答 (2)

  • zebura23
  • ベストアンサー率30% (252/820)
回答No.3

本来、 人間は生きつづけている意識体ですので、 それを身体がある、身体がなくなった、と分けて考えるところからの あなたの問いかけであろうと思います。 宗教や信仰は 人々が自分という意識を持つためには、 ある程度助けにはなったと思います。 今の時代 すべての既存の宗教が 今までのように人類の先頭をリードすることはもはや不可能と思われます。 人類の意識はすでに既存の宗教を超えてしまっています。 すでに人類は宗教を必要としません。 でもそのことを一番受け入れられないのは 宗教に関わっている人々であろうと思います。 それはよくわかります。 でも時代は思ったよりも速く進んでいるようです。 自分の立場を宗教に関わるものとしてではなく 人に説いている宗教が自分にとって何なのかを 真摯に問いかけ、突き詰めることで これから何が自分に必要なのかが見えてくると思います。 キツイことを申しましたがお許しください。

minaotehon
質問者

お礼

どの部分がキツかったのかと… とても参考になりました。 ご回答ありがとうございました^^。

回答No.2

今この時、この一瞬を精一杯生きれば、 現在生きているとき、大往生したときに、 「為」の意味、価値が見えるのでは・・・。 「為」は、何かをするための理由付けのように思いますが、 本来は、自分が生きるための指針ですかね。

minaotehon
質問者

お礼

参考になりました。 ご回答ありがとうございました。

関連するQ&A