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「倦怠期」この考えは正しいでしょうか?(長文です)
こんばんは。質問させて下さい。 ・「このまま続けても同じ事を繰り返すことになるから 別れた方が良いと思う」 →「同じ事」というのは、好きかどうか不安になること ・現段階では「人としては好きだけど、恋人同士の好きではない」 「家族(弟)のよう」 ・そのように心情が変化した理由もよくわからないし、 これといって不満や欠点があるわけでもない。 ・「いまでも本当に大切。一緒にいたいけど恋愛関係ではない」 ・「今まで、好きだったのか、それとも好きでいようとしていたのか解らない。 おそらく好きでいようとしていたのだろう」 と、彼女に言われまして。。。 僕としては、最初は説得したものの、決意が固かったので、別れについては同意したのですが、 そうなった後もだらだらと友人として関係を続けていくのは理解できないと告げたところ、 やはり一緒にいたい、手放したくない、もしかしたらまた好きになれるかもと言って、関係継続を希望してきました。 ・・・そこで、自分なりに言われたこと等を考えてみました。 一つは、あまりにもこちらが積極的にリードをしすぎた (特に連絡をするかしないかについて)ということはあります。 ただ、自分のメールを読み返してみても、また自分の性格からしても、 メールを頻繁にやりとりするということがあまり好きではないので、 1日1通、今日はチャットで話すかどうかを尋ねるだけ (もちろん向こうのメール次第ではコメントを返したりしますが) が基本です。 それについても、「大丈夫かどうか」を尋ねているだけで、 必ず来いと行った圧力を掛けているつもりはありません。 また、本人も認めていましたが、 メールは苦手だけれども、連絡を無視したりする事は他の人にはしない。 つまり他の人には出来るけれども、 僕に対しては何でそうしなければならないのかと 思ってしまうといっていました。 もともと好きだの何だのと行っていた時期から、 日々のネットでの会話であっても、実際に合うことであっても、 誘うのは僕からだったので、それは不安に感じていましたが、 向こうは「自分がきちんといえる性格ではないので助かっている、嬉しい」 といっていました。 なので、本人の心境が変化した、 あるいは錯覚だと感じられるようになった、 重いと感じられるようになったのは、 偏に僕が異性として見られなくなったということに帰結すると考えられます。 では、なぜ異性として見られなくなったのかを考えると、 やはり、所謂一緒にいるのが当たり前になり、 あっても感情の高まりを感じる事が無くなったと 言うことなのではないか考えています。 個人的には、付き合うという関係で第一義的に大切なのは 信頼関係であり、誠実さであり、優しさであると考えているので、 この結論に達したときに、到底同意できないのですが、 それでもなお、そうなのかもしれないな、 これはきちんと考えなければならないなと思っています。 そこで皆様に質問なのですが、 ・僕の結論はあっていると思われますか? ・これは所謂「マンネリ」「倦怠期」というものでしょうか。 また、そうなのであれば、このマンネリないしは倦怠期を脱するにはどうしたらよいのでしょうか。 調べていて、「旅行に行ったりすると良い」という記述を見かけましたが、 これはそうなのでしょうか? 一度クリスマスに(都内ですが)泊まりを計画していましたが、 おそらくは上記のような理由から難色を示しています。 以上、お忙しいところ大変恐縮ですが、よろしくお願い申し上げます。
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お礼
非常に参考に成アドバイスをありがとうございます。 自分の、第一義的に~という考えは、あまりにも特殊なのかも知れないと 不安に思っていたので、共感していただけて大変嬉しいです。 相手ときちんと話し合って、どのような関係になるのか、 どのようなことをするのが望ましいのか一緒に考えていきたいと思います。