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創価の教育について

私は今高2で、今度任用試験を受けます。 勉強していて不思議に思ったのですが、どうして仏法を本格的に学ぶのが高校生からなんでしょうか。 私の両親はともに熱心な学会員で、小さいころから勤行、題目といわれて育ちました。 幼い時は親が一番ほめてくれるので言われた通り素直にやっていました。 ですが自分が何をしているのかは全く理解していませんでした。 それは小学校、中学校でも変わらず(中学では反抗してましたが) 正直仏教ってなんだ?という感じでした(汗 (創価がお寺とか神社とかけ離れているうえに他宗を嫌うので、宗教だという意識があまりなかった気がします) 唯一仏法を学ぶ機会といえば、座談会の御書講義ぐらい。大人向けなので根本的なところは謎で、結局何の知識も得られず… それで高校になっていきなり日蓮の生涯、十界論、創価の歴史…。 まず日蓮って聞いたことあるけど…誰なの?って感じでした…。 それを今いろいろ覚えているわけですけど。 これはおかしくないですか? 学会の親は子供の仏教に関する知識のなさを理解していないように思います。 未来部員会で「池田先生の素晴らしさ」とかでなくてまず仏法の根本を教えるべきでは? ろくに教えず信仰だけ期待するのは勝手すぎませんでしょうか。 試験勉強で教わりましたけど、学会は初め教育団体だったそうですね。 私の家だけこういう状態なのかもしれませんが… アンチとかでなくて、純粋におかしいと思ったので質問しました。

みんなの回答

  • skypee
  • ベストアンサー率26% (21/80)
回答No.5

私が何人かの学会員と話した経験ですが、創価学会の何がよいのか?と聞くと、「日蓮が・・・と説いた」などと、仏教を学んでいるというよりも、まるで歴史を学んでいるかのような答えばかりで、「これはおかしいぞ。。。」と思い色々調べてみました。 どうやら創価学会は、飢饉や天災が多く死体が転がっているような環境で、民衆の生活がとても苦しい鎌倉時代に、民衆に生きる希望を説くために信仰を広めた日蓮の布教スタイルを真似ているようです。 必然的にその当時の人達が可能な信仰のスタイルとなるとなるわけで、それが題目を唱えることだったのかもしれません。ですからまずは「信じること」です。「いつか幸せになれる」と希望を持つことです。 そして、学会では「強い自分に変わる」とか「信・行・学」と言いますが、いまだに多くの学会員は、「信」のみが異常に強いようで、「強い自分」とはどういうことなのか?「どうすれば強くなるのか?」などの答えを持っている人はいないように感じます。教団側も教えてはいないのではないでしょうか。 ただ「信心によって強い自分に変わる」「信心で困難を乗り越える」などと思っているようです。 指導には問題があるようです。 ここまでなら、何を信じても自由ですからさほど非難される理由にはならないのですが、問題は「この信仰のみが正しい」というように排他的であることで、それが他者への押し付けにも繋がり争いが起きるわけです。 まず、私たちは物事を自分の都合で見て、相対的に判断し、「これが正しい」「これが好き、嫌い」と言っているわけで、その拘りが争いの元ともなるわけです。絶対的な「正義」も「悪」も存在しないのに、学会の指導のように「これが絶対正しい信仰」というように偏った指導で信者に拘ることを勧めること自体が仏教とは大きく違うわけです。 ですから多分、池田という人は当時の日蓮の布教のスタイルをとって、闘うことや勝つという姿勢が本物の仏教だと思っているのかわかりませんが、仏教を知らない人なのだと思います。 質問者さんは親御さんの言うとおりにやってきたから問題が起きていないようですが、学会員の親の中には、現実の出来事を信心とこじつけて解釈をし、子供の努力を認めず何でも「信心のおかげだ」と言ってしまうような人もいるようで、それは子供を苦しめることにもなりますから、決して良い信仰とは言えません。 「信心で強くなる」と言いますが、誰もがいつも強いわけではありません。時にはその「信心で乗り切らなきゃ」という気持ちが自分を精神的に追い込むことになるかもしれませんので、学会の信仰には十分注意してください。 強い自分に変わるには、現実を受け入れなければなりません。それには現実を知る努力が必要です。決して、「信じたから・・・となる」わけではありません。仏教は信じるのではなく、「知る」のです。 今はネット上でも仏教についての説明は五万とある時代です。是非色々調べてみてください。

  • sahyoue
  • ベストアンサー率34% (26/75)
回答No.4

そういった疑問を持ちつつ、自分が成人した時に信仰をどうするのか今から考えるのはよいことではないでしょうか。 私の親しかった友人が数年前に自殺したのですが、両親本人共に熱心な学会員でした。 友人は就職して30歳になるまで、親から勧められるままに活動し疑問を一度も持たないままでした。 しかしある時、親への反発と自立心が原因で、信仰そのものに疑問を感じ始め、学会の活動意外に何もしてこなかった人生が嫌ですべてが憎くなった、そういう内容のメールがきたのが最後でした。 私は無神論者で宗教、信仰そういうものに興味もなければできるだけ遠ざける生き方をしていて、それを知っていた友人は最期の方に私によくメールをしてきていました。 私は友人の人格や友人そのものが、幼少期から創価学会の多大な影響を受けて形成されたと思っているので、否定もできず脱退も勧められず、ただ話を聞いてあげるしかできませんでした。 今さら創価学会の何を否定することも、友人の人格、人間そのものを否定するのと同じであると思い、何も強く言えませんでした。 自分で違う人生を選ぶ勇気がその友人にはなくて、苦しんでいたけど誰も助ける ことはできなかったのです。 質問者さんはまだ学生さんだから、知識として学んでいて疑問はあると思いますが、それを踏まえて先の人生を選ぶ権利はありますので、矛盾に感じたことを悩むのもほどほどにして、どうしても合わないと感じた時は離脱して違う人生もたくさんあるということを覚えていてほしいと思います。 ちなみに私はスポーツ推薦で入学した高校が、歴史あるカトリックの高校だったので宗教指導も熱心でしたが、聖書を深く学べば学ぶほど、キリスト教への不審感はつのりました。 おかげで先の人生で宗教と直接関わることがなくなった、と言っても過言ではないです。

回答No.3

一般論ですが 創価学会の若い人は 男女間の関係にゆるいような印象があります お気をつけください

回答No.2

>未来部員会で「池田先生の素晴らしさ」とかでなくてまず仏法の根本を教えるべきでは? それも正しいとは思います。 親が子供に宗教を一方的に教えるのは偏向になってもいけないし難しいのではないでしょうか。 同じ年代の人と広く語り合えば勉強になると思います。 SOKAnet:で見られてもいいと思います。 http://www.sokanet.jp/shinkaiin/index.html 今は幅広く学業を学び機会をつくり仏法も学ぶ。 社会に出て苦難に当たれば学会で薫陶を受けてよかったなと思う時が来ると思いますよ。

回答No.1

 んー・・・私は数年だけ所属後脱会した者です。 これはあくまでも・・・質問者さんとは違って 「外から」創価学会に入った立場の人間の話として読んで 戴ければ幸いなのですが。 入ってみて感じたのは、これは「池田先生」を現人神の如く 崇拝している「仏教カルト」じゃないのか?だった訳です。 もともと、私の家系は代々日蓮宗だったのですが・・・ 本当に彼等が主張している様に、日蓮宗が見失った「本道」を 取り戻そうとしている団体なのであれば、 質問者さんの仰る様にもっと「創価学会が見出した本当の仏法」の 何たるかを全面に打ち出すべきではないか、と思います。  まぁ、実際に私が言われた事はといえば「勤行で力が湧いてくる」 「信心を疎かにすれば悪い事が起こる」などの都市伝説めいた ヨタ話でしかなく・・・ウンザリして辞めてしまったのですが(´_`; 私の様な「脱落者の戯言」でも、是非はともかく質問者さんご自身の 判断材料の欠片にでもなれば、と。

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