情報欲が高まったという言い方もできますが、だれかがそうし向けているという考え方もできるでしょう。例えば、iPhoneに代表されるスマートフォンや、日本の携帯電話は情報をどこでも得られるブラウザ機能を備えていますし、フラッシュニュース機能などによって、定期的に主要ニュースが受信される機能もあります。
これは、多機能な便利ツールの売り込み手法であり、ユーザーが望んだ結果ではありません。ユーザーはそこから、徐々に情報があふれていることが当たり前だと思うようになります。そして、その情報を武器または道具として世の中で活用するようになります。
また、その情報がどのように使われるのか、またはどこで使われるのかも重要です。
近年は個人情報に関わる管理も人々が意識するようになり、隣近所との付き合いも減っている地域が多いですからね。
例えば、10年前なら昨日は家で何があったといった一般的な生活の話題が近所で語られていたかもしれませんが、今は近所ではそこそこ息のあった友人や、会社の同僚、付き合いの浅い人同士の会話で政治など少し遠い話をするのに使われる機会も多いでしょう。
これは、大人子供関係なく言えることですが、外で何かをする繋がりが減ったことで、地域行事も少しずつ減少傾向にあります。その結果、情報がインターネットやテレビを介して主要なものを中心に漁られるのです。
結果的に、常に人は地域の情報を得られず飢餓感や孤独感などを感じるようになります。そして、より多くの情報を集めるようになるとも言えるかもしれません。
東京近郊など都市部であれば比較的その地域の情報は集まりやすいですが、それでも最近は大きな情報が大量に出回り、その反面身近な情報はどんどん減っています。インターネットで、例えば今日○○地域で発生した事故を検索したとしましょう。
もし、それが大量の人を巻き込んだ多発事故なら全国で一瞬にして情報が出回りますが、ちょっとした事故なら、一週間たっても上がってきません。地域のニュースでも放送されないほどのものもあります。情報欲があるという見方もできますが、結果的に情報を誰かが取捨選択したことで、情報そのものが希薄化し、それを隠すために情報番組で深く一つの話題を掘り下げている背景も見られつつあります。
また、信憑性のない情報や、個人の日記、つぶやきといった希薄な情報も近年は増えています。即ち、情報欲が増すという見方より、全体的に誰もが大事と考える生活に密着するような地域情報が減少し、個々人の情報が増加、そして大した量もない大規模な事件事故、催しなどの情報が人気を集め結果的に、それを番組にするようになったという見方もできるのです。
ちなみに、優れた情報というのは、人の経験や知恵に裏付けされたものと、自分が生活する範囲にあふれているものの場合が多いです。こういった情報は、生活の中で考え伝習され身につき、改善されていくものです。こういう情報はとても安心を与えたり、知識をもたらしたり危険の察知に役立ちます。
それ以外の情報というのは、どちらかというと消費期限があり時間が立つと役に立たなくなる時限的なものが多いのです。
だから、常に最新の情報を手に入れようと努力し欲に見えてしまう。
今後はもっと情報は増えていくはずです。うまく社会に踊らされている人が多いですからね。
お礼
自分は若いので実をいうと、世の中でよく言われる「昔の地域のつながり・コミュニティ」とかそのメリットとか全く感覚として理解できていませんし、今でも分かりません。 そういったところから出てくる「優れた情報」の存在そのものが消えかけようとしている危機感はこの回答によって感じました。 すくなくとも自分はもうそれを知らない世代なのかもしれません。 代わりに補われたのは、確かに端的な情報ばかりである気がします。