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高校生の時のいじめの記憶に悩まされています

高校生の時のいじめの記憶に悩まされています 中学校でもいじめはあったのですが 最近はカウンセラーの方や薬のおかげか この時のことをあまり思い出さなくなり 思い出しても嫌な記憶ではあるんですが 苦しくなるということはなくなりました けど中学に比べたらそこまで酷いいじめをされていたわけではないのに 高校の時のいじめの記憶が頭から離れてくれないです 最後まで嫌なことや辛いことばかりだったと悲しくなるし 中学の時の酷いいじめの相手を許して あそこまで酷いことをされたわけではないのに 高校の時のいじめの相手を憎む自分も嫌になります 思い出しても辛いだけだと分かってはいるんですが ちょっとしたことでいじめの記憶の方に意識がいってしまいます もし皆さんの中に克服した方がいたら何か助言を頂きたいです よろしくお願いします

みんなの回答

回答No.3

つらい思いをされていますね。 でも、誰でも悩みや苦しみを抱えて生きているのが人生です。 これといった対策はアドバイイスできませんが、そのつらく苦しい思いを、転じてよい意味で見返してやる、あいつらには絶対に負けないぞ、今に見ておれ・・・ という方向に心を向かせることが良いかと思います。 人は大変、シビアで敏感な心をもっているものです。 明るく振舞えば明るいオーラが出るようになり、マイナス思考で生きていると、誰も寄り付かなくなると思います。決してあなたが、こうだと言っているのではありません。 要は、心の傷をステップにして、そんな人こそ伸びていくと思いますし、将来、もし、弱い人を見たら 気持ちが理解できて助けられる立場にさえなれると思います。 ピッタリの回答でなくてすみませんが、どうか前向きに(見返してやる)生きて下さい。 私は中年のおじさんですが、同じ年齢の方に負けまいと、ホームページを作ってみたり、カラオケでも だいぶ高段までいっています。 つたないページですが、のぞいてみて、どうかアドバイスを下さい

参考URL:
http://wpost.plala.or.jp/w60
回答No.2

私も同じ様な経験をしていますので、少しはお役に立てるかと思い私の経験を書かせて頂きます。 私の場合は中学の頃アトピーが酷く、散々な扱いを受けてきました。ゴミ同然の扱いでした。 10年以上経った今になってやっと整理が付きつつあるところです。 私が解決のためとった手段は「周りを見返すこと」でした。将来仕事で成功し大金を手にする。それでやっと自由になれると思っていました。 そのため高校では必死で勉強し、底辺高校でしたが模試の順位はいつも1位でした。 進学した大学も、その高校からは実績の無い大学です。 掃き溜めの中とは言え秀でていれば一目置かれるらしく、自分を見下した連中を逆に見下せる立場になれました。 連中を「将来の無い無能ども」と公然と罵れる立場になれました。見返すという意味ではここで十分な結果を得ていたんでしょう。 しかし自分の中の劣等感や憎悪が消えることはなく。 ここらでマトモな生き方に戻ろうと思えれば良かったんでしょうが、「人間の価値は能力の優劣のみによって決まる」という、今にして思えば異常としか考えられない価値観を手放せませんでした。 そして当初の「成功し大金を手にする」という強迫観念的な目標のため、さらに努力は続けました。 誰にも理解されない生き方でした。孤独感からさらに性格はねじ曲がりました。自分は独りで周りは敵だと思っていました。 私もちょっとしたことで憎悪や怒りが止まらなくなることが数え切れないほどありました。 就職してこの性格でやっていけるはずもなく、取り合えず表面上、周りに溶け込む術を覚えました。 しかし所詮は上っ面。いつも周囲と自分を欺いていくのは大変疲れました。仕事では努力の甲斐があったのか、そこそこ評価されました。 表面上うまくやっていて、周囲から弱点が見当たらないなどと言われても、周りが怖いという意識は消えませんでした。これは今でも感じます。 今から1年少し前、周りを見返すと決意してから10年以上経ったある時、今まで築き上げてきた価値観を決定的に壊される経験をしました自分の芯が崩れ去りました。 他者より秀でているということは大した意味はなく、本当はある人に自分と言う人間を認めてほしいがために努力をしていたとそのとき気付きました。 その人が居なくなって、自分を僅かばかり支えていた、能力があるという誇りと、その人と一緒に生きるという夢が一度に崩れ去りました。 そこからはこれまでの無理がたたったのか、自律神経失調症に罹り、アトピーも再び悪化しました。 心療内科に通い、薬を飲み、自我が崩壊した絶望感しかありませんでした。中学時代の生き地獄に再び戻りました。 ですがカウンセラーの先生が真摯に接してくれ、私は自分の過去や感情の根源を可能な限り洗い出しました。 その中で気付けたことは ・自分をすぐに絶望感に浸らせようとする傾向がある。(希望を探すよりも安易だが、マイナスしか有り得ない考えを自分に強いていた) ・自分の過去や病気であるという事実は絶対に変えられない。誰にも肩代わりできない。(事実を冷徹に認識すること。遺伝病である以上、結婚等人並みの人生は諦める。今までの人生で得た他人に理解されない価値観は、変化はしても確実に自分の根幹を成している。) ・自分が独りだと決め付ける必要は無い。(理解はしてくれなくとも、気分を紛らわしてくれる友人や家族がいた。) ・それまでの生き方は間違っていない。闘う以外の方法は選べなかった。確固たる自分の力を得られた。(こんな目にあって普通でいられる人間など居ない。普通なら社会的には再起不能になる。) ・これからの人生は、考え方や行動を変えることは出来る。(もう疲れた。闘わなくてもよい。趣味や友人関係を深めてみよう。) こんなところです。 皮肉なことに勝って初めて過去から自由になれると思っていたのが、負けることで人生が開けました。 今も薬は飲んでいますが、カウンセリングも卒業し身体も回復してきました。上のことに気付いて大分ラクになれました。気付くまでは本当に苦しい。言葉では表現できません。 自分の行動を変えていくと、少しずつ性格も緩くなって行っているのが分かります。例えば飲食店で清算のときに「ごちそう様」と言うだけの些細な行動でも。 平和ボケかも知れないけど、これでいいんだと思うようになりました。 これまでの人生は結局、自分の尊厳を取り戻すためにもがき苦しんでいました。でも必死で闘ってきました。 これからは本当の意味で過去から自由になるための闘いですね。 長文・乱文でごめんなさい。 貴方と私の経験・苦しみは似ています。けれど同じではありません。私の解決法は貴方の解決法にはならないかも知れない。 ただ少なくとも独りだと思わないで欲しい。今私に言えるのはこれくらいです。

回答No.1

たとえ話を一つ ある医者(女性)にこう言われました 病気はね、痛い痛い時でも うーむ、こういう時にはこの症状が出るのか こういう時には、こんな感じか・・ と分析、データ収集、推論が大事だとね ヒントになったー?