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ママ友否定の人って、本当は欲しいのかな?

ママ友否定の人って、本当は欲しいのかな? よく、こちらでも「ママ友」はいらないとか、ママ友を否定する質問というのがありますが、私には不思議でなりません。 私も子育て中で、躍起になってママ友を作るタイプではありませんが、たまたま、昔からの友達に同じぐらいの子どもがいるパターンと、たまたま気が合う人が同じぐらいの子どもがいたパターンで、ママ友がいます。 子どもがいたって、新しい友達はできるときはできるし、相手に子どもがいてもいなくても、人付き合いって、TPOで変化するというのは、例えば、仕事友達や習い事の友達などと同じようなものだと思っているので、なんで「ママ友」を特別視して、忌み嫌うのか全く意味がわからないんですよね。 なんで、そんなに意識するのかなって、不思議で。 そんなに壁を作るほど、特別なものですか? いらない!と突っぱねるほどの存在ですか? 本当は、ママ友が欲しくて欲しくて仕方なかったのに、何かとっかかりでたまたま躓いてしまって、それがショックで、全否定するようになったのでしょうか? それとも、もともと他の人間関係でも壁を作りやすいタイプの方なのでしょうか? ママ友なんて、子育てしている中で、たまたまいい出会いがあるかどうかの、一つの縁にすぎないと思うのですが、縁を断ち切るだけのパワーを込める意味がわかりません。 どうしてなのでしょうか?

みんなの回答

回答No.8

そうだよね。本当にママ友に興味がない人なら、あれこれ言ったりしないもんね。 私は、そういう発言を見ると、孤軍奮闘している自分を奮起させるために言っているのかなあと、痛々しささえ感じます。

noname#123010
noname#123010
回答No.7

うまく人間関係を作れない人なんでしょうね。だから不必要なパワーを投じて縁を断ち切ることしか解決策が見つけられない。社会で人と接する頻度が多く、その中である程度の成功を収めている人間は、相手が「親友・友達」であろうと「先輩」であろうと「上司」であろうと「ママ友」であろうとどんな環境でもどんな相手でも、自分のバランスをとりつつうまく付き合っていくすべを持っているのですが。 状況に応じてうまく立ち振る舞い、相手を思いやり問題なくいい人間関係を築ける人にとっては、「ママ友」という存在を子供のために、自分のために、健康な家庭環境のために作っていけるのでしょうが、人間関係を作るのが不得手な人にとっては「苦痛」が先行して何のメリットも見出すことができないから、その存在の意味を見いだせないのでしょう。ここでのママ友トラブルを読んでいても、柔軟でなく、元々人間関係を作るのが苦手で友達が少ない人が多いですよね。いい友達なら、いた方がいいと思いますが、苦痛が先行するとそれを避けるがために得られるものも得られなくなってしまうと思いますけどね。 でもうまくできないのなら、なんだかんだと理由をつけて忌み嫌うしか方法はないかもしれませんね。

  • mokkamoca
  • ベストアンサー率8% (19/218)
回答No.6

私は肯定も否定もしませんが、第一ママ友って言葉が苦手なんですよね。 自然に仲良くなって子供と一緒に遊びに行ったりできるのはとってもいいこと だと思いますが、結局だんだんと合わなくなってやっぱり性格が合わないので 遊ばないようにするにはどうしたらいいですか、と言ってる人が理解できないのです。 子供の為に仲良くなるのに結局お母さん達の性格が合わないからやっぱり遊ばないって なんだか誰の為に仲良くなっているのか分からないですよね。 最初から子供を第一に考えて真の【ママ友】でお母さん同士嫌なことがあっても 子供の為ならしょうがない、と我慢するならいいと思います。 私はママ友なんて言葉ではなくて普通に友達、でいいと思いますよ。

回答No.5

ああ、おっしゃっていることわかります。 私も不思議に思ってました。 私は、いわゆるママ友っていないかもしれません。 でも、児童館や公園などで楽しく過ごす方はたくさんいます。 意識して、同じぐらいの月齢の子のママと仲良くしたい!と思ったことは無いですが、子どもを遊ばせるために出かけた場所で、他の子のこともかわいいと思うし、その延長線上に他のママもいて、そのときどきで楽しく過ごせたらいいなと思ってます。 だから、ママ友を欲しいとも思わないけど、要らないとも思ったこと無いです。 たぶん、私は基本的に、我関せずのタイプなのかも。 独りでも集団でも、根底はマイペース。いい意味でも悪い意味でも(笑) たぶん、こういうタイプは、ママ友否定にはならないんでしょうね。 そこまで意識もしないというか(^_^;) よく、ママ友否定派の方は、合わなかった場合の煩わしさをあげますけど、ご近所付き合いでも、仕事付き合いでも、同じように煩わしさはありますよね。なのに、なんでなのでしょうね? たぶん、人がいいタイプの人で、のめりこみすぎちゃうのかもしれないですね。 だから、傷付くのも大きい。そのため、その前に壁を作る。 私は人間関係に、ノーリスクハイリターンはないと思ってます。 自分も煩わしさや面倒くささを支払ってこそ、良いことがあると思ってます。 面倒くささは勘弁して欲しいけど、良いトコ取りはしたい、世の中、そう甘くは無いですよね。 リスクは深く気にせず、リターンは大げさにありがたく感じる、こうすると楽しいのかなと思うんですが、難しいですね。 って、ぜんぜん回答になってないですね(苦笑)

noname#128261
noname#128261
回答No.4

私もいらない派ですねー。 うちの場合は、障害の重い子がいますので、同じような障害児のお母さん達と、毎朝バス送迎を通しておしゃべりして楽しい時間をすごしますが、その人たちを特にママ友だと思っていません。 いわゆるママ友とは、一緒に時間を決めて公園に行く、おたがいの家をいききして、お茶や食事を共にする、行事など、イベントのときに固まる・・・とにかくわざわざ手間ひまかけて親密にしようとする人達のことかなって思うんです。 育児サークルにいたっては、家庭を犠牲にしてまでがんばる人もいますよね。 親密にするかたわらで、仲間以外の人を阻害するような態度を示す人もいます。 グループで固まってしまい、他のお母さん、または子供が公園にやってきてもあいさつすらしない。 女子中学生が、グループでがっちり固まり、他のグループと対立したりしますが、ちょうどそんな感じ。 そういう、仲間に固執した友人関係がいやなんです。 実は、私も長男が生まれた頃、ママ友というお友達が2人いました。 会社で同期、子供も同じくらいの年齢で、赤ちゃんのころからうちに2人やってきて、一緒にお茶したり、食事したり。 (なぜかいつも私の家でしたが) 長男に障害がある事が分かり、ママ友から「次の木曜遊びに行っていい?」と言われたので、事情を話し、「重い障害があると分かったので、しばらく訓練を受けたり、診察に通ったりしないといけないから、お茶会はお休みしていい?」と返事しました。 そしたら、それからぷつっと連絡が途絶えて。 13年後の現在に至ります。 遠慮して連絡しないというのではないです。 子供の写真をつけた年賀状はきますから。 空手で賞をもらったとか、ダンスで舞台にたったとか、学校で勉強がよくできるとか、書いてあって。 赤ちゃんのときは都合のよい友人関係だったんでしょうね。 場所とお菓子や料理を提供するから。 障害児の親とつきあう、というリスクを考えて、縁を切ったんでしょう。 だから、うわべだけの仲良し集団みたいなママ友はいやです。 偏屈な考え方かもしれませんが。 子供を通じて、仲良くなったお母さんは、「ママ友」ではなく、「友達」です。

  • kanau122
  • ベストアンサー率39% (839/2148)
回答No.3

忌み嫌う、まではいかないかもしれませんが「いらない」派です。 でも、本心では質問者さんのご指摘のとおり、いれば欲しい、派なのかもしれません。 ただ、人間関係に猜疑心を持ちやすかったり、子供時代とか何かしらののトラウマがあったりして人見知りが激しいとか、社交性がないとかで、周りで浅く広く付き合ってる人をみると、ママ友に限らず、羨ましいなというのを通り越してちょっと嫉妬しちゃう気持ちを抱くようになり、そういう自分が嫌なので、「団体行動は好きじゃない」とか「ママ友なんてべつにいらないし」というスタンスになったような気がします。 「ママ友」というと、どうしても「●●ちゃんのおかあさん」という付き合いで、子供がいないと繋がりがない程度だと思うんですよね。 子供抜きでも一個人同士で付き合える、気が合うなら必要ないとは思いませんが、子供と旦那の話題をとったらそこには何も残らない、というだけの付き合いは「友達」とはいえない気がするのもあります。 私は子供の話や自分の家庭の愚痴や世間話などをあまり人と喋って楽しいと感じませんし、子供を通じてしか話題のない相手に子供の悩みを相談しようとも思いません。 あくまでも上辺だけの関係になってしまいそうです。 ただ、きっかけは子供を通じて知り合っても、子供の話を一切抜きにして自分達の趣味や個人のレベルで気が合う友人なら、それは自分の「友達」といえると思います。 それ以外の人はあくまで「●●ちゃんのお母さん」であったり顔見知り、知り合い、であり、わざわざ「ママ」に「友」をつける意味がよくわかりません。 友達なら「友達」でいいと思うので。そうでないということは、ママであることでしかつながりがない、みたいな感じでなんだかなあと思ったりします。 ちなみに、仕事友達、とも習い事友達、というのも自分にはちょっと理解できません・・ あくまできっかけはなんでも友達になったら友達、であり、そこまで行かない人はあくまで知り合い、仕事の同僚、であると思ってます。 友達になった時点でママであるとかは関係ないかなあと。あくまで「ママ友」と呼ぶ人って、子供を中心とした繋がりがメインなのかなあと思うので、それだとあまり自分にとっての友人、だとは思えないかもしれません。

  • onegai1
  • ベストアンサー率32% (154/468)
回答No.2

回答にはならないと思いますがお邪魔します。 まず、ママ友って子供を通して知り合う人のことだと私は思っています。 私にも学生時代からの友人で同年齢を持っている友達がおり、家族ぐるみで仲良くしていますが、彼女をママ友って呼ばない私がいます。 勿論他にも私が私として知り合った友人達をママ友なんていう風には呼ばないし、子供を産んでから知り合った友人でその方に子供が居ない場合もママ友とは呼ばないです。 私個人で知り合った友人は子供が絡んでもややこしくなりません。 が、しかし子供を介して知り合うと、時に「うっ面度ぅ^^;」ということがあります。 やはり自分の子かわいさから、何気ない一言に傷ついたり。。(悪気なんてなくても。。デス) また子供がまだ自我が芽生えていない時に知り合っていれば、自我が芽生えた時の性格の合う合わない(これは本来はいっときのことなので真剣に考えなくてもいいのですけど、イガイにこれ悩まされるんですよ)なんていうのもありです。等々。。。 私も以前とても仲が良かったママ友がいました。アルバムを見ると本当によく遊んだなぁと思えるほどです。しかし子供が大きくなるにつれ、子供同士のトラブルも多くなりました。 今思うと、そんなんで。。。と思えるのですが、あの時はお互い第一子でなにもかもが超初心者^^; 少しずつ出来た溝はどんどん深くなり、今では連絡さえ取り合っていません。 私の中では今でも悔やまれる出来事のようにも思います。 しかし私はこれをいい経験と捕らえ、出会うことに躊躇いはありません。 いつか。。彼女に会うことがあれば、きっと今なら笑顔で声を掛けれる!そんな風にも思います。(今は住所も電話番号もわからないので^^;) 人は真剣になれば真剣になっただけ見えなくなるものもあるものです。 子供が大きくなれば、親も成長し、色々なことを学びます。 最初は躊躇う出会いもあるけれど、悲しい(辛い?)出会いより、いい出会いを沢山経験すれば「あぁ簡単なことだったなぁ」と思えるときが来るのだと思います。 ちなみに・・長男が通っていた幼稚園の園長先生が「今の時代にお互い様というのは通用しなくなってきているようです。」っておっしゃっていました。 気にしない人を。。。。と言ってたり、気にし過ぎると。。。。と、どちらにしてもケチがついてしまうんですよ。

  • kmkmkm26
  • ベストアンサー率21% (5/23)
回答No.1

こういった場所で相談されているママ友関連の内容を読んだことありますか? 実に下らないですよ。 悩んでる人がではなく、そこに登場するママ友の関係がね。 私もそうですが、ママ友を否定する多くの人は、そのくだらない人間関係を否定しているのではないでしょうか? そんな事で悩む必要はない。ママ友なんて居なくても大丈夫だよと言いたいのでは。 だってママ友の事で悩んで健やかに育児が出来ないなら、いないほうがいいと思いませんか? 質問者さんの仰るような良い出会いや関係を否定してるんじゃないと思います。 ママ友を作らなきゃ母親失格だと思っている人や、我が子が見えなくなっている人が多いように感じます。 中身なんて無視なんですよ。ママ友と言うものにステータスを感じてるだけなんですよ。

enpitu89ka
質問者

補足

まさに、私が不思議に思っているのは、そこです。 質問者さんの言う「くだらないママ友」は、ママ友だからくだらないのではなく、くだらない付き合い方をしていることがくだらないのですよね。 でも、ママ友否定派の人たちって「ママ友だからくだらない」という仮説のもとに語る人が多くありませんか? 入り口からシャットアウト!という雰囲気。 私は、AさんとBさんの付き合い方はくだらないというか、もったいない付き合い方しているなと思っても、それをママ友だからと、ママ友の象徴としてはとらえる必要はないと思うんですよねー。