- 締切済み
無くして行く記憶とどう付き合えばよいのでしょうか?
- 仕事のしすぎで徐々に記憶喪失していくのが分かるのですが、これ以上進行を止められそうにもありません。
- 過去の楽しかった思い出やつらかった記憶が失われていく事が悲しく、かつ恐怖を覚えています。
- 心の折り合いをつける方法や人生訓を持つ方、良い考え方を知っている方からのアドバイスをお待ちしています。
- みんなの回答 (5)
- 専門家の回答
みんなの回答
前回の質問内容を見て、痴呆の始まりじゃないかと思いました。 と言いますのも、私の姑が痴呆の初期に全く同じ症状だったからです。 今はもう90歳を超える高齢で、痴呆もかなり進んでいます。 痴呆は早めに治療をすると治ると聞いています。 私の知っている痴呆の病院としては、岡山県笠岡市の、きのこエスポワール病院が有名です。 舅を連れていった事がありますが、外来で見てもらった結果、舅は痴呆ではありませんでした。 姑は痴呆の病院は嫌って、この病院へは行きませんでした。 老年期の認知症に早くから取り組んできた名病院で、大変評価の高い病院です。 一度外来で見てもらってはどうでしょうか? 出来るだけ早い方が良いと思います。 http://health.yahoo.co.jp/hospital/detail/7877/
忘れてしまったことを忘れてしまっていることが無数にあることをだれも認識することはできません。また一得一失とも言います。意外に傲岸不遜の性格だったりしないでしょうか。
- OldHelper
- ベストアンサー率30% (761/2514)
かなり神経細やかな方とお見受けしました。 わたしはノンストレスで生きてきましたので、全く違う感覚だと思います。 現在60代半ばですが、用事があって2階に上がって、 「はて、何しに上がってきたんだったかな?」と思うことはしばしばです。 買い物に行くときに、3項目までは覚えていますが、それ以上は 忘れてしまうことが多いです。 思い出せないので、そのまま帰りますが、家に入った途端に 思い出すこともあります。 これらの感覚を、どなたかが「老人力」と命名されました。 わたしは老人力が徐々について来ていることを楽しんでいます。 頭のキャパシティは、年とともにどんどん下がって行きます。 脳細胞は毎日数百以上の単位で消滅しているそうです。 わたしのような酒飲みは数千単位で消滅しているかもしれません。 大切なことは、PCに記録する様にしています。 週一程度でバックアップも取るようにしています。 買い物メモなどは携帯のメモに書くように心がけています。 だけど、ふと思いついたことを探そうとして、どこに記録していたのか いくら考えても思い出せないときがあります。 記録してそうなところを探しても見つからないこともあります。 これも老人力です。 老人力には逆らえません。上手に付き合うことです。 記憶力だけではなく、体力にも老人力は付いてきます。 できていたことが、どんどんできなくなるのが老人力です。 今しかできないこと、今の体力、気力、時間的余裕、経済力など 勘案して、今日しかできないことを選んで「今日を充実させる」 生き方をお勧めします。 今日も一日、充実した一日だった、と思って眠れるようにしましょう。 過去は変えることはできませんが、未来は変えることができます。
- kano20
- ベストアンサー率16% (1172/7073)
40代です。 私がまだ学生の頃、同居の祖母が記憶障害になりました。 医者から薦められて「日記」を書いていたことをよく覚えています。 当時の医者は「まだら呆けです」と診断していましたが、それでも日記を書くことで祖母の気持ちは安定していた様子でした。 時折「昨日の日記を見て驚いた、書いた覚えが全くない」と話してくれましたが、戦後の混乱や祖父との馴れ初めなども書かれており、孫としては驚いたり勉強になったりする日記として今も娘である私の母親が保存しています。 日記もブログもあります、今の記憶を書きためておくという事をお薦めしたいと思います。
- Komiker
- ベストアンサー率16% (83/518)
私にはそのような経験がありませんが、思うところを述べさせてもらいますね。 <過去の楽しかった思い出やつらかった記憶が失われていく事が悲しく、かつ恐怖を覚えています。 とお書きのところからは、あなたのこれまでの考え方生き方が過去の経験、記憶に依存するものだったのではないかと思えます。つまり、いま生きている場は現在ただいまなのに、意識は絶えず過去を背景に、そこからの思いに左右されているということです。 このような生き方、発想の人は珍しくありませんが、上記のような思考形態に疑問を持たない間は(そこから)転換することが難しいのではないでしょうか。 <このような事態にどのような心の折り合いをつければ良いのか いまとその連続である未来に生きる人には、このような発想は生じないのではないでしょうか。 日々生起する現象を先ずは受け入れ、いまの自分にできることをするだけ。それ以上はなく、それ以下もない。いかがでしょうか。
お礼
遅れてしまいましたが、御礼申し上げます。 回答ありがとうございます。 > 私にはそのような経験がありませんが、思うところを述べさせてもらいますね。 > > <過去の楽しかった思い出やつらかった記憶が失われていく事が悲しく、かつ恐怖を覚えています。 > とお書きのところからは、あなたのこれまでの考え方生き方が過去の経験、記憶に依存するものだったのではないかと思えます。つまり、いま生きている場は現在ただいまなのに、意識は絶えず過去を背景に、そこからの思いに左右されているということです。 そうです。一生懸命やって来た事があったからこそ、それを自信に、土台にして生きているようなものです。 もとより何も無い自分自身を無根拠に信じるという才能がありません。 「こんな自分で大丈夫なのだろうか」と自信が無かった原点から、疑問や問題にぶつかりながらも実績を積み上げ、そうした積み上げた根拠があったからこそ私という自我が保たれていたのだと思います。 かつ、組織に献身してきたのに何故こんな仕打ちを受けるのかと絶望する時もありました。 過去を振り切れずにいるのです。通常なら数年前の小さな事など忘れても良いように思うのですが、その時の事はよく憶えています。 「迷惑かけても数年後にはみんな忘れているよ」と言っていた方の言葉を未だに思い出します。 その言葉を言った方からどれほどの嫌がらせを受けた事か。 恨みつらみに思わないその周辺事項についてはどんどん記憶が抜け落ちて行っています。 私自身は記憶が無くなっている、という状況証拠が見つかる度に記憶喪失を順次認識している(時間を経るごとに記憶が無くなっていく印象)のですが、そもそも記憶が一気に無くなったのを順次認識しているだけで、現在はもう記憶が無くなっていないのかもしれません。ただこれからの未来に向けて記憶が失われるのではないかという恐怖は依然としてあります。 今こうして書いている中、思い出した過去で怒りがふつふつと沸いてきたのですが、それでは今の自分はどうかというと、上記の過去が原因となり心身ともに疲労困憊し、体も依然のように元に戻らなくなり「なぜ、どうして」と恨みに恨んでいる状態です。 > このような生き方、発想の人は珍しくありませんが、上記のような思考形態に疑問を持たない間は(そこから)転換することが難しいのではないでしょうか。 > > <このような事態にどのような心の折り合いをつければ良いのか > いまとその連続である未来に生きる人には、このような発想は生じないのではないでしょうか。 > 日々生起する現象を先ずは受け入れ、いまの自分にできることをするだけ。それ以上はなく、それ以下もない。いかがでしょうか。 そうですね。 過去の記憶は過去のものでしかない。 今の自分には今しかない。 質問した時にはそうでもなかったのですが、怒りが沸きだした今では復讐に生きる事しか考えられません。
補足
皆様、丁寧な回答を頂きありがとうございます。 遅れてしまいましたが、御礼申し上げます。 一つずつ読んでいます。 一つ申し上げなくてはならない事があります。 現在私の年齢は32歳です。 高齢の質問者を想定して回答して頂いた方に対しお詫び申し上げます。 大変申し訳ありません。 自分自身では記憶が抜け落ちていく事は自覚せず、「そんな経験は無い! 」と断定してしまうのですが、周囲の状況証拠から事実が浮かび上がり、「過去の自分はそんな事をやっていたのか」と今の私にとっての”新事実”の発見に驚くばかりです。 こうした事にとまどい、周囲にも相談できず、かつ以前の質問でもどう気持ちを構えれば分からなかったので、もしや知っている方が沢山いるのではないかと思い、シニアのカテゴリーで質問させて頂いた次第です。 騙すつもりはなく、プライバシーの問題もあるのでインターネット上で年齢も極力言いたくなかったのですが、皆様の親切なご回答に心苦しくなってしまった事で年齢を言う事にしました。 このような状況になり大変恐縮ですが、質問を継続させて頂ければ幸いです。 宜しくお願い致します。