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最近は普通の人との付き合い方が

最近は普通の人との付き合い方が 大変難しいと思ったりしますね 本来、人間はもっと高貴な考え方を 持っているのかな?と大きな期待感があったのですが 案外、幼稚な面も多く最近はそんなんで いいのかな?とさえ思ったりいたします、、、、。 質問と言うのは このようなギャップを感じた時に どう考え対処しましたか? あまり大した質問ではありませんが よろしくお願いします。

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回答No.1

 お互いの個性だなぁと思って、知らない世界でのやりとりなのだと覚悟していてはいかがですか?  幼稚というのも主観でそうなんで、幼稚ではないのかもしれません。  異なる世界のことかもしれないし、事情などがちがうのかもしれません。  一概に幼稚と思うのもためらうものです。  ちなみにいろんな障害をその方の個性として大事にすることも考え方の一つでしょう。

heyboy
質問者

お礼

そうですか、、、。 「覚悟」ね~ と言うかそこは自覚無いと言うか 理解出来ないですね、、、、。 まあ、たぶん自分的は人間のロジックは こうなんだろうと言う基準を作り上げて しまっている節があるので その思考から抜け出せないのかもしれません 、、、、、、、。 一応ヒントを与えていただきありがとうございました。

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その他の回答 (1)

回答No.2

 ANo.1  実は私だって無理(努力)して、そうだと思っていることですさぁ。  自分の視界や視覚が狭いのかもしれないし、知らない世界のことかも知れない。  大体、幼稚ということばと概念が自分の系統での下の段階ということですからね。  蛸さんやゾウリムシを幼稚とはいわないし、猿さんに対してもいわない。  それは違う系統ですからね。  人間にもいろんな系統ってあるんですね。へぇそんな人がいるのか、ってね。  それを幼稚とか何とかでなくどう括るかの問題でしょ。  ともに何かを一緒にできなければ、その異文化に変わってもらうか、同調してもらうかしなきゃならない。  そうでなければ、一緒にやっていく上での原則を立てなければ成らない。  だから単に幼稚といっているのは自分の幼稚を示すことに為りかねない。  仰せの事は分りますので、そういう人とどうやっていくかしかない。  しょうがないことですね。私はそして、とおりの向こうの路地からひょいと顔を出してまた居なくなる人くらいにお付き合いしますが。  違いのある人っているんですね。質問者と私も多分大きな違いがあるんでしょう。寂しいけど人間同士は仕方ない。  そして意気投合して、うれしくなることもある。そんなのが人生でしょう。かね。ご理解いただけるでしょうか?人生なんて、人間同士なんて損なもんだって事。  そして、本当のところは実はまったく変わってない、つまり実は全く同じでしかなかった人間。  そういうものなんです。何かを外すとね、なんだ違うと思っていたが同じだった。  でもそうしないうちは、そして現実生活では違うのが当たり前です。異文化です。幼稚だからかも知れないが、そういうカテゴリでは現実は片付かない。夫婦でも、親子でも。猫と私。雀と私。それは異文化なんです。

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