更には、洪水です。情報や物が洪水のようにあふれています。
人と水の関係にたとえれば、人が水の前に主体に立てば、波乗りのように、高波でもそれにうまく乗り、楽しむことができますが、水の前に対象の位置に立ってしまえば、普通の川でさえ、楽しむ以前に溺れ死んでしまいます。
何かを真に楽しむには、主体性が必要なのです。水に流され、波に翻弄され、溺れ死なないように・・・
さて、今や欲しいと思えば、情報でも知識でも物でも何でも手に入る時代になりました。
提供する側が企業である以上、利潤を追求しない会社は存在しません。
売れるためには、人間の欲求や欲望を刺激し、そこに訴える以外ないのです。
その欲が男を骨抜きにしたとも言えるのです。
欲に生きれば生きるほど、主体性は失われていくのです。
たとえば、テレビを見る行為さえ、自分が好きで見ているかのように見えますが、テレビ局の戦略にのせられ、そう仕向けられていることに気づかないでいるのです。
自分が見ているのではなく、見せられているのです。テレビ局が視聴率アップのために研究し、人間の欲望を刺激したからです。
欲望と主体性は似ているようで違います。
ここに食べ物に飢えた人がいるとします。
そこに食べ物があれば、盗んでも食べたい境地だとします。
ここで主体性を発揮する人間は、正当な方法で食べることを許可されたとしても食べようとしません。
何故かと言えば、この世界の飢えで死んでいく者の気持ちを理解するチャンスだと思うからです。
普段、何でも食べられ、満たされる世界に生きる者にとってみれば、飢えたくても飢えるなんて経験はできないのですから、飢える世界、飢え死にするような体験は貴重すぎる体験なのです。
だから、腹がどんなに減っている状態で、食べていいよと言われてもすぐには食べようとしないわけです。
主体性とはこういうものです。
一方欲望に生きる者は、一目散に食事に向かいがむしゃらに食べるしかないでしょう。
それはそうです。腹が減りまくっているわけですから・・・本能であって主体性でも何でもありません。
どうでしょうか?少しは主体性の世界がわかりましたでしょうか?
欲しい物が簡単に手に入れられる社会で生きた人と簡単に手に入れることのできない社会で生きた人では、人の資質が全く違ってくるのです。
まして、男性の脳は女性の脳のようなマルチモード対応型ではありません。
同じくらい重要な内容の事柄でもワンモード対応型の脳なので、同時に二つのことができないのです。
その代わり、専門を極めるには適しています。しかし、一旦ハマったら抜け出せない欠点があります。
男性にオタクやメカ好きが多いのはそのためです。
企業がその弱点を突いて男性の購買欲や知識欲や情報欲を煽るのは、いとも簡単なことなのです。
逆に言えば、この洪水の中を生き抜くには、真の主体性を持つ以外ないわけです。
真の男になるかダメ男になるかは、この洪水の中に飲まれるか、飲み込むかで決まるのです。
私などは、その正体がわかっているので、新聞もテレビも基本的に見ることはありません。
読んでいるのではなく、読まされているからです。見ているのではなく、見させられているのです。
洪水のように、多くの情報や知識が流れてきても無用なものは無用なのです。
欲望を刺激させられ、洪水に飲み込まれるのは、恥ずかしい生き方ですね。
まして、男なら・・・
お礼
そうですよ。女は他人の不幸が大好きですよ。 男も、不細工と美人にはそれぞれ態度が違うし、親切に接してきたとしても、下心ありきなので、全然ピュアじゃないです。