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ハリー・ポッターについて。
ハリー・ポッターについて。 わたしはハリー・ポッターが大好きなのですが、7巻を読んで、イマイチよく分からないところがあるんです。 リリーとセブルス・スネイプが決別してしまった後、どうしてリリーはジェームズに気が向いたんでしょうか? 『傲慢でなくなった』『友達思いだ』というだけで、大嫌いだった人を簡単に好きになれるのでしょうか? 読解力なくてスミマセンm(__)m お願いしますm(__)m
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セブルスを虐めなくなったから、相手を見る余裕が出来たのかな~と思いますw 虐めたりするジェームズは嫌いだったけど、それ以外は好きだったんじゃないでしょうか 嫌いってことは、少なからず意識はしているんだと思います なので、少しずつ中身が見えてきて、そこに惚れたのかな~ってw そうだといいなw
- lomon
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私も理解力が乏しいのですが、ちょっとだけ『不死鳥の騎士団』下巻P392あたりの文章から想像すると、 1-ジェームスとシリウスはいわゆるイケ面で快活でした。学内では良い意味で目立っていたので リリーも嫌いというわけではなかった。しかしジェームスは『闇の魔法』が大嫌いだったので 『闇の魔法』に夢中になっていたスネイプとは呪いをかけあう険悪な仲だった。でも幼馴染である リリーはスネイプの味方をせざるをえなかった。(心ならずも・・) 2-ジェームスが表面上スネイプを攻撃しなくなったのと、リリーがスネイプと仲違いした事もあって 七年生から付き合いはじめた。つまり最初から嫌いというわけではなかったのです。 小説でも映画でもメインテーマとサブテーマがあります。この小説の場合メインテーマが『ハリーの 成長物語』とすればサブテーマは「スネイプの純愛物語」なんですね。涙出そうでした。かなわぬ 愛を貫きましたからね。 さて、ここから先はネタバレなのでハリーのシリーズを最後まで読んでいない方は絶対見ないでくださいね。あなたもですよ。 このシリーズで非常に残念に思ったのは最後の章・エピローグですね。最後の対決から10数年後、 ハリー達の子供が出てきちゃいますね。これが余計なんですね。優れた小説・映画ではラストから先は 読者・観客の想像にまかせて終わります。それで人ごとに違う未来を考え忘れられない名画・名作に なるのです。つまり余韻ですね。ハリーの最後は余韻なしで終わっているので、ちょっとプロの小説とは 思えないんです。もちろん話は面白いし大好きですよ。でも最後にぶち壊しちゃったなぁと感じました。 たとえば、ハリーとジニーは結婚するのか? ロンとハーマイオニーの仲はどうなるの? ドラコはダンブルドアを殺そうとしたんだから親子共々アズガバン行きだよな・・とかいくらでも想像できて一生心に 残る名作になれたのになぁと。 私がこの映画の監督をするとしたらラストはこうします。 まず、戦いの犠牲になった人々をカメラを移動しながら映します。身ごもりながら亡くなったルーピン 夫妻、双子の一人を亡くして悲嘆にくれるウィズリー家の家族、ロンの隣で泣いているハーマイオニー、 耐えられずに校庭に出て行くハリー。あちこちに倒れている犠牲者達。ハリーの顔のアップからカメラは しだいに上空に昇り、戦場になった校庭全景を映してENDマークが出て終わり。余韻タップリ。 でもどうしても小説のラストは蛇足、カエルのしっぽですね。無いほうが自然な気がします。 『風と共に去りぬ』でもヒロインがバトラーに去られ一人ぼっちになっても、「明日がある・・」と 女一人でタラの大地を生き抜こうとするところで終わるから、余韻が残り忘れられない名作となるの ですね。これが10年後、別の男と結婚して子供が三人生まれました・・めでたしめでたしーで終わっ たら、まるで名作にはならなかったかもです。「過ぎたるは及ばざるがごとし」ですね。 でも、もし『ハリー・ポッターの子供たち』というシリーズが新たに始まるのなら、この無用な エピローグは新シリーズのプロローグとなるわけですから、意味が無いどころか、大変重要な場面に なるのですね。新シリーズ? に期待してます。 長文失礼しました。