勾玉=胎児説について
最近日本の古代の勾玉の形状のルーツについて調べたのですが、そのうちの、「胎児の形状を模した」という説に関して質問です。
確かに生命の象徴である、という点で何となく神秘的な印象の説だと思うのですが、
だとすると古代人はどのようにして胎児のカタチを知ったのでしょうか?
確かに、胎児のレントゲン写真と勾玉の形状は直感的に似ていると思えなくもないのですが、古代にそんなものがあるわけでもなく、
さらに、生まれた後の赤ん坊では形状のイメージは重なりにくいと思います。
…まさか他の方法で胎児を見たとは、思いたくないですし;
どうやら「レントゲン写真で胎児を側面から写した写真」とは似ているとは思うんですが、それ以外ですとどうにもイメージがリンクしません。
この点皆さんはどのように解釈しているのでしょうか。
何かご存知のことがあればお教えいただきたいです。
お礼
本当にありがとうございました!!