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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:アスペルガー障害と言われるものについて)

アスペルガー障害とは?

このQ&Aのポイント
  • アスペルガー症候群は知的障害の一種ではない
  • アスペルガー症候群は個体差を理解するための分類
  • アスペルガー症候群は特定の分野での優れた能力と社会的な困難を特徴とする

質問者が選んだベストアンサー

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noname#113753
noname#113753
回答No.19

>この「アスペルガー症候群」とは「知的障害」の一種だと思いますか? どの本でも知的障害とは無関係や、知能は平均以上と書かれています。 >単に人の得手不得手、何でもかんでも分類しようとする学者のエゴのような気がして仕方ありません 確かにこういうことも言えると思います。 障害と長所は同じものだと言う意見も聞きました。 ただ、これを言えば全て障害が無くなると思います。 アスペルガー症候群とは”脳機能の偏り”です。じゃあ足を失って杖を使っているのは個性であり、障害とは言わないのか。 極端な例えですよ。 かつて同性愛は精神疾患であった時代もありましたが今は違います。結構解釈で変わってしまう面もあるのかもしれません。 質問者さんの指摘は普通の発想であると思います。 しかし、それは正しくなく、肉体的にどう頑張ってもうまくいかずうまくいかないから障害なのでしょう。 >自分も人見知りします。コミュニケーション苦手です。KY発言で場を冷めさせることもあります。嫁にも本心を話せないです。凄い音痴です。体は硬いです。計算苦手です。人前に出るとあがって話せません。よくカミます。etc・・・ >でもそれが「障害」とは思いません >人には(しつこいですが)出来る事と出来ない事があります >出来るから「普通」、出来ないから「障害」と言うのは違うのではないかと思うんです 出来る出来ないと言うより、体の状況上不可能なのです。 苦手というより体の状況上、人の感情が分からなかったり妙だと思われる行動を取る。 走る事が苦手と足がないの違いです。 だからASというのです。 相貌失認が酷いと成人していても自分の顔の記憶も出来ませんが、これも人の顔を覚えるのが苦手に含まれるのでしょうか。 >「出来ることは手を貸す、出来ないことは手を借りる」 話が逸れるのですが一応。 ASの方にはASだと気づいていない人もいれば、努力してもうまくいかずに思い悩んでいる人もいます。 専門家の指摘によると、自分はASだと言っても家族すら認めないケースは多いそうです。 つまり出来ないから手を貸してと言っても貸してくれないことも多い。でも、そういう面でAS診断は少しは訴えやすくなるという良さはあると思います(逆に詐称と言う問題も考えられますが)。 差別はどの分野にでもありますけどね。 さてその努力しているASですが。人と仲良くなろう、自分を分かってもらおう、ASを説明しよう、このように努力しています。 しかし、脳がこうなので、いくら話しても理解してもらえず、仲良くなろうとしても絶交されるという人生を歩み、友人や家族への警戒感や不信感となり、人生に絶望することもあります。 個性と言ったところで、問題と言うのは起きています。勿論ASと気づいていない程度のASの人もいます。 ところで「子」と表現されている方もいますが、子ども特有の症状ではありません。 子ども教育用の本が不思議と多いのですが。AS全般の本だと思って開いたらASの子への育て方の本だったり・・・。

thedayofbike
質問者

お礼

書き込みありがとうございます 皆さんの書き込みを読み、あちこちのサイトを読むほど深刻な方もいるのだと知りました。 自分の知識不足が恥ずかしくもあります。 ただ、やはり疑問も強くなりました 言い換えれば 『世の中の全ての人間には多少なりとも「障害」がある』 のではないかと・・・

その他の回答 (18)

  • silenos
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回答No.18

アスペルガーか高機能自閉症と診断された息子を持つ母です。 ですので、普通よりは少し詳しく知っているので、「知能障害」ではなく「発達障害」であると認識しています。 更に言えば、「自閉症スペクトラム」の一部であると思っています。 「自閉症スペクトラム」 丁度良いURLが見つかりませんでした。(中途半端でイマイチな情報ばかり) とりあえずこちらなど、お遊び程度にいかがでしょう? http://www.the-fortuneteller.com/asperger/aq-j.html アスペルガーの事を正しく理解して欲しいと思いますが、ネットの情報では難しいような気がします。 私は、こちらの本を推薦します。 「ぼくには数字が風景に見える」 http://www.1101.com/editor/2007-11-06.html サヴァン症候群でアスペルガー症候群の天才青年が書いた本なのですが、学者さんの説より、よっぽど説得力があり分かり易いです。 さて「障害」という言葉に違和感をお感じのご様子、そしてなぜ障害と判断されて家族がホッとするのか、と言う理由もご理解できないようですね。 例えば、体の具合が悪い人が、散々病院で検査したが長い間病名が分からなかった。 が、ある日病名が分かり治療法や対処法が見つかったら、とてもホッとしませんか? 親や当事者にとって病名なんて二の次なんです。今の苦しい状況を救って欲しいだけなのです。 親がレッテルを貼られて喜ぶ? 違います。検査を受けるまで、本当に葛藤しているのです。 「違う、うちの子は普通で障害などはない!」 私も検査を受けるまでは、とにかく「障害」という言葉に反感や嫌悪感を持っていました。 差別のレッテルを貼っているのは、当事者ではなく、何も知らない周囲の人間なのかもしれません。 が、事実を受け入れると、逆にストンと落ち着くのでしょうか?諦めが付くのでしょうか? その後のセンターでカウンセリングや授業を受けた結果、普段の生活がずいぶん楽にこなせるようになりました。 彼からは、あの時検査を受けて本当に良かったと感謝されています。 私も彼に対する言葉のかけ方や態度、考え方を理解できる方法を教えて貰えて、本当に助かりました。 アスペルガーの人の多くは、とても人が好きで仲良くしたいのに、相手の感情を理解できないため怒らせて嫌われてしまいます。 その理解できないレベルを簡単に言うと、脳みそのその部分がゴソッと欠落している。神経が繋がってないって感じです。 本人まるで無自覚、悪気も当然ありません。でも気が付くと一人ぼっちで、いつも怒られてばかり。 でも「君の脳はここが断絶しているけれど、こっちから回り道すればちゃんと繋がるよ」と何度も教われば、新しい道を作ることが可能なのです。 その断絶具合を図る目安に、細かい診断が必要で、判断基準がたくさん出来てしまうのも当然のこと。 で、体の一部分が壊れている状態なのだから、障害は障害でしょう。 聞き苦しかろうと目障りだろうと、それ以外の言葉を使おうと、結局は「脳神経の一部に障害があって、一般生活を送るのに不都合を生じている」と言う事実は変わりません。 得手不得手との一番の違いは、そこに意思があるかないかです。 運動能力は、努力で多少改善できます。筋力をアップしたり、フォームを改善したりとか。 コミュニケーションも経験で随分違ってきます。仕方を勉強してみたり、発声を練習したり。 いくら練習しても努力しても駄目、という場合は何らかの障害を疑うことになると思います…障害のある場合は普通の努力ではなく、特殊な努力が必要で、特殊な努力法は専門家の意見が必要になる、という理屈はわかりますか? 息子は一対一の会話なら十分理解できますが、一対複数になると集中できません。※授業・複数の友人との会話 聞く気はあっても、どこを見ていいのか分からなくなり(軽いパニック)仕方がないので、大好きな手遊びや余所見をして怒られてました。今でも苦手ですが、コツを教わってずいぶん改善できました。 人の目を見るのも恐くて出来ないのですが、ネクタイの辺りとか、鼻を見てしゃべるようにと指導を受けて大丈夫になりました。 ※「人と話す時は目を見て話せ」を言葉どおりに受けてしまうので、それまでずっと一生懸命恐怖をこらえて目を見て話そうと努力してた。 アスペルガーの症状の基準値に達している一般人はたくさん居ると思います。 診断を受けたほうが良い人も多いように思えますが、偏見や差別意識が強くて受診に踏み切れない人がほとんどだろうと感じています。 もっと簡単に色々な障害を「受け入れられる社会」になれば良いのに、と思います。障害も個性のひとつ、恥じる必要はないと。 長々と失礼しました。

noname#158453
noname#158453
回答No.17

NO11.15です。 これはあくまで私個人の見解なのですが・・・ 人間誰しも発達障害の要素は持っていると思います。問題なのは、その程度ではないでしょうか・・ thedayofbikeさんはご結婚もされている様ですし、社会の一員となって生活されていますよね。 障害名に捉われる必要ないと思います。 御自分の苦手部分と向き合い、それを改めようとする力があるのなら・・・私から見れば“個性”です。 一昔前なら“ちょっと変わった子”と言われていた子でも、障害名が付くようになっているのは事実ですよね。学校でもそうです。問題児=発達障害の疑い、と公式が出来ている様です。 確かにその傾向はどうかと思います。 排除するのではなく、個性を受けいる社会になってほしいですね。 ただ、やはり、娘の様に社会生活が困難な状態なら、障害認定は必要です。 育児を通して学んだ事なのですが・・・自己否定は決して良い結果生まないと思います。苦手な部分があっても、必ず得意分野はあるはずです。 御自分の自信が持てる分野に目を向けてみてはどうですか。

thedayofbike
質問者

お礼

重ねての書き込み、ありがとうございます ご意見を伺い、自分が「障害」と言う物に過剰にネガティブなイメージを抱えてるだけなのかという気がしてきました やはり理想主義なのでしょうね 高名な学者に言わせれば「~~障害」とか名前が付きそうですね 個性を受け入れる社会と言うよりも 個性を気にしない、他の人とは違って当たり前っていう社会になると良いと思います

回答No.16

社会的に貢献するのが「良い」ことなのです。 発達「障害」でけでなく、異常に「発達」しても、 その結果、社会的不適応を示すならば、それは 「障害」です。 逆に、現在のストレスの多い社会では、感性の ニブい事(バカ)が「優れた」性質だと言えます。 (政治家を見てて、そう思われませんか?)

noname#158453
noname#158453
回答No.15

NO11です。お返事ありがとうございます。 発達障害については、確かに“個性”とされていますよね。その個性の程度によって、健常、グレーゾーン、発達障害と分けられています。 なぜ分ける必要があるのか・・・それは、どれだけのサポートが必要なのかを知る為です。thedayofbikeさんがおっしゃるサポートと、発達障害児に必要なサポートは、違っています。 学校生活にしても、特別な配慮が必要になります。その配慮がなく、学校で問題児扱いされ、叱られて育ったお子さんは二次障害を引き起こす事もあります。いじめ、ひきこもり・・等が二次障害の有名な例です。 発達障害の症状は千差万別です。ただ、コミュニケーションが苦手だけではないです。 娘も分類上からすると高機能かアスペルガーに分類されます。コミュニケーションが上手に取れない理由は視覚優位で、耳からの情報は脳へ伝わりずらいです。そのかわり、目からの情報は一般の方より脳へ伝わりやすいです。娘は理解力はありますが、その為にはひと手間ふた手間手をかけてやる必要があります。 友達と会話したくて色々話かけますが、その場の状況にあわない事を言ってしまう事も多々あります。友達からすると“変な子”なんだと思います。 そんな娘ですから、特別な配慮が必要だと判断し、支援学級に在籍しています。 発達障害者に必要なのは“お互いに助け合って”レベルのサポートではないんです。 障害名にこだわる必要はないと思っていますが、子供の特性を理解する為に診断される事が必要な場合もあります。それは親のエゴではないです。 子供が少しでも社会生活に順応できるように、道筋をたててあげるのが親の役目だと思っています。

thedayofbike
質問者

お礼

拙い文章に重ねての書き込みありがとうございます 「一応は健常者」とされてる自分の言葉に、無神経さが現れてないかと心配です もし失礼な言葉があったのであれば申し訳ありません ただ、やはり思うんです 「障害」とは違うんではないかと 自分も人見知りします。コミュニケーション苦手です。KY発言で場を冷めさせることもあります。嫁にも本心を話せないです。凄い音痴です。体は硬いです。計算苦手です。人前に出るとあがって話せません。よくカミます。etc・・・ でもそれが「障害」とは思いません 人には(しつこいですが)出来る事と出来ない事があります 出来るから「普通」、出来ないから「障害」と言うのは違うのではないかと思うんです 自分は多分に現実を良く分かってない理想主義なのかもしれません それでも思います 人はそれぞれ得手不得手があり、互いに補完しあって生きていくものだと 誰かの助けが必要な部分が多いからと言って、それが「障害」だというのは間違ってると思います 書き忘れました・・・文章をきちんとわかりやすく書くことも非常に不得手です

  • awjhxe
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回答No.14

⇒得手不得手、何でもかんでも分類しようとする学者のエゴのような気がして仕方ありません 私も医者が何でもかんでも蔑視したがり,さも偉いかの如くこの種の精神的差別用語は以前数えて見ましたが軽く20以上ありました。要するに医者は空威張りしたいから際限無く精神的病名を付けては自分の名前を浮きただせたいが為に。思い付きで病名付け後に自分の名前が世に残るのを意識して頭空っぽとしか思い当りません。

回答No.13

>「知的障害」の一種だと思いますか?  身近にいないので判りません。 >単に人の得手不得手、何でもかんでも分類しようとする学者のエゴのような気がして仕方ありません  そうですね、何でもかんでも障害で片付けたり精神異常とする昨今の風潮にうんざりしています。  こういった話題は線引きが難しいのですが  普通に社会生活が送れるなら障害も個性だと思いたいですね。

  • motomoto12
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回答No.12

貴方が「健常者」と言われる方だから、こういう発言になるのかと思います。 健常者同士の仲間しか居ない、もしくは、一般的な「障害者」と言われる方しか知らない方なので こういう発想にもなるんだと思います。 どうもこうも思いません。 アスペルガーということで苦しんでいる人。その家族をマジかでみれば、このようなアンケートをしようと思わない。 そう思うだけです。 質問者さんの周囲は、平和なんだろうと思うだけです。 学者も好きでなんでも言っているわけじゃないしね。 それに、例えがおかしいし。 そういうことを言う人が周囲にいるならば、貴方の周囲はあまりにもおかしすぎる。 平和ぼけなのかもしれません。 アスペルガーに関わらず、知的、発達障害で苦しむ本人、家族を見ているので、すみません きつめの回答かもしれませんが。 接してみてください、彼らの助けに手を差し伸べてみてください、全てがわかります。 貴方なりの理解ができます。 アンケートにすべき内容ではないと思います。

thedayofbike
質問者

お礼

書き込みありがとうございます 率直な感想を素で書きますね 貴方は「人とコミュニケーションが上手く取れないこと」が「障害」だと思うのですか? 100m走の話はその延長線上からの例えです 大多数の人と同じことが出来ないことが「障害」なのですか?と問いたいのです 人にはすべからく得手不得手がありますよね? その得手不得手、得意不得意、極端に苦手なことがある、その程度の事で「障害者」と言われてそれを背負って生きなければならないのですか? 確かにアンケートにすることは失礼だったかもしれません。そこは反省しています ただ、自分としては「多数派の範囲に収まらない人間には病名を付ける」的な判断基準に不快感を大いに感じることは恥じる事はないですよ

noname#158453
noname#158453
回答No.11

発達障害児の母です。 皆さんの回答などを読んで、発達障害の偏見はまだまだ根強いのだと感じました。 発達障害の分類上、知的に問題の無い場合がアスペルガーです。ですから、知的障害ではないとされています。 診断されるのは、親の為ではありません。本人が生活していく上、どの様なサポートが必要なのか知る為です。 人の気持ちを汲み取る事が苦手な発達障害の方は集団生活になじめず、いじめにあう事もあります。どうして、人が嫌な思いをしているのか・・それが理解できないんですよね。 周りの理解やサポートと本人の努力で社会生活にある程度順応する事は可能ですが、それでも、根本的な問題(人の気持ちを読み取る事が苦手)は解決されていない場合が多いです。 発達障害に対し不快感を持たれるようですが、本人は苦しんでいる事も理解してほしいですね。偏見と差別のない社会になってほしいと祈っています。

thedayofbike
質問者

お礼

書き込みありがとうございます 「知的障害」とのくだり、自分の知識不足であったと反省しています ただ思うんです >周りの理解やサポートと本人の努力で社会生活にある程度順応する事 これは普通のことではないですか?と どんなに頭の良い人であっても、たった一人で社会の中では生きられませんよね? 何かを為す集団の中でもそれぞれの得手不得手を互いに助け、助けられ、補い合い、為していきますよね? 何か極端に苦手なことがあって、それが「コミュニケーション」であれ「100mを~」であれ「英語が~」であれ「数学が~」であれ同じことだと思うんですよ どう言えば良いか上手い言葉で表現できなくて申し訳ないのですが 「出来ることは手を貸す、出来ないことは手を借りる」 どのようなレベルであれ、それが当たり前の世界であれば良いと思い、また(自分にとっては)学者の権威付けのための屁理屈的病名も出来ないと思うんですよね

  • Oruko000
  • ベストアンサー率31% (335/1079)
回答No.10

No.1です。 お返事ありがとうございます。 ―「アレンジ力や発想力、応用力などが乏しい」というものが「障害」だと思うわけですね? こちらについてですが、友人に「アスペルガー」と診断された方がいます。 友人はとても優秀な方で私は「個性」だと思っていましたが、友人は仕事でつまずき「生きづらさ」を感じていたそうです。 例えば仕事で「会議室へ集まるように」と言われて、友人は会議室の入口でずっと待っていたそうです。 程度の問題もあるとは思いますが、「アレンジ力や発想力、応用力などが乏しい」、だから「障害」だと言うのではなく、自分が生きづらさという「障害」を感じたときに症状に照らし合わせてついた「診断名」であると思っています。 私個人が「応用力のない人」を「障害だ」という診断を下しているのではありません。

回答No.9

こんばんは、No.5です。 唐突ですが、「学校2」という山田洋次監督の映画をご存知でしょうか? 吉岡秀隆さんが軽度の知的障害者の青年を演じてらっしゃって、いただいたお礼を読んで、その中のワンシーンを思い出しました。 「ゆうやはいいよ、自分がバカだって、わからないんだから!俺もゆうやぐらいバカになりたかった!」 と、泣きじゃくる場面です。 ご指摘はまさにこの問題を指しているわけで、その根本をまっすぐついてくる感性に感心しました。 と、同時にこの問いにキチンと回答できない自分を恥ずかしく思います。 ただ、親子関係は様々です。 アスペルガーに限らず、親が障害を認めたとき=ありのままの子どもを受け入れたときに、スタートラインにたちます。 誤った対応を続けて、親子共に苦しんでいたケースも多いのです。 とりわけ日本は壁が高いですね。 あなたのような方が増えて、少しずつでも壁がこわれ、どのような障害も個性として受け入れられる世の中、願わくば障害に名前のいらない世の中がくるといいのですが。

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