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自分が親になることへの大きな不安
- 結婚して2年が過ぎ、最近、徐々に主人との子どもが欲しいと思うようになりました。しかし、過去の家族の問題や母親の行動により、自分が親になることへの不安が大きくなっています。この不安をどうやって乗り越えればいいか悩んでいます。
- 自分が親になることへの大きな不安を抱えています。母親との関係や過去の家族の問題が原因で、子どもを持つことに対して怒りや不安を感じています。友人に相談することもできず、一人で悩んでいます。
- 結婚して2年が経ち、子どもが欲しいと思うようになりましたが、母親との関係や過去の家族の問題が私の不安を引き起こしています。自分が親になることへの不安をどうやって乗り越えるか、どうすれば心の平安を取り戻せるか悩んでいます。
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思うところが浮かんだので書いてみます。 私は父と今く行っていません。 子供のころから色々とありました。 もっともその頃の事の一つ一つを思い出すこともありません。 そんな一つ一つはどうでもいいことで、事実として「上手くいっていない」のです。 そしてこれから先もこの状況をどうにかしようとも思っていません。 結婚をし、子供も生まれ家族になった今、「育ててもらった」という事にそれほどの恩も感じていません。 親とはそういうものだと思っています。 今では、逆の立場にもなりました。少なくとも子供に「育ててやっている」なんて感情は思いつきもしません。 そんな言葉はわけしり顔の「その他大勢」と大きな感情がぶつかり合った親子喧嘩の時に出てくるもの、という程度です。 私は今こう思います。 親子は親子であると同時に大人と子供です。 しかし、子供が成長し「世の中」の仕組みや構成するものを知り始め、ある程度になった時、それまでの大人というカテゴリーはなくなり、「人間」というカテゴリーになります。 つまり、年の上下や肩書、親、といったものと別に「人間」として人を見るようになる、という事。 あなたもありませんか? 「いい年して」とか「こんなところが子供っぽい」とか「信じられないほど醜い考え方」なんてこと。 それは親であっても教師であっても社長であっても同じです。 一人の人として相手を見るようになるのです。 あなたのお母さんも同じ。私の父も同じ。 「人間」として見た時に「嫌い」なのです。そう思いましょう。 親と見た時に情けない、と思うのであれば疎遠になればいいのです。 もうあなたは相手を見つけ夫婦になりました。立派な1単位です。 あなたが属していた家族から離れ別の1単位に属しているのです。 もう、過去の家族からは独立した存在なのです。 ですから、もう過去の事は過去の事としましょう。 そして母親が許せない気持ちに揺らぎがないのならば疎遠になればいい。 一人の「人間」として知り合い程度に付き合えばいいのです。 人は大なり小なり何かを人から背負わされることがあります。 けれど、背負ってしまった以上それは誰かに手渡すことはできません。 周りの誰かにできることはその荷物について一緒に考えアドバイスをし、感情を共有しようとすることぐらいです。背負っている人は相手に過大な期待をしてはいけません。 けれど、甘えていい人には甘えるべきです。 甘えないように努力をしてしまうと「甘えられなく」なってしまうし、「甘えてくれない」事によって傷つくのもまた、人間です。 言わんとすることはお分かりですね? お子さんの事よりもお母さんの事にウエイトのある質問でしたが、そちらについても経験から。 あなたの感情と子供の事は関係がありません。 子供が欲しいと思い、ご主人もそう思うのであれば何も躊躇する必要はありません。 あなたが想像する以上に子供は実に多くの幸せを運んできます。 何よりも駆け引きなしに幸福を運んでくれます。 この素晴らしさはきっとあなたもすぐに気づくでしょう。 私は初めに話した通り、全く父と上手くいっていません。 けれど、その理由の一つ一つが子供に対する接し方にプラスに働いています。 今、私が嫌った父と同じ立場になって、少なくとも彼と同じ過ちは犯すまいと思いますし、 男同士、という気持ちのいい関係を子供とは築いていけていると自負しています。 「大きくなったら一緒にお酒を飲みに行こうよ」 小学3年になった彼は私によくそう言います。 私が属したかつての家族はあまりいい点数ではありませんでした。 そしていま私は私の家族がいい点数をとれるように努力しています。 私もカミさんも子供も、みんなで努力をしています。 今、時々こう思います。 相変わらず父は嫌いだし、理解も出来ないけれど、その頃の彼もやはり未熟だったのだろうな、と。 私はまだ未熟です。 けれど、それを知っているから努力をします。 子供がいていい点数を取るべく努力できる家族がいて幸せです。 ビックサプライズなんてありませんよ。 本当に幸せだと感じるのは小さなことの積み重ねを改めて見た時です。 親も兄弟も、もちろん自分も含めてすべての「人間」たちは未熟です。 それはそれ。 子供は何物にも代えがたいまさに何よりも大事な存在。 これはこれ、です。 ま、そう気張りなさるな。 いつか親は死に、あなたたち夫婦は死に、子供たちも死ぬのです。 でも、その子供たちはどうにか大人になりまた子供を作るのです。 その輪廻の中では私もあなたも本当に小さな1ピースです。 何を考えてもその流れの中にさして影響もありませんよ。 わがままな親不孝者、と映っても、心の狭い人間だと映っても。 そんな「人間」は幾らでも居るものです。
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- marisuka
- ベストアンサー率38% (657/1685)
NO.1さんやNO.2さんの回答をお読みになった上で、なおそういった負の感情を消し去れないのであれば、「反面教師」と考えてはいかがですか。「私はそんな親にならないぞ」と。 そのためには、お子さんをとことん愛してやればいいんです。大丈夫、できます。本能ですから。男親は割と「生まれてから」親になるのですが、母親はすごいです。生まれる前から、もう母親になっています。 愛し方、ですか。これも簡単、毎日抱きしめて「○○ちゃんはお母さんとお父さんの宝物!」と言ってやるんです。いい子に育ちます。また、親もいい親に育ちます。 親御さんのことは、もういいじゃないですか、気にしなくて。まあおつきあい程度で。気持ちの上では、「あんな親にはならないぞ」で。 親は、子供を成人させた、または就職させた、または結婚させた時点で、もう親としての役目は終わってるんです。だから、気にしなくていいんです。親は、子供が一生懸命生きていてくれればそれだけでよしとしなければならないのです。それ以上のことは望んではいけないのです。だから、もういいじゃないですか。
お礼
そうですね、自分の中で身をもって体験した教訓として こうならないぞ、という風に考えるようにします。 通常の親への期待というものが、裏切られ続けて 最後は信頼ということもなくなってしまったような気がします。 でも、親もまた、私とは別のところで 「愛情を注いだ」はずの子どもに裏切られたと思っているのかもしれません。 けれど、そのことは、 1分、1日、1年、いろいろな沢山のことを積み重ねてきたことの結果なので それはそれとするしかないのだと思います。 回答をありがとうございました。
- hikarucou
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あなたの文章を読むかぎりでは、別にお母さんがあなたに不幸を背負わせているとは思いません。 だって学生の頃に事情があって産むことができず中絶したということは、不幸なことではあるけれど、それが直接あなたに影響しますか? それであなたはなにか人生を奪われましたか? 言っておきますが、一番傷ついたのは当事者のお母さんですよ? お母さんが平気で中絶したと、全然傷ついていなかったと思いますか? もちろん避妊できなかったのはお母さんの責任で悪いことです。 でもしょうがない時はあります。 その教訓をお母さんは言ったのでは?(あなたは同じことをしないようにね、と) それと孫の顔を見たいというのはまるで別です。 祖母として、そう思うことは当然でおかしいことなどありません。 あなたは自分の母親から「孫の顔なんか見たくないから産まないでね!」と言ってほしいんですか? たしかにお父さんのことは余計でしたね。 これはあなたが可哀想だと思います。 でも不幸不幸と言うけれど、それは全部あなたが自分に貯めこんでるだけで、誰もこれみよがしにさせてるわけではないんです。 人にはそれぞれ事情があります。 あなたには理解できないこともご両親の間であったでしょう。 結婚して親になろうかというあなたは、それをわかるようにならなければいけません。 といっても、実際親になれば嫌でもわかります。 そして子供の気持ちが今度はわからなくなります。 でも親子とはそういうものです。 後でわかりますが、親は最初から親ではないのです。 親だってあなたと同じ人間で、最初は子供で、大人になっても間違いはたくさん犯す、完璧な人間なんていないのです。 旦那さんの親がよく見えるのは、あなたの親と当然別人だからですから違うでしょうが、あなたの知らないこともまた抱えているかもしれません。 知らないのに勝手に決め付け思いこむのは辞めましょう。
お礼
中絶したこと、離婚したこと、 それらの事柄について怒りを感じているのではありません。 だって、中絶だって、きっとそのときは悲しかったに違いないし 事情があってどうしても生めなかったのだからその選択に至ったのだろうし それは、何も知らない私がとやかく言えることでないですし 離婚に関してだって、別れたことを恨んだりしたことはいちどだってなかったです。 お父さんがいなくて、大変ねぇ かわいそうねぇって誰かが言っても、 私には、母と弟、というのが当たり前の家庭だったから そりゃお金はなかったけど何がかわいそうなのかも分からなかったし。 そのこと自体を不幸だなんて思わなかったです。 それなのに、そのことを不幸だと言って 自分の気持ちのために、自分勝手に告白をしたり (決して、人生の教訓として私を諭すための告白ではありませんでした) 私にはどうしようもないことなのに事実だけをいまさらという時に知らされて 結局は自分のことしか考えていないことに怒りを感じています。 私たちは、親たちとは全然違うのに、 いつもいつも私たち夫婦の仲を確認してくるのも腹が立ちます。 自分と、子どもが違う(別人格)ということを、 本当に昔から全然わかってくれなくて、 そのことがずっと苦しかったんです。 確かに、私が勝手に思い込んで悲しんでいるようなところもあるのかもしれません。 許せない自分を、いつか許せるようになりたいです・・・。 回答いただきありがとうございました。
お礼
おっしゃることよく分かります。 幼い頃、父と過ごした記憶はほとんどなく、 いつしか気づけばもう、私の目の前には父親という存在はいなくなっていました。 そして、母と弟、というのが私の中の当たり前の家庭となり、 その頃母というのは強くて、絶対的な存在でした。 小学校の高学年ごろには、言われ得ぬ不安と違和感を感じ始めていました。 世界には、私よりも大変で、悲しい思いをしている人がたくさんいることは知っていたけど 自分の人生を絶つということを、ぼんやり考えたりしていました。 中学や高校のときは、独裁政治みたいだな・・なんてちょっと皮肉っぽく思っていながら それでも、どこかで信じたい気持ちがありました。 この場所は、「違う」んだとはっきりと思った頃から、 なるべく、目を開いて見ることをやめました。 過去のこと、と言っていただけて気が楽になりました。 いま囚われているのは、ただの呪縛なのだという感覚です。 その呪縛にキッパリと区切りをつけて、次に行かないとならないと思います。 私は、小さいころから、 将来自分に子どもが生まれたら、その子には私が感じた必要のない悲しみと絶望感を 感じさせたくないということはずっと思ってきました。 私はいま、彼と共に生きて ようやく自分らしく自由に生きられていると心から思う日々です。 その、過去(呪縛)のうねりとは全く別の あたたかい大きな流れに身を任せたいと思います。 回答いただきありがとうございました。 (回答を読み気持ちがいっぱいで 言いたいことがうまくまとまらず、すみません)