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創価学会では宗教の正邪の判断をするのに「文証(証文)」「理証(道理)」
創価学会では宗教の正邪の判断をするのに「文証(証文)」「理証(道理)」「「現証」の、三証というものがあるそうですが。 その内の文証は、宗教上の教義・主張が、経文等の文献上の裏付けをもっているかどうかという基準。 だそうですが、そうなりますと照らす経文等の文献がなぜ正しいのかが判りません。 それを書いた人 の言う事が正しいと判断される理由はなんでしょうか?
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創価学会では宗教の正邪の判断をするのに「文証(証文)」「理証(道理)」「「現証」の、三証というものがあるそうですが。 その内の文証は、宗教上の教義・主張が、経文等の文献上の裏付けをもっているかどうかという基準。 だそうですが、そうなりますと照らす経文等の文献がなぜ正しいのかが判りません。 それを書いた人 の言う事が正しいと判断される理由はなんでしょうか?
お礼
ご回答有り難う御座います。 団体内での論議はある範囲に限界を置いているのでは? 本来、宗教は無限、宇宙に関する成り立ちを理解して人々のお役にたてると言った趣旨のものではと思っておりますが、従って限界内での活動、論議、では宗教を語れないのでは、、、 限界を作ってあるのは団体内で大人物が出ては困るのでしょう。