• 締切済み

臓器移植反対

臓器移植反対 人が死ぬのを待つような制度はやめる方がよくないでしょうか? 脳死判定も実は本当に人の死であるか確認できないという話ですし。 私なら天命であると覚悟を決めますが臓器移植を待つ人々はなりふりかまわず命に執着して見苦しいです。 海外の移植を行う病院も今は日本人お断りとか特別料金を請求するようになってきました。 日本のイメージ低下にも貢献してます。 賛成のの方反対の方ご意見よろしくお願いします。

みんなの回答

  • mojitto
  • ベストアンサー率21% (945/4353)
回答No.13

#1です。 お礼を拝見しましたが、 例えば #10様のご指摘の通り 他の動物の命を犠牲にしてまで、命に執着するのは見苦しくないですか? 見苦しくないとすれば、ヒト以外のその他の動物は、犠牲にされて然るべきとでも? そして僕も感じた同感の疑問で#7様の指摘の通り、 輸血も拒否するんですか? 拒否しないのであれば、輸血と臓器の違いは? “死んでいる”人からもらうのと、“生きている”人からもらうのとは、価値が違いますか? 善意の重さは同じだと思うのですが… 仮にそうでなくても、昔の不治の病で、現在で特効薬が開発されたとき、そこまで命に執着しますか? それは見苦しくないですか? 結局はこの議論は“イヤな人は拒否できる”に尽きます。 質問者さまの考えは分かりましたが、臓器提供の意思を示して、かつ臓器が必要となれば欲しい僕にしては「はい、そうですか」に過ぎません。 意見の提示は結構。 個人の価値観の表明はご自由に。 でも反対、否定はご勘弁いただきたい。 特に個人の倫理から発する個人の価値観の押し付けは。 臓器が欲しい僕は、脳死になったら臓器を提供する。 これが僕の価値観なんで。

bataine
質問者

お礼

ありがとうございました。 自分も臓器を提供するし必要になれば自分も臓器が欲しいというご意見ですね。 私とは考えとは異なりますがもちろんお互いに優劣はありません。 死生観や人生観などの違いでことなる結論に達したのですから。

回答No.12

 私も臓器移植に反対です。 同じ早期移植が必要な患者がいるとして一人がホームレスで一人がVIPであっても差別されることなく移植が受けられるのなら反対はしません。  現実に心臓移植の手術をするために1億かかったなんて話しは良く聞きます。医療を受けられる子供はごく一部であり親から虐待されているような子供は助けることはできません。  医療がこのまま発展すると臓器移植を繰り返すことで200歳ぐらいの寿命になることも可能だと思います。その時にVIPだけが長生きしてホームレスは還暦を迎えることもなく死んでいく社会になるのでは無いかと思います。  今でもヤクザの脅しかもしれませんが「心臓に肝臓腎臓を売って1000万や」なんて話しを聞きます。  タイなどにいけばヤミで臓器を売買しているとの噂も聞きます。  せめて日本国内で合法的に移植が出来なければ素直に死を受け入れるのが常識だと思います。

bataine
質問者

お礼

ありがとうございました。 誰もが死にたくないのは当然ですが臓器移植によって延命を図るのには抵抗を感じます。 そういえばマイケルジャクソンが200歳まで生きるといってました。

noname#130365
noname#130365
回答No.11

Yahoo!百科事典によると、「臓器移植」は、下記のように書いてあります。 「移植される臓器は、生体腎移植のように健常人が自分の意思によって子や兄弟姉妹に提供を申し出る場合もあるが、心臓移植や死体肝移植などでは脳死患者から臓器の提供を受ける必要がある。」 私がここで述べる回答は後者、脳死患者からの臓器提供に限定します。 私は他人に臓器をもらってまで生き延びたいと思いませんし、自分の臓器も提供しません。 ですが、大人の場合は反対しません。 提供したい人は提供されたら良いと思います。 私が反対なのは、15歳未満の子どもの場合です。 臓器提供法が改正され、下記のように施行されることになりましたね。 「家族の書面による承諾により、15歳未満の方からの臓器提供が可能になる」 (施行日・平成22年7月17日) http://www.mhlw.go.jp/seisaku/2010/01/01.html (厚生労働省HP) 15歳未満の子どもに、大人と同じ判断力があるのでしょうか。 もちろんありませんよね。 だからこそ、「家族の承諾」が必要になるのです。 承諾するのは当然親になります。 でも、子どもは親の所有物ではありません。 たとえ我が子であっても、親が承諾する権利はあるのでしょうか。 私は「ない」と思います。 ご存知かもしれませんが、ドナーとして最適なのは、交通事故の被害者です。 交通事故の被害者は、体よりも脳に激しい損傷を負うことが多いのです。 しかし、それ以外の体は無傷で残り、しかも事故直前までは健康体である場合が多いので、「最優良ドナー」とされます。 全国交通事故遺族の会は、「他人の死」を前提にした脳死臓器移植に反対しています。 それは何故でしょうか。 下記は全国交通事故遺族の会のHPですが、ここから理由を抜粋しました。 『交通事故の被害者は、脳死移植の最優良ドナーと目されています。なぜなら事故の直前まで健康体であったこと、そして脳以外の臓器が無傷で残りやすいからです。 しかし今でも、交通事故の被害者への救急救護が十分になされているとはいえません。移植を前提にした救急救護が始まれば、助かる命を見捨てることになります。 「移植よりも救護」を、これが私たちが最も拘る理由です。』 http://www.kik-izoku.com/noushi-isyoku.htm アメリカ (キリスト教) と日本 (仏教) の死生観には、大きな違いがあると思います。 親戚にクリスチャンがいます。 その家族が亡くなったとき、遺体が誰もいない教会に置き去りにされていたので、皆、大変驚きました。 キリスト教の死生観では、脳死=死であり、遺体には何の価値もないと考えているように思います。 でも、日本人の場合、そこまで割り切って考えられる人は少ないのではないでしょうか。 特に子どもの場合。 脳死判定されたとしても心臓は動いています。 髪も爪も伸び、体は温かいのです。 そのような状況下で心臓を取り出すなんて、私にはできません。 たとえ、この子の心臓が誰かのためになるとわかっていても。 心停止まで待って看取った上で、静かに荼毘に付してやりたいです。 ある日突然、我が子が交通事故に遭い、脳死状態になったら… 何の過失も罪もない、全て加害者のせいだとしたら、なおのこと。 こんなに可哀相で残酷なことはありません。 親としては、できれば代わってやりたいと思います。 その上、臓器まで取り出すなんて、これ以上残酷なことがあるでしょうか。 突然のことで混乱し、承諾書を書いたとしても、絶対後悔すると思います。 子どもの臓器提供反対意見を書きましたが、もしも逆の立場だったら… 私は、ほかの子どもの臓器を提供してもらおうとは思いません。 病気は病気として受け止めなければならないし、親としては、そのサポートができれば良いと思います。 それが質問者様がおっしゃる「天命」だと思います。 ほかの子どもの臓器をもらってまで命を繋ごうとは思いません。 「命のリレー」という、レシピエントに都合の良い美談だけが取り上げられ、「何か」が置き去りにされていると思います。 「何か」とは… ドナー側の立場、その立場になった心情だと思います。

bataine
質問者

お礼

ありがとうございました。 脳死というのは稀な死に方で交通事故や運動中の転倒などしかないといいますね。 延命治療を施せば救えた命も臓器摘出にウエイトがあると治療を切り上げる可能性がありますね。

  • nama777
  • ベストアンサー率26% (183/699)
回答No.10

かなり変わった価値観の方ですね。 2点教えてください。まず、生命の問題に関してこれほどの持論を展開されるあなたは、当然、菜食主義者なんでしょうね。少なくとも掲示板の上ではこれほどの議論をぶった人が、その日の夜に肉だの卵だの食べている姿はちょっと想像がつきません。(というかおぞましい) 次にご自分はとうぜん菜食主義であられるとして、自分でない他の人が肉食をすることは認めますか? あなたの論理からすれば当然 「認めない」 でなければ話が合いませんが、あなたの周りは、ご家族も、ご友人も、肉食する人だらけでしょう。このような日々の問題はあなたの中でどう折り合いをつけられているのでしょうか。 ぶっちゃけ、あなたは日々 「生きにくい」 のではありませんか。人としゃべってもテレビのニュースをみても腹の立つことだらけではないでしょうか。

bataine
質問者

お礼

ありがとうございました。 あなたのご意見をお聞かせください。

  • iamyou
  • ベストアンサー率26% (31/117)
回答No.9

物事の見方には全て多面性が要求されると私は思います。あなたの臓器移植に対する見方は「悲観的且つ性悪説(性悪説自体、悲観主義者の一側面かも知れませんが)」に傾きすぎているように感じます。 この問題についてはいくつかの重要な「哲学的な世間的合意」が必要と思います。 (1)「人の死の定義」という事への合意。つまり、現在の科学では人が自発呼吸を停止しても生命維持装置に拠って十年単位の生命の維持が可能です。「脳死」状態は「人間」としては「死」に等しい状態であるが、いわゆる植物状態としては生きている、とも言える訳で、臓器移植は冷徹に表現すれば「植物を人のために利用するのと同等の行為」と言うことも言えるのではないでしょうか? ただ、植物と決定的に異なるのは、周囲に死に瀕した人にからむ色々の感情を持った別の人が存在する、と言うことでしょう。 なお、人が死んで新しい命と入れ替わっていくと言うことは人類が「永遠の棲息」の為に「進化」していく上で絶対に必要なことだと思います。故にいくら科学が発達しても、個人を永遠に行き続けさせるということは倫理的に否定されると思います。 (2)「天命」についての定義も時代と共に変わらざるを得ないのではないでしょうか? ホンの100年前までは人の摂取する栄養状態も悪く、衛生環境も劣悪、体力・生命力も脆弱でしたからちょっとした下痢などでも死に至ることは珍しいことではありませんでした。今でもこういう状態の国は沢山あります。その人の住んでいる世界がこういう状態であれば、幼児の内に下痢で死んでいくのも「天命」だと言う事になろうと思います。今のあなたは下痢になった時「これで死んでも天命である」として覚悟を決めますか? きっと医者に駆け込み治療だ、薬だ、と必死で?要求しますよね。臓器を移植する事によって自分の命が長らえる事が普通の状態になれば、その治療方法を求めることと「下痢」に対する治療を求めることとの倫理的な違いをどのように説明すれば良いでしょうか? 何を以て天命と考えるかは、その人の置かれた社会的な環境とその人自身の精神形成によって大いに変わるものと思います。 (3)人の命が経済力の有無によって価値付けるられる事に付いて、世間的な合意が必要でしょう。つまり臓器移植と言う治療手段が一部の金持ち階級だけの選択肢になる可能性が大きいのではないでしょうか? そうなると人の命の価値が個人毎に異なってしまいます。これを世間は容認できるでしょうか? 容認できないならば、この手段を取れる選択肢が誰にも平等に与えられる方策が必要ですね。 (4)臓器移植が提供者の倫理的善意(無償の行為)のみで運用されるべきか、あるいは何らかのメリット(例えば金銭的見返り)を受取ることを容認するか? という事への世間的な合意を確立する必要があります。現在でも貧しい国での臓器の売買の噂は絶えません。大変痛ましい事ではありますが、その人にとってそれが自分の命を長らえる最後の手段であれば、それを否定しきってしまうことはその人に対して死を求めていることに通じているようにも思えます。このことは昔日本でもあった血液の売買の延長線上と考えられます。こういう事を防ぐためには社会全体がそのことへの代替手段を用意する必要があると思います。私ももちろんこんな事は絶対にあってはならないとは思いますが。どうすればいいでしょうか? 余談ですが、私は血液も、その中で歴とした生体反応が行われているわけで、「形のない臓器」であるとも言えると思います。   私自身は臓器移植という救命手段が、上のような事について出来るだけ早く世の中に公明正大な合意を作った上で、導入される事が望ましいと考えています。また、あなたの質問への答えは、あなたご自身が上のような事への見解を作っていきながら、あなたご自身が見つけ出さなければならない問題であると思います。他人に回答を出して貰うべき問題ではありません。

bataine
質問者

お礼

冷静なご意見ありがとうございました。 今現在この国は国民的合意に至ることなくどんどんドナー義務化に向かってるのでは思うところがあります。 日本人の死生観と脳死は乖離が大きくそれに依存した臓器移植は賛成反対両側からもっと議論が必要だとおもいます。 できれば賛成か反対どちらかの視点で意見をいただければと思います。

  • ma3zu
  • ベストアンサー率27% (285/1036)
回答No.8

>海外の移植を行う病院~ は確か日本国内の臓器移植に年齢制限があって日本国内での手術ができず 仕方なく高額な治療費などを払って国外で手術をしていたけど その行った先の国の中でも移植を待っている人たちがいるにも関わらず 大枚払う日本人が優先される事に、その国内から病院などに対しても批判が出てたんじゃなかったっけ その年齢制限も撤廃される(?)みたいで 日本のイメージ低下には抑止がかかるかもしれません 早いとこ人工臓器が(ES細胞に限らず機械的なものでも)実用化して欲しい感じはします。 ES細胞の活用にもいかがなものかとおっしゃる質問者様には 機械的な人工臓器の発達がいいのかな。。。 天命と仰るけれども 天に与えられた命なのですから執着するものまた天命ではないのでしょうか

bataine
質問者

お礼

ありがとうございました。 >その年齢制限も撤廃される わたしはそのことも危惧しています。 臓器くれという一部の強い要望に応じて制度がどんどん拡大されていく。 今は自動車免許の裏にドナーカードを印刷するとかいわれています。 そのうち国民みなドナー登録ということになるのではないですか。

  • sotom
  • ベストアンサー率15% (698/4465)
回答No.7

その考え方ならば、輸血も反対なのですか? あ、エホバの方でしたらそうかもしれませんね。 臓器移植は強制ではありません。嫌なら拒否すればいいだけです。 独り者には分からないかもしれませんが、病気で苦しむ子供を持つ親であれば、 臓器移植をしてでも助けてあげたいでしょう。生に執着するのは、決して見苦しい 事ではありません。 日本人お断りに関しては、日本の医療制度が世界的に見ても遅れているため、 それに付き合うのがゴメンだからではないでしょうか。

bataine
質問者

お礼

ありがとうございました。 なぜかこの手の質問をすると人の上げ足取りばかりですね。 反対理由賛成理由を私の主張と無関係にご本人のものでお願いしたいです。

  • nidonen
  • ベストアンサー率55% (3658/6607)
回答No.6

> 私なら天命であると覚悟を決めますが > 臓器移植を待つ人々はなりふりかまわず命に執着して見苦しいです。  自分の親や子どもが「 臓器移植でのみ命が助かる難病 」になったとき、 「 天命だから覚悟を決めなよ 」と言えるんですか? 世の中の多くの人は、 命を救うためならできるだけのことをやってあげたいと思うのです。 > なりふりかまわず命に執着  法律なり学会で定められた手続きに則って移植を受けることのどこが 「 なりふりかまわず 」なんでしょうか? 根拠のない批判に過ぎません。 > 人が死ぬのを待つような制度  非常に限定された一面だけを捉えた見方ですね。他の方も書いてますが、 自分が死んだらどうぞ臓器を使ってくださいと意思表示しているドナーは たくさんいます。そんなドナーの善意を踏みにじる言葉で、大変不愉快です。 > 脳死判定も実は本当に人の死であるか確認できないという話ですし。  まさか、臓器移植はすべて脳死判定で行なわれているとでも? たとえば 腎臓移植は7割が生体腎移植で、残りは心停止移植ですよ。脳死からの腎臓 摘出は基本的に行なわれていません。適当な知識で批判するのは見苦しいです。

bataine
質問者

お礼

ありがとうございました。 >「 天命だから覚悟を決めなよ 」と言えるんですか? そうですね、医療技術が進めば進む程もっとさらに大きな矛盾が出てきますね。 最初から助からないならそこで諦めるしかないが金を出せば人から臓器をもらって延命できるなら誘惑に勝てませんよね。 >どこが「 なりふりかまわず 」なんでしょうか? 一例を挙げると募金を募って何千万と集めて余った金を自分の懐に入れてる人や、 某公共放送に夫婦で勤めていて高給取りなのに家を新築したから金が無いから募金をしていましたね。 >ドナーの善意 この辺も議論の余地ありではと思います。 善意の悪用、善意の強要、善意の洗脳。 >生体腎移植 こちらの方がもっと深刻ではないですか? 海外の貧しい国の人で目先の数十万のために腎臓提供して体に大きな傷跡のこしその後体調を崩しまともに仕事できず死ぬしかないようになった人もいるようですよ。

回答No.5

 捉え方次第ではないでしょうか? >脳死判定も実は本当に人の死であるか確認できないという話ですし。  何を以て「死」と判定するのかの問題でしょう。心肺停止で死とする方もいれば、脳死で「死」とする方。肉体が燃えてから「死」とする方。私は、身体としての死。つまり、脳死=死であると考えます。 >私なら天命であると覚悟を決めますが臓器移植を待つ人々はなりふりかまわず命に執着して見苦しいです。  死ねと天命を下すのもあるでしょうが、生きろと臓器移植を成功に導く事もあるでしょう。何も、天命=死とは限りません。

bataine
質問者

お礼

ありがとうございました。 脳死は死であるということが間違いが無いとしても脳死の判定は容易でなく間違いが起こるということです。 脳死の話は私の臓器移植反対理由の一つであります。 天命というのは私の中では人の死に依存しないことですか。

  • F2-A
  • ベストアンサー率26% (62/232)
回答No.4

>しかしES細胞を培養する豚やネズミを犠牲にしていくことに若干抵抗を感じます。 だったら質問者さんは薬をまったく服用しないということですね。 薬が製品化されるまでには動物実験は必要不可欠だと思いますが。 正直言って偽善者ぶらないでほしい。

bataine
質問者

お礼

ありがとうございました。 >動物実験 つねづね心苦しく思っています。 私も悪人の一人です、偽善者ではありません。