性同一性障害の当事者(女→男)です。
性同一性障害に限らず、その人が本当にイヤがることは本人しかわかりません(もちろん極論ですが)
自分ならば~という観点ですが、同様の悩みを持つ友人たちも同じように言っているので、かなり多くの人に当てはまると思われることをいくつか。
ところで確認ですが、お友達は女性として生まれて、男性として生きていきたいと思ってらっしゃるのですよね?(一応そういう前提でこの後は書きますね)
やっぱり女性だよね~とか、女性らしい面もあるよね~というような、女性的な面を肯定すること。
人は誰しも女性的な面も男性的な面もあるとは思いますが、その女性的な面を肯定できるくらいなら、こんな悩みは持たなくて済むのですから(厳密には断定できないと思います。話をわかりやすくするためにこのような書き方をしましたが)
○○ちゃんが男でも女でも、自分には関係ないよ、どちらでも同じ友達だよ~というような言い方。
多くの人が言いがちなことです。こう言われてイヤでない人もいるとは思います。
でも、もしかしたら友人が離れていくかもしれない~というリスクを取ってでも、性同一性障害だということをカミングアウトした気持ちを考えてみてください。
男でも女でも関係ないという言葉は、そのお友達自身を肯定する言葉ではあっても、そのカミングアウトを否定することでもあります。
○○ちゃんが男性として生きていくとしても、自分は変わらず友達でいたい。
そのように伝えてあげてください。
ただし、そのお友達が本当に男性として生きていくことを選び、異性に恋愛感情を持つ人だった場合、ご質問者様に異性としての恋愛感情を持つ可能性はあります。
その時にあなたご自身がそのお友達を異性として考えられるでしょうか?もしかしたら無理かもしれません。その場合、残念ながら今までと同じ友情が続くとは限りません。
(特に自分自身の性別を変えたいと思わない人でも同性愛の人がいるのと同様に、性同一性障害の人にも同性愛の人はいます。どういう組み合わせが同性か、異性か、わかりにくいですがその人自身が自分をどちらだと思っているか=性自認が基準になります)
詳しく知らないと書いておられますが「性同一性障害」といっても、結構個人差もあります。
自分は同じような悩みを持つ人と多く知り合いましたが、性別に違和感を持っていることは同じでも、その度合いも色々で、性別ってグラデーションなんだな~と実感することもよくあります。
でも社会の制度はクッキリと2つに分けることを要求されるので、余計に生きていくことに困難を感じるのだと思います。もっとも、外科治療まで望む人は社会の制度とは関係なく、自分自身の身体に納得がいかないのですが…
お友達に直接「どのように接して欲しい?」と訊いてみてもよいかもしれませんが、ご本人もわかってないことも多いかもしれません。
よき理解者となってあげられるといいですね。