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心が触れる瞬間
こんばんは。 恋愛のカテゴリーで良いのかわからないのですが、他に適切な場所も思いつきませんので、質問させてください。 付き合っていない男女(特にお互いを嫌っていない関係)の間で、 体に触れていなくてもお互いの心に触れた(直接的な言葉や行動に表していない状態で) と感じる瞬間というものはあるのでしょうか? 実際私にはこのように感じる異性もいないのですが、小説やドラマ等には、 時々表現されている感覚だと思います。 しかしこのような感覚はやはり物語の世界の産物なのでしょうか? それとも実際にあるからこそ、物語の世界に描かれるのでしょうか? 「心に触れた」という感覚の定義も問題になると思います。 あったかい感じとか、それとも自由を感じるくらいとか…。 自分一人ではなく、相手も同じように感じているのかも気になります。 私は基本的に現実主義なので、このような感覚はフィクションであると思っていますが、 もし本当にあるのであれば、経験してみたい気もします。 大変わかりにくい内容で恐縮ですが、経験のある方がいらっしゃいましたら、 どのような相手(男女間であれば恋愛相手・師弟・友達等関係は問いません)と どのような場面でどんな風に感じたか等、お教え頂けると幸いです。 不足がありましたら補足致します。 よろしくお願い致します。
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・どのような相手 私の関係者?の多くが知りあって5年以上の異性で、たいがい彼氏がいるので恋愛関係じゃないはずなんだけど、関係性に少しだけ恋愛が入っている、という感じの友人が多いのですね。ほとんどのケースで今の彼氏よりも何倍も長い歴史があり、更に歴代彼氏の相談とか「彼氏に言えない相談」をされているので、極論すれば彼氏よりも、本当の彼女たちの姿を目にしているはずです。そういう人間関係ばかりだと、あたかも「彼女の心を手のひらでつかんでいる」感覚によく陥ります。それは、高慢な意味でなく、まさに大切なものを「素手で触れている」感覚と、「すっぽり包んでいる」感覚が両立した状態。イメージ、両手で大事に包んでいる感じでしょうか?違う場面では、彼女の心と私の心が、ケーブルで接続されたような?伝わってくるもの、流れ込んでくるもの、そんなこともあります。向こうがどう感じてるか聞いたことがないのでわかりませんが、私サイドの感覚では確実に、そして頻繁に、おっしゃっているような「事実」は存在しています。 ・どのような場面 一番多いのは、相手が自分を心のそこから頼ってくれている時です。大変僭越ですが、どうも頼りになるらしく、上記のように、彼氏へするよりも素直な話をおそらくされています。そういう時は、多分相手のコは自分自身の気持ちを私にに理解して欲しい、という意思がとても強い状態なんでしょう、ものすごい量の「想い」が、自分に流れ込んできます。あ、その想いって、私に対してじゃなく、彼氏さんだったり、そのコの人生だったりそういうことについての想いです。一方手のひらで包んでいるようなケースは、穏やかに、柔らかく、何かを決意したりしたような話をされる時になります。なんか、手の中に飛び込んでくる感じがしますね。すぽって。そのコが今持っている感情が、シンクロします。あ、嬉しいな、とか、がんばるぞ、とか。場面というよりは、そういう時の話の内容になっちゃいましたけど、こういうのは形じゃないんでしょう、どんな想いでいる時か、という意味での場面です。 ちなみに、自分の人間関係が圧倒的に異性中心なのでアレですが、同性でも上記は特に変わりません。男と恋愛なんて一生御免ごうむりますが、関係性において、尊敬とかあこがれとか混じっていると、同性でもどこか関係性に恋愛を帯びます。そういう意味では、恋愛関係にないと、上記は成立しないのかもしれません。でも確実に言えるのは、自慢じゃないですが私もう長いこと彼女いませんので、上記の話に私の「恋人」のケースはひとつも含まれていません。無論昔彼女とそういうことあったように記憶していますが、昔すぎてよく覚えてませんもので。
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- aston2000
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偶然の産物と必然の産物があります。 偶然はたまたまです。 必然は相手の性別が何でどういう思考回路であり、何をどのように考えるかをわかっていて、相手の環境からどうくればこう返す、といったものが自明であるからこそ必然的に心に触れることができるというもの。占い師、カウンセラーなどがまさにそれです。彼らは何もスピリチュアルなわけではなく、論理的、学問的、統計的にわかっていてやっています。
- tamusai
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二度ありました。 初対面の男性。相手が誰かも知らないまま目が合い 一瞬空気が止まった感じ。 あの感覚は忘れられません。 お互いに不思議な絆のようなものを感じました。 なぜか相手も同じことを感じているってわかるんです。 彼はその後、わたしのだんなさまになりました。 あれから10年ほど経ちます。 最近同じ感覚、同じ経験をしました。 お互いに背負うものがある立場での出会いですが 瞬間に陥るこの感覚には理屈は無いようです。
- kazefuku4
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ふとした折に目が合って、周囲は白黒になり相手だけが鮮やかに目に飛び込んできました。 お互い好意を持っているけど、付き合ってはいない、そんな時期でした。 ある時は仕事の話をしているのに、相手の瞳だけが目の前に広がり話は遠くから聞こえているだけ、私は返事はしているのですが、魂は目に集中してしまって。 相手が落ち込んでいる時、顔だけが真っ暗で目鼻立ちが全く見えない事もありました。もちろん光の加減ではありませんでした。 壁から突き出した靴の先っぽだけで相手だとわかった事もあります。 結局ふられてしまいましたが、私にとっては運命の人です。この人以外は愛せません。一生独身覚悟です。
- blazin
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あると思いますよ。 ただ、いきなり触れられるものではないんですよね。 触れる事が出来る距離に二人が向かい合えてる状態があって、その中でコミュニケーションを通してお互いを受け止めあう中で。 その受け止め方が凄く近い距離になる事がある。 それは近くで受け止めたいという一方の気持ちだけでは駄目で、自分を素直に伝えられるなという手ごたえを相手も感じていて、その流れで自分を曝け出す事が出来る状態があって。自分にとって自然な形で相手が自分の近距離に寄り添ってくれる感覚。それが凄くスムーズに成立する時があるんですよね。 偶然の産物でありながら、そこまでの丁寧な人間関係の積み重ねだったり、お互いに尊重して寄り添う姿勢だったり。 実は必然として生まれやすい要素を互いに育んでいる事も多いと。 意識的に心に触れようとして触れるのと、お互いに寄り添う中で自然に成立する接触とはまた違うと思いますからね。 そういう瞬間を共有できた時は、嬉しい気持ちもある一方で特別な驚きは無いんですよね。その深まる感覚、一歩先の共有感を分ち合えた状況に元々無理が無いから。そういう状況もすんなり腑に落ちる感覚が互いにある。でも驚きとは別に、特別な親近感が育まれた瞬間でもあるんですよね。恋愛関係に限らず、友人でも師弟でも年齢差があっても。 分ち合えるものだと思います。自分にとってそういう気持ちを抱けた存在はやはり今でも自分の大切な人として存在してますからね☆