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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:心のブレーキの外し方について質問です。)

心のブレーキを外す方法とは?

このQ&Aのポイント
  • 演劇ではないが、自分自身の心のブレーキを外す方法を知りたい。
  • 普段の自分とは異なる人格を演じなければならず、プライベートでも演じる必要がある。
  • 結婚後に自己解放することに関してもブレーキを感じており、アドバイスを求めている。

質問者が選んだベストアンサー

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  • KLeezon
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回答No.5

もう一度失礼します。 とりあえず便宜上演劇、として話をさせてもらいますが この場合、一番問題になるのは 「なにが望まれていないか」ではなくて 「どんな姿が要求されているか」ですよね 演じる、と言うのは「他の何かの仮面」をかぶると言うことですから、 その具体的な形が見えていないとどうしようもありません あなたの中に「フリつけをして踊る10代の娘」のイメージはあっても、 「フリつけをして踊る40近いオバサン」の具体的なイメージがない、 だから演技も出来ないのだと思います 単に「通行人A」をやるだけであったとしても 外に出さないにしろ演じる本人の中では 会社へ行く、散歩、友人と待ち合わせ、家へ帰る、等 具体的な何かを想定して歩かなければいけません なぜなら、 「何の目的意識も無く、ただそこに通行人として必要だから歩いている」 人間などこの世の中には存在しないし、不自然だからです 主人公と通りすがりに会話する場面があったとしても 思ったより進行が手間取って、 セリフの番が来るまでにすれ違う位置までたどり着いてしまった場合 無意味に歩くのが遅くなって舞台の進行を待ったり、 引き返してうろうろしていたとしたら、 そんな不気味な人物は脇役として求められている以上に観客の注目を引き、 舞台の空気を壊してしまうでしょう 彼らは自分の役に合った臨機応変な演技で乗り越えなければいけませんが 自分が何者であるのかといった具体的なイメージが無い場合は 先に述べたような不審者になる以外ありません ただ漠然と何か、の演技をするのは無理です 若い頃のあなたには 無意識的にもフリつけを真似るアイドルなどの「モデル」があった だから演技もしやすかったのだと思います 目的とするものとその姿さえハッキリとわかれば それを演じること自体はそれほど難しくありません 人間の動きには「理由」があります たとえ、単発の動作に抵抗があっても うまく理由付けが出来たのであれば体は自然に動きます 旦那の顔を突然ひっぱたくのは難しい でもその頬に蚊が止まっているのを想像できれば ためらうことなく手が出ます 後はそれをいかにも憎んでいるかのように 味付けして表現すればいいだけです 集団の中から手を上げるのは勇気が要ります でもそれをやらなければいけないときは 高いところにあるボタンに手を伸ばすんです 歌の振り付けならば、 テレビの美容健康体操ですか? とにかく自分の動きやすいものに刷りかえる 何度か動けば体が慣れて後は演技に集中できるようになるでしょう

noname#126489
質問者

お礼

分かりづらい質問なのに2度もの回答ありがとうございます。 全くおっしゃる通りで、私は望まれてる姿を具体的にイメージすることが出来てません。 イメージしたところで非常にカッコ悪い存在で「ありえない!」となってしまってます。 カッコ悪い存在であることは望まれてないので…。 モデルももちろんありません。 思えば昔はモデルがありました。演じすぎてそのモデルにそっくりだとも言われてました。 まずは具体的なイメージを作り上げたり、モデルになる人物を探したりすることが 大事なのだと思いました。 そのモデルとなるものを見つけるのに非常に苦労しそうですが頑張ってみたいと思います。 ありがとうございました。

その他の回答 (4)

  • KLeezon
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回答No.4

結婚して年をとってもノリが若いままと同じ、というのは 演技云々とはまた別ではないでしょうかね プロの役者ではないから断言できませんが 演技をするなら「冷静な自分」は残しておかなきゃいけないと思いますよ だってのめりこんじゃったら 無意識に「素の自分」が表に出ちゃうかもしれないじゃないですか 振りをつけて歌うのが恥ずかしくなった、とかいうのは 今までのやり方が自然な感情の表現としては 「下手な大根役者の演技」だと思うようになったからではないですか? 10代には10代の、30代には30代の表現の方法があると思います まさかそこまで年齢を飛び越えて演じる必要は無いだろうと思うので 今のあなたに相応しい自然な演技を心がければよいんじゃないでしょうか 具体的に何をなさるのかわからないので ちょっとアドバイスもやりにくいですけどね 的外れならごめんなさい

noname#126489
質問者

お礼

こちらこそ具体的な内容が書けず、不透明な質問で申し訳ありません。 演技と言っても演劇ではないのですが、近い分野だとお考えください。 本来、年齢を重ねたなら重ねたなりのもので表現していければよいのですが 恐らく「アラフォーのオバサン」というのはその中では全く求められてないんですよね。 主婦であることなどまず望まれていません。 もちろん全て憶測の域は超えてないのですが…。 自分の中では30代の主婦と言うのは自分の感情を出さず、クールに眺めてるイメージがあるみたいです。 でもそれじゃやっぱり楽しくないんですし、そもそも違いますよね? 何と言うのか、嫌な年の取り方をしてしまった感じです。 恐らくプライベートな部分で、もっとスイッチを外すことが出来たら 演技の時にも外せるようになるのだろうとは思うのですが プライベートなところからスイッチを外すことが出来ないんです。 やはり全貌を書けない分分かりづらいお礼になりまして申し訳ありません。 ご回答ありがとうございました。

noname#137229
noname#137229
回答No.3

心にブレーキがかかっているのが分かっているのですから簡単です。 そのフレーキにかかっている足を除けなさい。 それだけです。 大抵の人は自分の心にブレーキがかかっている事さえ知りません。 大丈夫あなたなら出来ます。 足を緩める・あるいは隣に移すだけです。 それも数センチだけ。 その様な事は1秒もあれば出来ますし、今できなければ一生できない・・と言う性質のものでもあるんです。

noname#126489
質問者

お礼

分かりづらい質問なのにご回答いただきありがとうございます。 私以外でも多くの人は心にブレーキをかけて生活しているのですよね。 私は今までそのことに気がつきませんでした。 自分自身がずっとブレーキをかけずに生きてきたせいでしょうか、 今となってはこのブレーキがかかった状態が「皆と同じ」で安心する気もするし 逆に思ったように演じることが出来ずもどかしく思うこともあります。 勇気がなくなったのかもしれません。 ブレーキを緩めることで負うリスクを知ってしまったのかもしれません。 でも車の運転と違って死ぬわけではないのですしね。 私の今の自分の立場等が揺らぐわけでもないことも分かっています。 「どう思われようと死ぬわけじゃないし!」と思えば勇気も出るかもしれません。 同じ事を友人も悩んでおり、二人で云々言ってましたが参考にさせていただきます。

noname#183132
noname#183132
回答No.2

>舞台上だけ演じ切ればよいわけではなく、日常的に「女優であること」を演じる必要がありますよね? そうですかねー? 自分自身は俳優ではないので、そういう人を横から見た感想ですが そういう「演じる」というのは「見てくれる人」あってのことです 見てくれる人がいない限りは演じる必要は無いですし 見てくれる人が演じたキャラを必要としていない場合にはそういう振る舞いはしないでしょう >ただこの「演じるもの」が日頃の私とは全くリンクしてません。 >また、演じること自体を最近恥ずかしいと思ってしまう自分がいます。 演じたあなたが「必要」とされているのなら恥ずかしいと思う必要があるでしょうか 必要の無いことを自分の意思だけでやってて、見てる人に「何やってるの?」と思われるから恥ずかしいのではないでしょうか。 時と場合とニーズがあるならそういう気持ちも起こらないと思いますよ って、質問だけ読んでの感想ですが・・・浮気か風俗でバイトですか(^^;? 質問はもっと具体的な方がいいと思いますよー

noname#126489
質問者

お礼

具体的ではない質問で、回答しづらくごめんなさい。 演劇ではないのですが似たようなジャンルでのことで、便宜上「演劇のため」ということにさせていただきます。 風俗とか浮気とかではないですよ(^^;)あくまで趣味の一部です。 少なくとも演じた私を仲間は必要としているのですが、恥ずかしいと思ってしまいます。 ただそれは社会的な立場として望まれているわけではなく趣味ですからね…。 主婦のくせに何そんなに趣味に精出してるの?という自分がどこかにいるのは確かです。 「何やってるの?」と思ってるのは自分自身なんですよね。 なので後は自分の気持ち次第だとは思っているのですが。 具体的なことが書けないため、お例も分かりづらくなってしまいましたが ご回答ありがとうございました。

回答No.1

心のブレーキを外すと言われましても、 「演劇」のため?それとも「今のあなた自身」のため? 俳優・女優さんでも真剣に「役」をすると、 なかなか元の自分に戻れない(演じた人格が抜けない)と 言われます。 勝新太郎さんなど「座頭市」やってからそのまんまの方も・・・ まぁ「サービス精神旺盛」な方だったので、 人前で見せていた「勝新太郎」全てが虚構かも。 まぁ、人生経験が増すにつれて考え方も変化して参りますし、 (良くも悪くも)若き日の「ちゃかつき」は消えて行きます。 しかし「若い頃はこうだった」と思い出せると言うことは、 「若い人はこんな感じ」と言うことを「知っている」訳なので、 「演技」なら可能です。ブレーキを外す必要は無いのです。 「それはちがう!」と思われるのならば、 「今のご自身を抑圧するもの」のブレーキを外したいだけです。 今の生活に不満があるのならば、 ご主人様と何でも良いから、よくお話をされることです。 お互いが相手を理解しようと努力することです。 子供が失敗しても許すように、時には「大人」であっても間違えるのです。 それを質(ただ)して、許すことが肝要です。 夫婦とは「二人で困難に立ち向かう」強い絆が前提であり、 維持すること自体がもの凄く尊い事であり、時には波乱も有ります。 ともに過ごし、色々な経験を得ることで、人間的に熟成されます。 ですから「家族」は素晴らしいのです。 あなたの「心のブレーキを外す」=「自分の思いのままに生きたい」 であるのならば、一人で生きて行くしかないでしょう。 もっとも、人間は一人では絶対に生きて行けないけれども。

noname#126489
質問者

お礼

具体的ではない質問で、回答しづらくごめんなさい。 演劇ではないのですが似たようなジャンルでのことで、便宜上「演劇のため」ということにさせていただきます。 心のブレーキを外したいのは、直接的には演劇のためなのです。でも最終的には自分のためですよね。 演じきれてないと良いものが出来ませんから…。 結婚以来良き妻・母でいようと演じてきました。 当初はすごく無理をしてた気がするのですが、今やそれが自分自身になりつつあります。 まさに役から抜けられないという感じなのです。 そんな中で、それ以外の自分へのスイッチが入らなくなった感じです。 具体的ではないのでお礼も訳が分からなくて申し訳ありません。 ご回答ありがとうございました。