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アルゼンチンにはイギリス人が多い?
レポートのため、アルゼンチンサッカーの歴史を調べたのですが、 サッカーが誕生した1860年代、ブエノスアイレスには4万人ものイギリス人が住んでいたから(イギリスの植民地でなかった国としては、最大の「イギリス人社会」だった)イギリス人が祖国にいたときと同じようにサッカークラブをつくり、サッカーが盛んになっていった‥ とのことでした。(多少略してありますが) どうしてその頃、イギリス植民地でもなかったのに、アルゼンチンの首都ブエノスアイレスにはイギリス人がたくさんいたのでしょうか?
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- sf54ers
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回答No.1
イギリスはサッカーの母国だけでなく、資本主義の母国だったのです。19世紀に入るとイギリス発の資本主義が世界に向かった広がります。まずアルゼンチンに入ったのは資本主義のイギリス人でした。そして彼らの楽しみの一つとして、サッカーが入ったのです。あなたが質問に述べられた状況は、私がいま語ったことが背景にあったのです。例えば、有名なボカ・ジュニアーズという名前は、イギリス人の言葉、つまり英語でできています。面白いのは、ジュニアーズという言葉はアルゼンチン語(スペイン語)には元々無かった言葉です。あなたの質問の答えは、イギリス植民地でないアルゼンチンに、イギリス発の資本主義が輸入されたことが原因です。
お礼
なるほど~ ありがとうございました。