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これからの人生
私は今、北関東の私立大学で一人暮らしをしている大学三年生です。 自分は今までできるだけ傷つかないように、物事にあまり興味がないような態度をとって周りに流されつつ、人を避けつつ生きてきました。 そのせいで、自分が今一体何をしたいのか自分でもよくわからなくなってしまいました。 こんなんじゃダメだと思って、大学入学に伴ってがむしゃらに行動をして、サークルに入ったり、いろんな本を読んだりしてみましたが、人間関係はうまくいかず、今ではもう半引きこもりです。 いろんなことをするたびに自分でも自分がどんな人間だかわからなくなって、一体なにが正しいんだか、いったいどうやって生きていったらいいんでしょうか・・・ やはり精神病院にいくべきでしょうか?
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- jinseiwalk
- ベストアンサー率23% (372/1603)
精神病院では人生どう生きるか教えてくれません。それを教えてくれるのはカウンセラーでしょう。しかし殆どのカウンセラーはロジャース流ですので自分で答えを見つけろと言います。 それがわからなく手苦労しているのにね。ロジャースに関わらない腕のあるカウンセラーならそのわからない答えを引き出せます。何軒も当たらないといけませんが。 大学内にカウンセラーがいないなら街にもいますので電話帳で探して行ってみてください。
- pandarakko
- ベストアンサー率50% (36/71)
別に良いんじゃありませんか? 大学生で、自分のことをシッカリ客観的に見つめられて、自分がやりたいこと・興味の対象がハッキリしていて、傷つくことを一切恐れず、周りに流されず、人生プラン完璧!なんて人、いませんよ。 それに、大学に入ってから急に自分の生活スタイルをがらっと変えようとしたら、自分の中で歪みが起こってしまうのは、仕方の無いことです。 私は現在就職活動中で、自己分析をしていますが、 「自分はどんな人間?」「何が正しいの?」「私はどうしたいの?」 「人生の目的は何?」「人生の目的がないのは変なのかな?」…などなど、 考えれば考えるほど自分が見えなくなって、自分を見失っています。(^^;) まー無理やり自分を騙し騙しやっていますが。 でも、大体の人も似たようなものだと思います。 自分の中に矛盾を抱えているのは普通だし、人間関係で悩んでいる人もたくさんいるし、 自分の中で何かがモヤモヤして、でもそのモヤモヤの正体が分からずに困っている人も、 モヤモヤの正体が分かるからこそ困っている人も、たくさんいます。 とはいえ、「なるほど!」「皆そうなんだ~!」と明るく立ち直れれば苦労はないですよね。 私の思う具体的対策案を下に列挙しておきます。 (1)精神病院もいいかもしれませんが、まずは大学のカウンセラーの人と話してみる。 (2)とりあえず1日に1個「楽しかったこと」「面白かったこと」「嬉しかったこと」「幸せに感じたこと」を見つける。 その中で、他人と関わる内容で幸せを感じられれば、それに花丸をつけてみる(店員さんが可愛かったから嬉しかった。とかでもOK) (3)TOEIC、漢検、その他資格の勉強をしてみる 大学3年生ということは、就活中ですか? お互い頑張りましょう。
- asebi-0806
- ベストアンサー率39% (1265/3233)
今どきの人って、やはり満たされている事に慣れ過ぎているんでしょうね。 可もなく不可もない家庭で育ち、必要なものにはとりあえず満たされていて、だから変わろうとしない、むしろ変わらないことを望む。 何かを強く切望する事ってないのでしょうね。 私の世代には、今に比べるとまだハングリー精神というのが若者にありました。 貧乏だったから金持ちになりたいとか、家族に恵まれなかったから幸せな家庭を築きたいとか、名声が欲しいとか、安定が欲しいとか、…。 それでも無気力な若者が増えて困るとか言われたもんです。 今どきの方は、無気力どころか、生きてる実感さえ希薄なんじゃないでしょうか。 とりあえずご飯がおいしく食べられて、今日も一日元気に過ごせて、特別楽しいことはなくたって、無事に一日を終えられたら、それで十分なはずなんです。 そこで満足する事を覚えて生きてる実感を得て、はじめて何かを追及しようというハングリー精神が生まれるもの。 満たされているものに気付いてこそ、満たされてないものを求めることができると思います。 若者は迷うのが仕事みたいなものです。悩んで迷って、それでも自分から逃げずに向き合い、道を見いだして行く。 そんなに簡単に自分がわかると思ったら間違いなんです。 精神病院なんかに行ってもなんの足しにもなりません。 大いに迷って自分だけの答えを追及して行くしかないのです。 孔子の格言「十五にして志し三十にして立つ。四十にして惑わず」とあるように、二十歳そこそこでは何もわからなくて当たり前です。 どんな三十を迎えるか、それはやはり今後のあなた次第でしょう。 不惑の歳を通り越した中年の独り言でした。