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自分の嫌いな人

嫌いな人とはどこからですか? 女子高生ですが、嫌いと思う人はいないです。 私の入っているダンス部は、仲がいい同士で 2つに分裂しているのですが、 私はどちらとも話をするので、どっちつかず とゆう感じになっています。 友達の短所などが見えることも たしかにありますが、短所なんて 誰にもあることだしいいところも 見えるので嫌いにはなりません。 周りが見えてないんじゃないの? と言われたのですが、私は周りが 見えてないから嫌いな人がいないのでしょうか?

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noname#156563
noname#156563
回答No.1

それはあなた自身のキャパが広い、そして他人をきちんと認めているということではないでしょうか? 良いことだと思いますよ。他人に寛容でいられる人というのは、なかなかいませんからね。 自分は自分。他人は他人。 人間それぞれの価値観や考え方があるって、みんな頭では分かってるんだけど いざそういう人と対峙したときには、なかなか受け入れられなかったりするものです。 それをまだ高校生でちゃんと理解できてるあなたは、そこらへんのオトナより全然「大人」です。 そのままのあなたでいてくださいね。

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  • makaay5
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回答No.5

自分もあんまり人を嫌いにならないタイプですが、こういう奴は無理というのも少数ですが存在します。質問者様の様に他人の長所を見つめて、短所に目をつぶる様な連携力の高い人もいれば、短所と長所を+-して、他人と付き合うかを決める人もいます。短所と長所のポイントの振り方・重きの置き方も人それぞれなんで、世の中の大半が大幅な-を与える様な短所の部分に質問者様が目をつぶっている・もしくは気がついていないと周りが思う様なときには、周りをキチンと見ていない・観察できていないといわれることも多少はあると思います。 質問者様が大切に思う物事でも、それがくだらないと他人が感じる事はあるでしょう。例えが良くないですね・・すいません。それと同じように質問者様が意に介さない事でも、他人からみれば許すことの出来ない事というのも存在します。そういう部分の許容範囲・キャパが質問者様は大きいので他人を嫌いになりにくいですが、逆に言えばそうでない人の気持ちや怒る感覚が分かりにくいという部分は、短所として生まれてきてしまうでしょう。無理に2つの輪をくっつけようとして、周りから疎まれないか少し心配です。周りが見えない正義感というのは危険を伴いますし。 周りを見ていないというより、周りが気になることが質問者様は気にならないだけ。そういう事実は多少なりとも存在するのでしょうし、そういう感覚が薄いことは長所だと思いますが、こじれた輪をほどくときや、そういう輪の中に自分をおかなければいけない時には、長所が短所というふうになってしまう場面や事というのもあると思います。みんな質問者様の様ならば、いい仲間になれるとは思います

回答No.4

はじめまして。。。 >友達の短所などが見えることもたしかにありますが、 短所なんて誰にもあることだしいいところも見えるので 嫌いにはなりません。 この考えは大正解だと思います。 人は他人と自分を比べ優劣を付けてしまうので嫌い、妬み、 嫉妬、イライラを感じるのです。 ですが貴方は自分と他人をきっちりと切り離し、個々の存在として 認めていますよね。 凄い!(^^)!と思います。 >周りが見えてないんじゃないの?と言われたのですが、 私は周りが見えてないから嫌いな人がいないのでしょうか? ”嫌いな人”とは全て自分が作り出す存在なのに このような事で悩んでいる人は沢山います。 貴女はちゃんと見えてるのですよ(・。・) 無意識に相手を受け入れ、認め尊重しているから 嫌いな人が居ない訳です。

回答No.3

こんにちは。 とてもすばらしい考え方をしていますね。回答の必要がないくらいです。。 ですが、せっかくのご質問なので、回答したいと思います。 少し難しいと感じるかもしれませんが、参考にしていだけたらと思います。 結論から言いますと、 「見えてないから嫌いな人がいないのではないです。」 人が人を嫌いになるとき主な理由として2つあります。 1つ目は、 「他人の考え方(外見、言動など含む)を自分が ”受け入れない” とき嫌いになります。」 例えば自己卑下する人(自分がダメだとか自分なんか・・・とか言う人)が嫌いな場合、 自己卑下することは 「ダメな事」 とか 「いけない事」 だと  思っているとそういう人を ”受け入れない”  つまり 「嫌い」 になります。 反対に自己卑下することもあるよ。。とかそれぐらい誰でもあるよとか  つまり ”受け入れてる” と嫌いにはなりません。 2つ目は、 「自分が嫌いな人と同じ要素をもっているとき嫌いになります。」 自己卑下の例でいいますと、 自己卑下する人(自分がダメだとか自分なんか・・・とか言う人)が嫌いな場合、 自分も自己卑下しているから嫌いになります。 ここで、 「私は自己卑下する人は嫌いだけど、私は自己卑下しない。」という人が でてきます。 この場合自己卑下する自分が嫌なため、それを見ないように心の奥底にしまいこんでしまっています。 でも自分で見ないようにしたと思っても他人を通してそれを見ることになります。 自分が嫌なので、見ないようにしていたものを目の前で他人に見せられると嫌になります。(嫌で嫌でさけて隠してきたものを堂々と見せられる) 「他人は鏡」というのはこういうことです。 なので、その人を「嫌い」になります。 本当に自分を自己卑下することなく、自己卑下する事を受け入れている人であれば、 「嫌い」とは感じません。 ですから質問者さんは >友達の短所などが見えることも >たしかにありますが、短所なんて >誰にもあることだしいいところも >見えるので嫌いにはなりません。 お友達を ”受け入れてる” ので「嫌い」にはなりません。 以上です。

回答No.2

こんにちわ~ 俺も中学の頃に似たような感じでした。 卒業あたりでえっみんな仲悪かったの!?なんて事があったりして 多分回りが見えてないのではなくて、 それを許せてしまうし、そんなところもきっと相手がすきなんじゃないんでしょうか? 時には空気が読めないという事になってしまうかもしれませんが 人を嫌わないというのはとても難しいことです。 でもそう有りたいという人の理想な感情のかたちだとおもいます。 最近なんて俺はちょっとしたことでもムカってきちゃったりして あ~あの頃はよかった~って思うぐらいです。 がんばって(?)保っていってください