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砂をかむような毎日です
どうもはじめまして。 この質問をしたくて仕方がなく、今回やっと投稿する気分になれたことを嬉しく思っています。 最近、生きていて「楽しい」と感じることが出来なくなってしまいました。 もっとも、「昔は心底楽しかったの?」と聞かれても、正直そう感じて生きてきたかどうか?も疑問なのですが…。 でも、「これだけは譲れない」という趣味を持って生きてきた、とは間違いなく自身を持っていえます。そういう意味では昔は楽しかったのだろう、と思えます。 しかし、最近はもっぱら、相方と会うことと毎日の夕飯のことを考えること。これぐらいしか楽しみを感じられません。 趣味に飽きてしまった、ということではないと思います。 だけど、最近それをしようとすると「めんどくさい、どうせ周りと比べてへこんでしまうのだから、結果を出したくない」という考えが頭をよぎり、結局動けずに終わってしまうことが多いのです。 また、今の相方と付き合い始めてから半年ぐらいになりますが、お互いのことを詳らかにしていくたびに、「どんなに解りあっても、理解しあって好きだと言い合っても、絶対にどこか心の底ではすれ違うんだな」という事実ばかりを知り、笑顔の陰で悲しみが増してゆく、というのがここのところの自分です。 これは日頃の人付き合いでもそうですが、誰かと会って話をすると、絶対に自分にうそをついて、相手にあわせないとならない。 それが大事なこと、必要なこととはわかっていても、うそをついている自分に自分で気づいてしまって、許せなくなってしまいます。 なので、僕は自分から友達をつくろうと考えたこともほぼありませんし、今の相方に出会うまでは、学生時代含めて、気を許して話せる相手もいませんでした。 そんな手段に頼らないと友達でいられないような友達を作るぐらいなら、趣味に没頭していたほうがよほど自分の為になると思っていたし、それを極めることしか自分にできないことなんだろう、と。 そう信じて、学生の頃からいままで生きてきました。 そうして自分もアラサーとなり、ようやく「自分のしたいことができた」と思えるようになり、世の中もこういうものなのだ、と思えるようになりましたが、 それを理解し、人と触れ合うたびに、自分のしてこなかった「友達づきあい」のことが頭をよぎり、相方が自分の友達のことや、飲みに行った話を楽しそうにしているのを聞くたびに、自分が味わうことなく過ぎてしまった10代のことを思い出してしまい、情けないながらも落涙しそうになってしまうのです。 思えば、趣味に没頭してきたのも、当時友人を作れず、引きこもりにさえなってしまった自分の弱さから、目をそむけるためではなかったか。 そうして人生の階段を上がって来るうちに、自分は過去に、本当に大事なことを置き去りにしてきたのではないか。 相方は、一緒に「お友達」になろうよ、いっしょにたのしく生きていこうよ、と言ってくれます。 だけど、自分自身の正体に気づいてしまい、もはや支えにしてきた趣味にも没頭できなくなってしまった自分には、これから自信を持って生きていけるのかどうか、まったく自信を持てなくなってしまいました。 少なくとも、「お友達」になったとしても、その違い、埋められない差ばかりが浮き上がってきて「たのしく生きていく」ことは出来そうにない。 皆様のなかで、このような心境になった方はいますでしょうか。また、そこから抜け出してきた、という方はいますか。 よろしければ、その時の心境とか、支えになった体験のようなものを教えていただければ、と思います。
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質問者が選んだベストアンサー
初めまして。質問者さまと全く同じ悩みの体験者ではありませんが、友人の中にこういう人がおり、身につまされるような気がしましたのでお答えしたいと思いました。 質問者さまの心境は良い意味でも悪い意味でも潔癖で完ぺき主義から生まれたものだと思います。 きっと清潔で真っ正直でまっすぐで真面目。曲がったことが大嫌いでご自分にも完璧な気持の充足というものを望まれる方ではないかとお察しいたします。 のっけから恐縮なのですが、世の中に完璧というものはありえないということを悟って頂ければと思います。質問者さまはきっと相手と自分に誠実になろうとしすぎて息苦しくなってしまわれたのだと思います。 貴方のことを受け入れ愛してくれる女性と出遭われたことは素晴らしいことです。そのことにまずほっこりとしたあったかいお茶を飲むような気持で感謝出来ないでしょうか。人という不完全な生き者がやはり不完全な人と出会い、それでも不完全なまま努力して幸せになろうとすることが楽しいことだということに気付いて頂けないものかと思います。 私の友人も内気な人で自分の弱さばかりに拘って会話が前へ進まない人でした。言葉を選んでもの言いをするといい、自分からは決して会話しようとしない難くなさは悲しくなるほどでした。 もし、完璧な人になれないと自信が出ないと思われているならそれは勘違いです。それから過去は過去で変えることができませんが、今、成長することが出来れば過去も豊かになります。 あの時は孤独な勉強をしたのだから無駄な時ではなかったとその時間を評価できるようになれるかもしれません。 言葉は悪いかもしれませんが、この辛い感情から抜け出すにはもっと好い加減になることです。ゆるめに生きることを自分に許すことだと思います。 相手の方を大切にしてあげてください。かけがえの無いパートナーになるかもしれません。感謝して毎日をお過ごしください。 貴方のお気持が今よりも明るんで楽しくなりますようにと思います。
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- rikutuman
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こんばんわ。 趣味の事。 「めんどくさい、どうせ周りと比べてへこんでしまうのだから、結果を出したくない」 と、諦めるのも 「いつか周りより凄いのをしてやる」 と、諦めずにやり続けるのも、質問者さん次第です。 質問者さんが言う"嘘"の事。 自分に正直に、なんでもかんでも思った事を伝えれば、傷つく人が多くでてくるかと思えます。 他人と会話する中での"嘘"とは、相手の事を思って吐く"嘘"です。(めぐりめぐって自分の為にもなりますが)"絶対に相手にあわせないとならない"と思っている間は、自分の事しか考えていない様にもとる事ができます。 "自己を殺して、絶対に相手にあわせないとならない"ではなく、"気持ちよく話しているんだから聞いてあげたいな""こんな事言ったら相手が感情的になるかもしれないからやめておこう"等、自然に内からでてくる想いのままに会話すればいいかと思えます。 園児に、「嘘を吐いたらいけない」と教えた後、「大人は嘘ばっか吐くじゃん」と返されるような、そんな事象に似ている様に思えます。 >、「どんなに解りあっても、理解しあって好きだと言い合っても、絶対にどこか心の底ではすれ違うんだな」 自分の全てを、又は相手の全てを100%認識し、認め、受け入れる人間はいません。 "すれ違い"に関し、許せるか許せないかです。 "心の底ではすれ違うんだな"と寂しく思うのは、"自分を全て分かってくれない"という高慢さか、"相手の自分と違う所"を許す事ができない許容範囲の狭さからくるものと思われます。 過去の事。 過去の事に関しての悔やみは、誰にでもあるかと思えます。 その"悔やみ"を基点にして、前に進むのも、停滞するのも、その人次第です。 >皆様のなかで、このような心境になった方はいますでしょうか >そこから抜け出してきた、という方はいますか 文章に起こす事はできなくとも、人間関係の事に関しては、思春期の頃、皆が何かしら経験してきた事の様に思えます。 >支えになった体験のようなものを教えていただければ、と思います 質問の文章全体を通して感じたのは、"前に進もうとしても、辛いから諦めてみようかな"というものです。 前に進もうという気持ちが少なからずある中、諦めようなかなと思ったら、諦める決断を下した時より、生きる事がつまらなくなるのは当然かと思えます(完璧に諦めたのではなく、辛いから逃げているだけなので、又、諦める決断を下したのなら、新たなモノが生まれてくる可能性があるので) 一言で言えば、自分に対しても、趣味に対しても、人に対しても、生きる事に対しても、自己中心的な様に思えます。 自分自身をできるだけ客観的に自己分析し、"支えになる""体験"を、自ら行動して得ない限り、心境は変わらず続くものと思えます。
お礼
コメントありがとうございます。 >他人と会話する中での"嘘"とは、相手の事を思って吐く"嘘"です。 この視点は、僕にはありませんでした。 子供の頃から、なぜか言葉を押し殺して生きてきました。 気がつくと口に詰め物でもされたように、言葉が出てこなくなっていました。 自分がそんな状態だったので、最近になるまで周りの人々が「本当に、想いのままに会話をしている」と思えなかったです。想いのたけを言葉に出来るのは、せいぜい物語の中の登場人物か、子供たちとその親の会話だけだろうと。 今、自分も自分の本心でうまく話が出来るように、心がけて「訓練」しています。人前でやるのはすごく辛いですが、結局それしかないのでしょうかね…。 >文章に起こす事はできなくとも、人間関係の事に関しては、思春期の頃、皆が何かしら経験してきた事の様に思えます。 そのぐらいの年頃から悩むようになった気がします。 教室でなぜか弁当を食べられなくなったことに始まり、気がつけば、周りが何を話題にしているのか理解できなくなり、完全に輪の外にいました。 それでも学校だけは何とか出たかったので、1年間学校で誰とも話もせず、点数をクリアすることだけに集中して卒業しました。 今思えば、よくそれだけの忍耐力があったもんだと思いますが、同時に苦しみの始まりでもあったと思います。 >諦めようなかなと思ったら、諦める決断を下した時より、生きる事がつまらなくなるのは当然かと思えます 何処かで、色々なことをあきらめました。いろんなものを投げ出してしまいました。 ですがある意味、その緩さがガス抜きになって、今もこうして生きていられるんじゃないかとも思います。 「自分の人生は自分が主人公」といいますが、 おっしゃることを読んでいて、やはり他人の支えになるには、当たり前ですが自分を自分で支えられないと無理だなと思いました。 今の僕は、自分を自分で支えるのにも必死なので、当面はとりあえずその一点をクリアするのが先決かなと思います。 読んでいるうち、だいぶ心が落ち着いてきました。 ありがとうございました。
- dio_world
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自分の心根が見えてしまった。 それにより、自分が悪い存在に思えたことがありました。 愛想笑いやお世辞しか言わない嘘つきの自分。 自分のすべての言動に悪を感じていました。 そして自分を完璧に理解できる人はいないことを悟り、 人の繋がりを、「自分」と「それ以外」で区別しました。 誰にも理解されない自分は、感情を押し殺したまま生活しなければならない。 自分の知識とか経験とか歴史とかは、墓に持っていかなければならない。 私は人生のほとんどをそう思って生きてきました。 しかし、最近になって愛想笑いをしている自分を偉いと思えるようになってきました。 どうせ人とは理解し合えないなら、できるだけ円滑な方がいいですよね。 いや、完璧に理解できなくても、理解を深めることはできます。 それにはどうすれば?ということを考えることは、もっと前向きですよね。 友達って、相手(自分)の事を理解しようと一生懸命ですよね。 その気持ちに応えるためには、嘘も必要になることがあります。 (嘘も方便??) 自分のことをどれだけ理解できるか分かりませんが、努力はしたいです。 また、私には趣味とか特技というものが全くなく、 ただひとつ、この教えて!gooに回答することを日課としております。 私の浅薄な知識がお役に立てれば、と願うばかりです。 ところであなたは素晴らしい趣味を持っていらっしゃるようで。 自信はおありのようですが、手が付かないのですね。 周りと比較するのは、プロの考え方ですね。 趣味は趣味です。自己満足でよろしいのでは?
お礼
コメントいただき、ありがとうございます。 拝見しつつ、思わず何度も頷いてしまいました。 結局は嘘をつかざるを得ず、結局は愛想笑いをしなてしまう局面が毎日たくさんあって、そのたびに自分が間違ったことをしたんじゃないか、と青ざめるのが判ります。 >友達って、相手(自分)の事を理解しようと一生懸命ですよね。 その気持ちに応えるためには、嘘も必要になることがあります。 (嘘も方便??) 私の知人が、以前同じような話をしていたのを思い出しました。 それが必要なんだ、と頭でわかりつつも心では許せず、最後は二人だけになったところで子供のようにダダをこねました。 人のそのような部分を見るのが、今はまだ、どうしても受け入れられないようです。年齢からすれば恥ずかしいのかも知れませんが。 無礼を承知で申しますが、それは「理想」から行くとやはり、対極に位置する考えには間違いがないから…。 でも、考えれば世の中ではそのようにして、周囲の状況を受け入れて、空気に順応していく人々が沢山いるんですよね。 大人でも、またびっくりするほど年端の行かない子供でも。 僕から見ればまるで天才のようであり、良くも悪くも素直に言葉を失ってしまいます。 >ところであなたは素晴らしい趣味を持っていらっしゃるようで。 自信はおありのようですが、手が付かないのですね。 恐縮です。田舎に住んでいたので細々とやっていました。 最近はWeb上で、同じような趣味を持つ人々がたくさん出てきてまして。 趣味だから、井の中の蛙でいいじゃない?という考えもできるのでしょうが、皆が(それこそ若い学生まで)それをとんでもないレベルで軽々と飛び越え、動画サイトや掲示板で人気になってゆく様子を見て、気持ちが萎えていってしまいました。 要は結局、自分の自尊心を保つための趣味だったんだな…、と。 今、その趣味を仕事にしていますが、正直その仕事も10年続けたとは思えないほどモチベーションが落ち切ってしまい、今後どうしたものか?と悩んでいます。 趣味のことしか頭になかったのでそれを仕事にしたのなら、もっと視野が広がれば別な仕事ができるのではないか、とも思うのです。 これを機に転職するかもしれません。というか、今はその気持ちが強くなっています。 支えになるご意見をいただき、感謝しております。 ありがとうございました。
お礼
自分のことでこれほどアドバイスをもらうのが初めてで(嘘じゃないですよ)、正直落涙しそうです。 昔から、「あんたは完璧を求めすぎる」ってよく言われます。 自分ではそうしてるつもりは一切ないし、部屋は散らかってるし掃除もろくにしてないし、で不潔なんですけどね。 確かに外に出るときは気を張ってしまう部分もあり、「ちょっとでもよく見られよう」って無意識に思ってるからだとおもうのです。 間違うのが怖いということかも知れませんね。 職場でも、下手に話をするとすべる可能性があるから、必要最低限の会話しかしませんね。どんな風に思われているのだろう?と思って、逆に不安でたまらなくなってしまうことが多いんですが、 それでも話すことの不安よりは軽いから、やめられない。 毎日、その両方の間で板ばさみですよ。つらいけどそれしかないって言うのが正直なところで。 >もし、完璧な人になれないと自信が出ないと思われているならそれは勘違いです。 そうあって欲しい…というより、そうでなきゃ未来がない気がします。 今でも、他人と関係がうまく築けないんですよ。 相方には苦労をかけていると思うのですが、それでもいろいろなことに対しての不安が周期的にふくらんで、どこかで誰かに当たらないと、死にそうになります。 実家にいた頃は、親や兄弟に当たっていました。それがひどいことだとは思っていながら、衝動が抑えきれませんでした。 それで病院に行くことをせがみ、それでもしんどくて、実際に海岸で入水を試みたことも有りました。 数年間の投薬治療でボンヤリとした毎日が過ぎていき、余計に世間から遠ざかってしまいました。それも無駄でないと思えればいいんですけども。 >言葉は悪いかもしれませんが、この辛い感情から抜け出すにはもっと好い加減になることです。 何度も試みましたが、なかなか難しいものがありますね。 なるべく普通の表情をして生きるように心がけてますが、正直、周りの人々すべてが怖いです。だから今は、解き放てないです。 とてもじゃないけど。 >相手の方を大切にしてあげてください。 本当です。それでも隣にいてくれて、信じてくれるのだから、感謝しつくせません。 レスを下さった貴方にもです。ありがとうございました。