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なぜ日本には偽善者が多いのか

ビルとビルの間にはさまってしまった猫を助けるために 何十人もの消防隊員を動員して、おまけにはしご車まで使った といったニュースをよく聞きます。 助け文句としては 「猫とはいえ、たった一つの命を持つわれわれ人間と同じ動物だ!!」 といった偽善としか思えない助け文句がしばしば使われることもあるのが現状です。 以前は自分も「やさしい人たちもいるんだなぁ~」とテレビを眺めていました。しかし時がたち、思考も変わってきました。 たかが野良猫1匹のためになぜここまで金と時間をかけなくてはならないのでしょうか? 我々が払っている血税で彼らは動いているのです。 また、よく猫の虐待動画などがアップロードされて、動物愛護団体がこれを痛烈に批判している!といったニュースも聞きます 命を粗末にする行為は許されない!とか言っていますが、 いや、たしかに無意味に虐待するのはよくないと思います。 しかしこれが猫ではなく食用のブタだったらどうでしょうか? 食用のブタも同じ理論でいけば「我々と同じたった一つの命をもった動物」ですよね? 自分の予想では猫のときほど批判は来ないと思うのです。 予想ではなく実際に批判は猫の時と比べると格段に少ないでしょう。 本当に「たった一つの命!」っていうのは便利な言葉ですよね。 つくづくそう思います。 なぜ日本ではここまで偽善者が多いのでしょうか? 胸がムカムカするほど自分はそう思いますが みなさんはどうお考えでしょうか

みんなの回答

noname#155097
noname#155097
回答No.10

>なぜ日本ではここまで偽善者が多いのでしょうか? 平和だからです。 悪い奴ほど平和な時には いい人ぶりたいのですよ。

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回答No.9

欧米の方がそういうニュースは多いですし、 動物愛護の精神は、オーストラリアが世界一じゃないですかね。 ご自身で情報を集めることをおすすめします。

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回答No.8

仰るとおり都合の良い生き物ですね人間というのは 一匹の猫を助けるという目の前で救える命、つまり自分が当事者なので助けようという気持ちが強くなるのでは 現に日本では毎年たくさんの犬猫が保健所で処分されていることを誰もがご存知だとは思いますがならば保健所に赴いて一匹でも多くの犬猫を引き取ろうとする人はほぼいないでしょう 私も動物愛護とまではいかぬものの動物好きではあり、捨てられた猫を何匹か拾ってきていますがそれ以上の規模の話では何もできません 「出来ることなら助けたい」これくらいの方が多いのだと思います かといって自分の生活を脅かすほどの行動はしません 動物園も競馬も大事な娯楽なので楽しみながら見る人がほとんどでしょう 食用のくだりに関しては見方の違いではないでしょうか?人間も生物ですので家畜の存在になんら疑問を抱く人もいないでしょう。 まぁもちろんそれも肉になった家畜しか見ないで済むからだとはおもいます。ベジタリアンもいるそうですがね ただ猫と食用豚のくだりに関してはきっと食べるのではなく無意味に虐待したのであれば豚でも非難は殺到するとおもいますよ 小さな小屋に敷き詰めているのは経営主が生きていくためなので虐待とは違います また本当に餓えている人が猫を捕まえて食べてたとしても非難は来ないのではないでしょうか 確かに大きな事態は見逃すのに小さな事態の場合は助けようと思うのは偽善かもしれませんが優しさでもあると思います。 その小さな優しさすらなくなることが恐ろしいです。 誰であれ救えるか救えないかが簡単に実行できるのであれば救いたいでしょう ですが実際はできることとできないことがあります 私は動物を愛でることに関しては何の疑問も持っていません この小さな猫が寒空で独り餓えていると、と考えてしまうと飯が不味くなります 質問者さんの疑問、というより遣る瀬無さはわかります 理想と現実とのギャップですよね 私も助けるのであれば全部助けたい、けど現実はうまくいかなくならばいっそ他の生物のことなんてなんも考えずに生きたほうが楽じゃないかと考えていたことがありました しかしやはり目の前で死に掛けている命は助けてあげたいと思ってしまいます。 たぶん偽善的考えなのでしょうが他者の痛みをなんとも思わない人を見るとこれくらいの優しさはもってほしいと感じてしまいます。 ながながと失礼しました

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  • hunaskin
  • ベストアンサー率30% (1854/6060)
回答No.7

そもそも、偽善的な要素を全く含まない善なる行いなんてものは神にしか為し得ない事だと思うので、私はネコを助けたりする行為についてでも「偽善」なんて言葉を使って断罪したりはしません。 金はかかっただろうな、と考えはしますがそういったニュースで人の心が和むのならばそれはそれで構わないか、とも思います。 実際は誰にも助けられず死んでしまうネコやらカモやらハトやらイヌのほうがはるかに数が多いことが想像できるにしてもね。 人はパンのみにて生きるに非ず、ってやつです。 道徳や倫理を世の中で機能させるには多くの人に分かりやすいキャッチフレーズも必要です。 「我々と同じたった一つの命をもった動物」なんて言い方もそのひとつです。「宇宙船地球号」「人の命は地球より重い」「世界は一家人類は皆兄弟」「試合が終わればノーサイド」他にも色々ありますね。 そういう言葉に欺瞞や偽善が含まれることは多いでしょうが、安心してください、たいていの人はそれに気づいています。 気づいていても、いちいち注釈をつけないだけです。 ブタに対してもネコに対しても人間はそれぞれその時できる扱いをして生きるだけです。 とりあえず、ブタは殺して食べる。たまには慈しむこともある。 屠殺は出来るだけ速やかに行い、おそらくはブタの苦痛も人の心の痛みも軽減することができる。 食料事情や習慣によってはネコをブタと同じようにあつかうこともあるでしょう。 けれど、現在の日本国内ならネコをいじめ殺したりす必要は無いのであえてそれをするひとは責められる。 なにがしかの線引きをしなければ善どころか偽善すら行われない世界になってしまいますからね。

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  • lv4u
  • ベストアンサー率27% (1862/6715)
回答No.6

>>ビルとビルの間にはさまってしまった猫を助けるために 似たようなニュースは、海外でもよくありますよ。海外のほうがもっと多いくらいです。質問者さんは、もうすこし現実をよく見て、論理を展開されたほうがいいと思います。

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  • Us-Timoo
  • ベストアンサー率25% (914/3620)
回答No.5

ペットの救助なんて話は日本ではむしろ少ない方 アメリカとか諸外国ではよく聞くはなしですが あれは損得勘定を抜きにして、動物愛護の精神から やっていることであって、食用の豚であろうと 同じように救助は行いますよ。 また、虐待にしても家畜に虐待をして育てる畜産家などありませんよ。 猫と家畜の違いは、人間がそれを飼う目的が違うことと 最終的にどうするかの違いだけであって 農家の皆さんは毎日餌をやり育て、最終的に「申し訳ない」と 思いつつも出荷するのです。 御質問者は「人間が背負った業(カルマ)」というものを ご自身で全く考えたことが無いようですね。 人間に限らずこの世の生き物は、他の生物(植物も含む) を殺してそれを食べていかないと生きていけません。 御質問者は他人を「偽善者」呼ばわりする前に ご自身がやっているそうした業(カルマ)をどうお考えなのでしょうか まさか、「自分はこの世の生き物を殺して食べてはいない」とか良いませんよね。 お米も植物から出来ていますよ?野菜も植物という生き物ですよ? こう言っては何ですが、自分の持っている業(カルマ)の重さなど 考えたこともなく、そのことに感謝もせずに、全く建設的でない御質問者の ような理論を振りかざす人の方が私にはよほど 『偽善者」 に見えますけれど。 ちなみに、いくら鯨が増えていっても「鯨が絶滅しかかっている」という 理論を振りかざし他人に迷惑をかける馬鹿な連中が世界中にはいますが、 まさか、その連中の仲間じゃないですよねぇ? それとも日本のことは何でも批判をしたい「ネジれ左翼思想者」ですか?

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  • gungnir7
  • ベストアンサー率43% (1124/2579)
回答No.4

家畜と野良猫を同じ価値として捕らえればそういう意見もあるでしょうし、 いや違う、猫はやっぱりカワイイんだという意見もあるでしょう。 そういう観点から動物愛護法ができて、後者を優先しています。 したがって行政は善意の市民から通報があれば、これを拒むことができません。 あなたへの直接の返信は法律に依るとなりますが、 かよわきものを助けるっていう道徳心があるから日本は住みやすいんだと思いますよ。

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  • wwwwuiu39
  • ベストアンサー率22% (7/31)
回答No.3

こんばんは。 きっと、偽善者って思うといろんな事が偽善に見えてくるかも。 確かに、あれ・・・これってちょっと・・。と思うことは多々ありますが。 それはそれだと思います。 人がやっていることにいちいち反論していたら持たないとも思います。

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noname#114837
noname#114837
回答No.2

全く持って「胸がムカムカする」なんて云う事はありませんし、 日本に限って偽善者が多い訳ではないと思います。 そういう人はどの国にでも多かれ少なかれ居ます。 其れに、其の猫を助ける為に働いた人達も、 偽善で働いている訳ではないと思いますよ。 正直、質問者様の考えは荒んでいると思いますし、 そういう考えはどうかと思います。 >自分の予想では猫のときほど批判は来ないと思うのです。 >予想ではなく実際に批判は猫の時と比べると格段に少ないでしょう。 食用の豚は「食用として生まれ育てられた存在」ですからね。 しかし、人間は他のモノ(野菜にしろ肉にしろ)を食べなければ 生きてはゆけません。 だから、食事の時、 食材を生産してくれた人、料理を作ってくれた人、食材そのものに 感謝するのです。「いただきます」「ごちそうさま」と。

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回答No.1

人間は自分達に都合の良い生き物だからです。 仰るとおり、猫や犬の為にあほみたいなお金を投じて救出なんてします。 一方、動物園や水族館など、動物界の頂点に君臨する人間様として、都合良く見世物にします。本来であれば、大自然を何の制限もなく生活することが出来る彼らを一方的に拘束します。 競馬など、本来の馬の力の極限の、さらにその上の次元にまで高めるべく、徹底的に調教もされます。走りたくなくても、尻を叩かれ、無理やりにでも走らされます。 さらにさらに、家畜と称して、一方的に飼育され、豚小屋の狭いところに何匹も詰め込み、丸々太ったら食します。 家畜に対し、捕食するような動物等は、一方的に駆除されます。 言うなれば、自然界の頂点に君臨している人間様中心の世界です。 自分達の中で、勝手に動物の未来を決め、価値を決めます。 救うべき命か? 食すべき命か? 拘束すべき命か? 駆除すべき命か? ただ、それら全ては生物の掟として、最も強い物に与えられた特権です。統べる物に与えられた特権です。 偽善である。胸がムカムカする。という感情を覚えることはありませんが、人間とは、ずるい生き物だなとは思います。

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