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懲役刑の矛盾

懲役刑の矛盾 私達が悪い事をすると刑務所にぶち込まれてしまいます。 さて、懲役刑は一見、優しい刑のように見えますが、人から可能性や若さを奪い去る残虐刑に該当する刑だと私は思います。 日本社会は年齢差別を行う社会なので、長く入れられ、若さ=可能性が失われると生きていくのも辛くなる状況に立たされる事が予測されます 社会から長く離れてしまったり、監獄の環境に適応してしまうと、シャバに適応する事が難しくなるようです 囚人となった事で友人や家族なども離れて行き、適応障害まで起こると、タブーを侵しやすい心理が形成されてゆくようです この部分は犯罪者や元囚人に限った事ではありませんね。 こうして元囚人と言うレッテルが貼られた人は更正の有無に関わらず、再犯を行す可能性が高くなってしまうと言う現実があるようです このように社会秩序の維持が大前提の刑務所の存在自体が 新たな犯罪の温床になっているように見えなくも無い非常に複雑な現実について、皆さんはどう思われますか? 詳しい人も詳しくない人もご意見をお願いします。

みんなの回答

  • karusan
  • ベストアンサー率31% (10/32)
回答No.10

古代人や狼と現在生きる人を比べる方が無理があると思いますけどね。 それに犯罪が自分と関わりのない事だとも自身が犯罪者になる可能性がないとも思ってませんし法律が完璧だとも思ってませんよ。 それを承知で言わしてもらってます、犯罪者なんだから自業自得と。 良い人でも状況によって犯罪者になりえるのだから悪人ならなお更犯罪者になる可能性が高いわけじゃないですか。 複雑な心境云々仰ってますけど全ての犯罪がそうであるわけでもないし場当たり的な犯行も吐いて捨てるほどあるでしょう。 何より過程や心境がどれだけ複雑であろうと罪は罪ですよ。 そこまで加害者の立場になって考えれるなら被害者の立場になっても考えれるのでは? 家族を殺した犯人にお咎めなしで今まで通りの生活をおくってもらう。で遺族が納得するとでも?遺族じゃなくても嫌ですよ、そんな凶悪犯を野放しなんて。 大体加害者の複雑な心境が被害者や我々に何の関係があると?犯罪を犯してない人が全て恵まれて裕福だとでも? 厳しくとも真面目に生きてる人もいてその人が被害者になっていたりします その状況で犯人の人権ばかり尊重してるのも滑稽ですね。 結局貴方はどうしたいんですか?社会復帰が困難だからお咎めなしじゃ何の解決にもならないと思いますよ かといって凶悪犯罪でもないのに全て死刑ではやりすぎにも思えます。 全てが丸く収まるなんて事はないんだからどこかで誰かが我慢すべきでしょう そしてそれは加害者が背負うべきだと思いますけどね 社会復帰困難という痛みも含めて犯罪を犯す事がどういった事なのか考えるべきだし子供たちに教えていく事だと思いますけど。

garurururu
質問者

お礼

遺族の感情を犯罪者を罰する事で回復しようとするから矛盾が生まれるんですよ そんなくだらん憎悪の感情を満たすのは犯罪者だけで十分ではないでしょうか? 憎悪がくだらないものではない!と、思っているのであれば、謝ります。 また悲しみ等はくだらん感情に該当しません。私、心理学を少々、かじっているのでその辺は重々承知しています なぜ犯罪者を罰する事でしか遺族の感情が回復できないと考えるのでしょう?古代人ならいざ知らず・・・ あなたは人を恨んだ事がありますか?感情の回復の終わりは犯罪者を許す事ですよ? また犯罪加害者は、元・犯罪行為の被害者が圧倒的に多い、と言う点についてはどう思っていますか? 犯罪者を作る力を肯定してしまうあなたも、被害者を軽視している事になるんですよ。犯罪者が被害者を作るのですから 我々に何の関係があると?基本的に犯罪とは地底付近で起こるもので、天界では起こりません。起こりにくいです。政治家の犯罪率のみ例外で異常ですが。 あなたが天界付近に住む人間ではないのなら被害者か被害者の友人や家族になってもおかしくないと言う事です。関係が無いわけでもありませんし、 そもそもそれを言ったらここで述べられている意味での加害者も被害者も犯罪もあなたにとっては関係がありません 私は人権などに興味はありませんよ。まぁ人権を軽視する人に犯罪のような人権侵害を否定する資格も無いのですが。 人権の意味をわかって使っていますか?犯罪には人権侵害も多く含まれれいますよ? 丸くおさめられるところ、或いは、その丸く治める手段があるのなら丸く治めるべきではないでしょうか? それは生贄の論理ですね。子供達を恐怖を持って支配すると言う恐怖政治の論理です。効果的な支配のやり方だとは思いますが現代にはふさわしくはありません。あなたの意見はとても原始的です。古代人が用いた思考・手法そのものです。このような意味から古代人と私達は同列ではありませんか? 現代人と古代人の特徴の差はありませんよ?特に知能と性質。賢さには大差がありません。私達は多くを知っているだけです。 あなたの言うように狼と人間は大きく違いますね、ですが社会性と言う箇所は同列に語れるものです。 彼ら狼は彼らにとっての犯罪行為というものを法が無いのに犯していないのです・・・。 人より凶暴性・凶悪性は上なのにです。勿論ルール違反を行って一匹狼になる狼も存在していますが。ほとんどいません 私やあなたや、良い人であっても犯罪をする事は認識しているのですね。 では犯罪者が犯罪を犯すと考えずに私達が犯罪を犯さないのはなぜか?と考えた時 「犯罪を犯すために必要な条件が揃っていないから」或いは「その逆の条件が揃っているから」と言う結論に達しました 個人の外的要因で、ある条件が揃う事で犯罪が発生する。これは現実的な統計データを用いて出した結論です。 内的要因から発生する犯罪はむしろ少数・・・ 18歳未満なら多く有り得ますが。 自己責任論で終わらせるのは簡単なんです。しかしそれでは思考停止になってしまいます。 自己責任論は耳心地がいいので使いたがる人が多いのですが。大きな矛盾を含んでいます これでは科学的な現象が偶然起こったと言っているようなものです 現象が起こる前には必ず、要因(条件)があって発生します。統計を見る事で、条件がある程度抽出可能です 悪人とは誰が決めるんでしょう?悪の代名詞と言えば政治家や官僚ですが彼らは更正必要はありませんか?

garurururu
質問者

補足

あなたのイメージする犯罪者のような人物ばかりが犯罪をする世の中なら私もこのような疑問は抱きませんでしたね。18歳以下のチンピラ風自己中犯罪者によく見られるような犯罪者ばかりなら。 例え真面目に生きている私達でも、大と小の条件が揃いさえすば、誰でも犯罪者になってしまう現実があるんです。 そこに疑問を感じているわけです。 そしてその大の条件を作り出しているものが、あろうことか、司法そのものだという矛盾点に強い疑問を感じているわけです。 司法の観点からは犯罪を生み出す行為は犯罪になるものとならないものがあります。 しかし道義的なレベルではどちらも犯罪行為に等しいです。犯罪者を生み出す力なので。 あなたは犯罪発生装置と犯罪者そのもの、どちらが悪だと思いますか?ちなみに法ではどちらも裁かれますが実行犯に重罪が課されるので犯罪者が悪とされます。 解決策は法に求められません、下の人が言っているように、北欧の一部ようにセーフティネットを過保護なまでに充実させ、国民全体を賢くし、犯罪者の受け入れ体制を改善し、人を人として扱い、不安要素を一つでも多く取り除く社会にする事でのみ唯一解決可能です。犯罪者を責めたり、自己責任論を用いる事では何も解決しないんですよ。 自己責任論はかっこいいのかもしれませんが。

  • karusan
  • ベストアンサー率31% (10/32)
回答No.9

>遊ぶ金欲しさに犯罪を犯す人の否定であって犯罪者の否定にはなりませんよね? いいえ、これもまぎれもない犯罪者です。枠から外せない無視できない存在ですよ。 >また、懲役を課した事で、誰かが犯罪被害に合ってしまうと究極の矛盾についてはどう思われますか?裁判所の判断の自業自得でしょうか? 冤罪の事を言ってるのですか?だとしたら論点がずれてると思います。 もしぶち込まれた事により貴方の主張する社会に復帰できない状態になって罪を犯してしまう事について仰ってるならますますずれてると思います。 罪を犯してお咎めなしでそのまま放置されたなら味をしめ繰り返し犯行を重ねるでしょう、なんせ逆恨みで再犯する人なんですから「あ、許して貰えた、これからは真面目に頑張ろう」となるより「ラッキーやりたい放題」と考える方が自然でしょう。 自発的な償いと仰ってますがそんな考えの人なら再犯を繰り返したりしませんしそもそもぶち込まれるような犯罪を犯さないでしょう。 犯罪者を美化しすぎてませんか? 全てが極悪非道だとは言いませんが奇麗事だけ言っててもどうにもなりませんよ そもそも犯罪犯してもお咎めなしじゃ法治国家じゃありませんよね とっくに世の中滅んでますよ

garurururu
質問者

お礼

回答ありがとうございます。確かに紛れも無い犯罪者ですね なるほど、あなたの犯罪者のイメージがよくわかりました 冤罪ではありません。ん?何がずれているのでしょうか? >罪を犯してお咎めなしでそのまま放置されたなら味をしめ繰り返し犯行を重ねるでしょう 性犯罪と軽犯罪には厳しくすればするほど無くなる傾向が見られます それではなぜ執行猶予で犯罪を行わなくなるのでしょうか? 繰り返すと言うのはあなたのイメージですよね?統計では逆の結果が出ているんです 私も「ラッキーまたやろう」と考えると思うんですが、事実は逆のようです。 罰に抑止効果はほとんどないんですよ。 その程度の気持ちで気軽に行えるような軽犯罪(小さな悪)には効果テキメンなんですが。 重大な犯罪になればなるほど効果が微量となってくるものなんです 人が犯罪に至るに、あなたが想像できるような簡単な動機で犯罪が発生するわけではないんです。 非常に複雑な心理と葛藤を得た末に犯罪が起きているわけです。 >自発的な償いと仰ってますがそんな考えの人なら再犯を繰り返したりしませんしそもそもぶち込まれるような犯罪を犯さないでしょう。 ですからそのような犯罪者でも状況次第で普通に犯罪を犯す事になると言っているんです 何の不思議もありませんよ 良い人=犯罪者にならない。 と、あなたは思っていますね?違います。実は良い人でも犯罪はするものなんです。状況次第で 犯罪者の美化?なるほど食い違いがわかりました 私が見ているのは実は犯罪者と言うカテゴリに分けられた人物ではありません 私が見ているのは人間そのものなんですよ。 私も貴方も犯罪性質を帯びた人間そのものなんですよ。自分は犯罪者とは違うと思っているようですが。或いは犯罪者は別世界の住人だと思っているようですが。違うんです 私も綺麗事は嫌いです。私が言っている事は綺麗事の逆ですよ。最悪の汚いやり方です 私は統計や統計の中から得た要因を混ぜて理論を構成しているわけで、それがたまたま綺麗事に写っただけでしょう 法治国家ではない=世の中が滅ぶ。 あなたは法の持つ力を過大評価しすぎですね。実は私達は法に縛られているから悪い事を行わないのではないんですよ。 法治国家ではないという理由で滅んだ国をあげてみてください。古代の国には結構あると思います 狼などの社会性を持つ動物の群れには法はありませんが、彼らは皆、犯罪を犯していますか? まぁ法治国家は否定はしません。ですがあくまで運営手段の一つに過ぎません。 もう少し上手な運営方法も世界には存在しています。

  • t78abyrf9c
  • ベストアンサー率47% (3029/6402)
回答No.8

刑法自体の矛盾もあるかと思いますが、日本の場合は「世間の中で刑法を運用する」というダブルバインドのようなものが潜んでいると常々感じてます。 機会がありましたら、以下の書籍をご一読頂くと上記の意味が多少はご理解頂けるかと存じます。 http://www.amazon.co.jp/dp/4787231006/

参考URL:
http://www.amazon.co.jp/dp/4787231006/
garurururu
質問者

お礼

回答ありがとうございます 読んでみないと何もわかりませんが・・・ 法に矛盾があるのは仕方が無い事だと思っています。 ただし根本的に矛盾があるとなると、また話が変わってきます 被害者と加害者よりも、世間を重視しているように思えます。 世間を重視するのであれば、犯罪の実態と言うものを的確かつ正確に世間に知らしめてから行うべきかと私は思っています 世間と言うものは犯罪に対してほぼ無知なんですよね。ここにある一部の意見のように犯罪者は悪いやつ!と思う程度です。 また、法が絶対の正義のように教育されてしまいます 法が絶対の正義なのは現実なのですが、事実ではありません。この教育はしょうがない事なのですが。 病巣の治療は重視せずに、世間の感情を回復しながら運営する。 これは根治に必要な物理的な治療ではなく誤った精神療法のようなものです。 ブラセボ効果などは効果が認められていますが、やはり患部を治すものではありません。 この患部を悪化させる治療法を治療効果があると信じて用ている。そう見えます 患部の摘出ミス、抽出ミス、患部そのものを捉えきれず、意味の無いところを治療し または、治療したふりをして、世間をごまかし、新たな感染症を生み出してしまう危険なやり方を用いていると私は感じています

  • karusan
  • ベストアンサー率31% (10/32)
回答No.7

>では聞きます。あなたはなぜ犯罪者のせいにするのでしょう? 遊ぶ金欲しさに人を殺す人間がいるからですよ >あなたは犯罪者の全てが重度の人格障害を発症させた危険人物だと思っていますか? 全てだとは思っていません、生活が苦しく努力しても報われず食べるために仕方なくといったケースも勿論あるでしょう けどそういった場合上の方で回答されてた方が仰ってたように初犯で窃盗とかなら執行猶予がついたりします、逆に執行猶予がつかずぶち込まれてる人ってのはそれらの同情の余地なしって事なんですから自業自得でしょ 人格が歪んでそれが原因で犯罪を犯す人間は勿論まがさし犯行に及んだ人間でも犯罪を犯した事は覆しようのない事実なんだから償いは必要です 極悪非道の人間でも生来真面目な人であってもです。

garurururu
質問者

お礼

回答ありがとうございます 遊ぶ金欲しさに犯罪を犯す人の否定であって犯罪者の否定にはなりませんよね? 同情の余地無しなら死刑になるのではないでしょうか? また、懲役を課した事で、誰かが犯罪被害に合ってしまうと究極の矛盾についてはどう思われますか?裁判所の判断の自業自得でしょうか? 私も償いは必要だと思っています。ただ自発的な償いが必要なのであって 形式で償わさせられる事と言う意味の償いなら疑問符が付きます http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8A%E5%B1%9E%E6%AE%BA%E6%B3%95%E5%AE%9A%E5%88%91%E9%81%95%E6%86%B2%E4%BA%8B%E4%BB%B6 ↑この事件についてどう思われますか?執行猶予が付いたようですが。

  • rin00077
  • ベストアンサー率21% (117/534)
回答No.6

犯罪者に反省をさす事は難しいと思います。 逮捕されて、思わん刑が重かったり、思わん周りの親しい人間に 迷惑をかけたのにびっくりして、後悔する人はいるでしょうが、 その自分が犯した犯罪自体を、100パーセント自分が悪いとは 思っていないのではないでしょうか。 被害者が悪い。と思ったり、世間が悪い。と思ってみたりして。 刑務所の存在は反省させるとか、更生させるとかではなく、 悪い事をしたので、それに見合った罰を与えて、なおかつ一般 市民に迷惑がかからないよう隔離するところ。だと思います。 よって刑務所に再犯の抑止を求めるのは無理です。 それどころか刑務所で知り合ったもの同士が共謀して釈放後、 犯罪を犯すこともあります。

garurururu
質問者

お礼

回答ありがとうございます 適切な回答の一つだと思います。まだ六つしかありませんが。 被害者が悪い、世間が悪い。確かに犯罪者の姿勢としては感心出来ません。 しかしそれは私達関係の無い人間の感情論です。完全に無関係とも言えませんが。 ただ、何かのせいにすると言うことは私達も日常でよく行っている事でもあります 私は単なる人の特性、自己防衛と捉えています。 いくつかの犯罪も、この自己防衛の暴走から起こる性質のものもありますね 私が疑問なのは、その罰なんです。罰のあり方ではなく罰そのものです 罰から何か素晴らしいものが生まれると言うのなら罰を肯定しまくります そこら中の人々に罰をガンガン与えたいぐらいです。道行く人全てに。 しかし実際に罰の現実を見てしまうと・・・・ 全く素晴らしいものなど生まれていない。 むしろその逆のものが罰から生まれている。これが現実なんですよね。 ただ計算され尽くされた適切な罰からはプラスになるものが産まれる事もあります 非常に罰の与え方と言うものが難しい・・・ 罰とは本物の最高の頭脳を持つような人間にしか扱えないような危険で難しいものなのだと感じました。 つまり、人が扱える代物ではないと。色々学ぶうちにそう感じました。 やはり、隔離なんでしょうかね・・・

  • phj
  • ベストアンサー率52% (2344/4489)
回答No.5

昔法律を勉強したものです。特に刑法・刑訴法が好きで、刑期後の更生についても調べたことがあります。 日本の刑事裁判の特徴は、実は執行猶予が以外に多いということです。特に初犯で本人が反省し、周りに受け入れる体制が出来ている場合は、窃盗程度なら執行猶予をつけて懲役刑にしないようにしているようです。 この場合の再犯率は、諸外国と比べてもとても低く、日本の治安の良さのひとつの要因となっています。 また再犯後の懲役刑でも、周りに受け入れ態勢が整っているなら、刑期を短くされるように配慮がなされていますし、模範囚ならかなり短期間で仮出所できるようです。 この場合の受け入れ態勢とは、必ずしも身内だけとは限らず、地域にいる保護観察官や保護司などの受け入れ態勢も含みます。 このような仮出所をして保護観察下で更生したほうが、刑期満了で出所したものより、どの犯罪事案でも再犯率は低くなっているようです。 これはgarurururu様が指摘される、刑期が延びると社会に再適応できずに、犯罪を犯してしまうという部分もあると思います。 「社会秩序の維持が大前提の刑務所の存在自体が新たな犯罪の温床になっている」ような部分をカバーする機能があるということです。 死刑を含めて、犯罪者にお金をかけるのは無駄、という風潮がありますが、むしろ逆で犯罪更生をきちんとお金をかけて行うことは、犯罪の温床を未然に防ぐ役割を持っているということです。 自殺・貧困・犯罪などすべてにおいて、最後のセイフティーネットがあるほうが、社会は安定します。もちろん最初のセイフティーネットも重要で、たとえば初等教育におちこぼれを生まないようにすることでも、後々の犯罪者が減ることにつながります。その点でも日本は、たとえば文盲率を見ても非常にうまく機能しているといえます。 上流から下流まで、今でも日本は比較的うまく機能しているほうだと思います。

garurururu
質問者

お礼

素晴らしい意見ですね。これ以上意見が来なかったらベストアンサーに選びます 実はあなたの述べられている内容と全く同様の事を聞き、この疑問を抱きました すなわち、罰ではなく、寛容こそが人から犯罪性質を奪い去る役割を持っている この綺麗事も甚だしい宗教チックな結果が、統計上、数値・結果として出てしまっているんですよね 犯罪者に犯罪性質があるのではなく、受け入れ態勢、すなわち環境に犯罪性質が備わると この結果が現実世界の統計に表れているんです しかし、私はまだカバーはしきれていないと思っているんですよね 懲役刑の矛盾は、やはり解消されていません。おそらく解消不可能なのでしょうが 彼らはある意味、犠牲者や、生贄のように思えてなりません 私と同一の見解です。犯罪と言うものの本質を深く深く捉えて理解していますね。 社会のあり方なども・・・ ただ、セーフティネットはまだまだ日本は不十分だと思います。 あなたのような人が増えればもう少しマシな世の中になりそうです。 統計数値も、その統計の中に含まれる内容も、よく把握されていて高い知性を感じます 私は機能不十分と思っているタイプなのですが。中国などと比べれば十分機能は果たしていますがね。

  • karusan
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回答No.4

>犯罪者=悪逆非道で人間性の欠片もない、更正の必要性が大いにある犯罪者 と言う前提があって初めて成り立つ論理ですよね 更正の必要性がない犯罪者って何ですか? 人間性が欠片でもあって本当に反省したならレッテル貼られたからと言って再犯を犯さないと言ってるんですよ 逆に自分のした事を反省できてない人に限ってそういった事のせいにしてまた罪を犯すのです 誰かのせい、何かのせいにしてれば人間楽ですからね 世間のせいにし自分が被害者だと思って甘えたいだけでしょ。

garurururu
質問者

お礼

あなたの意見は現実を見たものではありませんね。いや、これが一般論なのでしょうが。 むしろ私の意見が異端ですね。 その意見は理想や願望の類です。人間はこうあればいいなぁと。私もそう思いますが。 >更正の必要性がない犯罪者って何ですか? 逆に更正の必要性のある犯罪者について述べます。 更正の必要性がある犯罪者とは、人格の歪みが基となって犯罪を犯した人物の事です。大いに更正の必要性があると思います。構成教育効果は微妙ですが。 つまり、人格(性格)の歪みから犯罪を犯した人ではない人物に更正の必要性は存在しないと言う事なんです。 あなたは犯罪者の全てが重度の人格障害を発症させた危険人物だと思っていますか? では聞きます。あなたはなぜ犯罪者のせいにするのでしょう? 要因無くして論理は構成できませんよ?論理無くして結論も無しです。 要因無くして出来事と言うものは起こりえません 化学式や科学式のように犯罪式と言うものが存在するんですよね。 何かのせいにしたり、偶然を利用して化学変化が起こるわけではないのです。 犯罪発生要因を見なければ犯罪予防も犯罪の分析も出来ません。犯罪を深く知ることは出来ないでしょう。 犯罪者は悪い人がいてほしい。悪い人であって欲しい。 このような非現実的な願望を私達は持っていますね。本当にそうなの?

回答No.3

法律には詳しくありません。 1.死刑にするほどの罪を犯していない人 2.財産刑(罰金など)では反省を促すことのできない人(金持ち) 上記の人に反省を促すにはどうすればいいでしょうか。江戸時代なら100叩きとか鞭打ちとかあったようですが、そういう身体罰も若年者・若者・老人では不公平ですね。懲役刑しかないのではないでしょうか。 なにも罰しないというのはありえないと思います。 懲役を受けることで、刑期満了後、社会に適応できず再び罪を犯してしまう。 確かにおっしゃるとおりでしょう。再び罪を犯して、また懲役をうければいいのです。社会に適応できない人は一生刑務所とシャバを行ったり来たりすればいいのです。つまり、そういう人を社会は排除しているのです。 刑務所は教育機関ではありません。懲罰機関です。 以上が私の考えです。

garurururu
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 私も法律には詳しくありません。 反省をさせると言わずに反省を促すとおっしゃっているところに好感が持てます 懲役刑にされる事で大きな不利益が存在します。 この場合、反省よりも後悔が大きく上回る事になると思います 私も無罰は更に大きな矛盾を発生させるものだと思います。 >再び罪を犯して、また懲役をうければいいのです。 もしこれが人に危害を加える罪で、あなたや、あなたの周りの人が被害者になったら? 罪を犯させてしまう事の問題点が解決できません。 つまり人一人を排除してしまう機関。言い換えれば人権侵害機関とも言えますね 国が人権侵害を肯定してしまうと人権侵害行為を推奨しているかのように思われます この問題は非常に難しい問題だと思います

  • karusan
  • ベストアンサー率31% (10/32)
回答No.2

ぶち込まれる事をした人が悪いので自業自得だと思います。 ○○だから仕方なく…と言って再犯する人は結局更正できてないと思いますよ。 本当に反省しているならそうやってレッテル貼られる事自体自身のせいだと受け止めてるはずですから。 理由があって犯罪を犯すのではなく犯罪を犯したいから理由を作る人も少なくないでしょうし。

garurururu
質問者

お礼

あなたの意見だと 犯罪者=悪逆非道で人間性の欠片もない、更正の必要性が大いにある犯罪者 と言う前提があって初めて成り立つ論理ですよね 果たして犯罪者とは、そのような人ばかりなのでしょうか? 私達のイメージだとそんな感じかもしれませんが・・・

回答No.1

  同感です。 中国の様に逮捕から死刑執行まで2ヶ月と言うようなスピーディーな処理をして欲しい。 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20091015-00000002-rcdc-cn 2009年10月逮捕 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20091229-00000041-jij-int 2009年12月29日死刑執行