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日本人が「祈る」ってどうやるんですか?

一例といたしまして、 著名人が亡くなったりした場合、知人等のコメントに「ご冥福をお祈りします・・・」と言うのを見聞きします。 「お祈りします」とは言いますが、その後に、祈りのポーズも言葉もありません。 欧米(キリスト教?)ならば、十字を切る、手を組む、「アーメン」というなどイメージ出来ます。 サッカーの試合などでも、選手が十字を切るシーンを観ます。 日本(人)の場合、祈るとは、どういうポーズで、どんな言葉でする行為なのですか? もちろん、クリスチャンならば、上記の例にしたがって行うことを教えられているのだとは想像いたします。 わたしは一切祈ったこともなければ、そういう教えなども受けたことがなくまったく無知です。 精神的なものだとかではなく、儀式と言いますか、形と言葉です。 十次を切ったり、「アーメン」と言うようなことです。 どうぞ、よろしくお願いいたします。

みんなの回答

  • wolfwood
  • ベストアンサー率50% (199/398)
回答No.4

言葉の使い方(意味)の問題ですね。質問者さんの例に挙げられている「祈る」は意味としては「願う」つまりそうであって欲しいと思うということです。日本人としてはただ頭の中で思うだけで特定の所作はないと思います。 キリスト教のように手を組んだり、合掌したりすることもありますが、これは質問者さんと同じようにそういうイメージがあるから行っていると思っています。

  • acasa
  • ベストアンサー率40% (48/118)
回答No.3

No.2です。 >その時、発声はなくても、こころの中で、なにか言う言葉とかはないのでしょうか? No.2で述べたように発声はあります。 例 浄土宗では、南無阿弥陀仏(南無阿弥陀佛、南無阿彌陀佛)。 日蓮宗では、南無妙法蓮華経。 真言宗では、南無遍照金剛、又は、南無大師遍照金剛。 禅宗では、南無本師釈迦如来大和尚、又は、南無本師釈迦牟尼如来。 などなど・・・ 神道では、言葉ではなく心です。 心の表し方(言葉や礼儀や作法)よりも、心のあり方(心)そのものが重要です。 心がなければ、いくら心の表し方を完璧にしても意味はないのです。 神は、私たちの心を分かっています。形にこだわらなくてもよいのです。

  • acasa
  • ベストアンサー率40% (48/118)
回答No.2

仏教の場合、手を合わせることで、武器は持てない、こぶしでも平手でも打たない意思表示で、服従のしるしであります。 言葉は、「南無・・・・」南無は帰命、帰依という意味で、命を捧げるほど大事に敬うという意味があり、「・・・・の教えに従います」という意味になります。 神道の場合、てのひらのことを「たなごころ」と云います。左右のことを「真」といい、左右のてのひらを合わせて「真のたなごころ」まごころ、赤心、明心、となり、 真のこころを神に示すのです。 真のこころを神に示すので、言葉はありません(要りません)。

  • hunaskin
  • ベストアンサー率30% (1854/6060)
回答No.1

冥福を祈る、というのは仏教の概念なので 動作であらわすならば合掌でしょうね。 法事や墓参り、初詣で等の参拝の時に手を合わせて軽く頭を垂れる、あれですよ。 特に発声の必要は無いでしょうお経を読んだりやご真言を唱える時も小声ですね。

kareman
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。冥福は一例としたまでです。他にも「健康を祈る」「成功を祈る」「無事を祈る」「合格を祈る」「幸せを祈る」等々。対象はさまざまですが、やたら祈ることがあるようですが、その「祈り」そのものの形がどういうものなのか・・・ということです。祈ると言った人は、人知れず、合掌しているのでしょうか?その時、発声はなくても、こころの中で、なにか言う言葉とかはないのでしょうか?「アーメン」とか常套句が。それとも、それぞれの対象を言うのでしょうか?「成功しろ、成功しろ、成功しろ・・・」と。オウムみたいですがw

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