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今始まっている 自殺問題対策は?
1 助ける為の対策を 医師やケースワーカーや学校の先生等責任あるスペシャリストが実行すればよい? 2 中小経営者への連帯保証制度を見直すべき?被用者も含めて 家族を人質にするいじめ社会や悪習を廃除すべき? 3 自殺に至る前にそこまで至らない、自分でどうすれば助かるか?よいかがわかる世の中の仕組みが必要? 4 うつ病に集中して 早く見つけ 別扱い(ケア)すればよい? 個人に介入する事はいけないという考え方を打破しなくてはならない? 5 ワンストップサービスも含めて 全てが把握できる仕組みや制度を作ることが必要?? 6 他 どれがいいと思います?
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- --dream--
- ベストアンサー率25% (3/12)
「死を肯定的なものとして受け入れる社会」を提案したNO4 です。ナハハ、あれだけポンッと言われてもピンとこないで すよね。もっと具体的に説明しますね。 当たり前に生きていくことさえ難しい地獄のような世の中で、 私たちは「いつ死んでもいいような覚悟を常に持つ」ことが 大事だと思うのです。明日がどうなるかなんて誰にもわから ないでしょう?だから、今を大切に、たくさんの思い出をつ くり、常に備えておくのです。「私はもう充分生きたぞ」と 思えるように。 私は高校時代の親友を自殺で亡くしています。原因を知って いる私は、「よかったね。少なくとも、これでもう、苦しま ずにすむ」と安心しました。喪失感なんて感じませんでした よ。これ以上やらなきゃいけないことなんかないと言い切れ るほど、たくさんの時間を過ごしましたから。 いくら自殺対策なんかしたって人は必ず死ぬのです。死なな かったら生き地獄です。死ぬということは、この世のありと あらゆる苦しみから解放されるということです。変に未練が あるから、自殺=悲しいこと、となってしまうのです。そう ならないよう、死=解放という肯定的な意識がもっと社会に ひろがり、人々が毎日を大切にして生きる。そうすれば、ど んな未来が待っていようと…。
- --dream--
- ベストアンサー率25% (3/12)
6.死を肯定的に捉えることのできる社会づくり。 人が亡くなるということに、悲しむのではなく、「よかったね。 これで苦しみから解放される」という発想が必要です。だいた い寿命が3ケタ近いなんて長すぎるちゅーねん。老後の心配な んかするより、若いうちに遊びまくって、40くらいでポック リ逝くことに希望を持てることのほうがずっと明るく感じます。
お礼
人の死を肯定的に捕らえる社会ですか ???愛する人が死んでも喪失感ももたず傷つかない 良かったねと思える社会??? もう少し普通の社会に生きている人間にわかるように説明してくださいませんか?
- juyjuy
- ベストアンサー率22% (139/612)
NHKはなんとか思い通りの答えにもっていったようですが、Aさんのプライバシーをどうしてくれる!という意見は「横のつながり」を主張する声に搔き消されてしまいました。プライバシーを守ることとコニュニティ-の強さは相反するものです。この点が論議されませんでした。 この論議では「覚悟の自殺」と「鬱の末の自殺」を混同しているため結論があやふやになっています。この二つの自殺に対しては対策は全く別のものが必要でしょう。
お礼
賛成。 覚悟の自殺の利益を無くす事。 鬱は環境を変える為の社会的行動者が必要な事。 プライバシーが縦割りによって守られている現実もあるんだよね。 会社が駄目なので監督署に医師に頼る。 さらに些細な事まで 裏でつながっていたら誰にも相談できない。
- heinell
- ベストアンサー率35% (420/1172)
6. 限られた項目を挙げて「これやれば大丈夫」って発想でいる限り所詮付け焼き刃。 実際は社会全体を底上げするような事が必要で、自殺者だけを対象に考えてちゃダメ。
お礼
賛成!
- kametaru
- ベストアンサー率14% (339/2313)
5 + 6 です。
お礼
回答ありがとうございます あれ?個人情報も全てを把握した組織はすさまじい利権を持ちますね。大丈夫かな
お礼
悲しい現実に直面されたようですね。回答ありがとうございます。 人は傷つきますし 傷は癒さなければ生きていけません。 私見ですが 傷つきたくないからといって それを傷ではないと否定しても やはり傷は傷 癒さなければ傷を広げると思います。 サトヤタエさんが モーグルでオリンピックに未だに出てがんばっています 彼女は 自分の腰の激痛は素直に認めて そこは無理をせず それ以外に出来る努力のみ集中してココまでがんばったのだと思います。 痛みは受け入れてケアを それ以外に出来る事に集中して 自分人生をかけて努力して精一杯人生を生きる、、。 中々できることではありませんが 「痛みを肯定的なものとして受け入れる」 というのとは違うと思います。 痛みを痛みとして 身近な人の死は死として 「あるがままを現実的に受け入れたうえで」 自身の心のケアを時間をかけて行なう。 スピリチャルペイン または ソーシャルペインに対しての適切な対応は前向きな人生のためにも必要だと思います。 さりとて それ以外の人生は別 できることを真直ぐにきちんと生きる。という事はだいじだとおもいます。