昭和30年(1955年)以前の作品となると、東映以外の作品でも、ほとんど観る機会はありません。
古い時代劇などの場合、テレビ放映に際しては、「放送コードに引っかかる差別表現」などが多いためと云う事も考えられますが、名画座ではあまり問題ないはずで、他に考えられる理由としては、「上映時間が半端なものが多かった」事が一つあると思います。
1952年に松竹が始めた「シスター映画(SP)」が嚆矢とされていますが、中編映画がたくさん作られるようになり、東映でも、1954年の「新諸国物語 笛吹童子」辺りから始まった「東映娯楽版」と称する子供向け映画や二本立ての添え物の大半は、上映時間1時間未満の中編が多い。
昭和30年(1955年)を例にすると…
東映京都作品「新諸国物語 紅孔雀」が一編大体50分前後。
東映東京作品「大岡政談 血煙り地蔵」が45分
東映京都作品「彦佐と太助 俺は天下の御意見番」50分、「彦佐と太助 殴り込み吉田御殿」が48分
東映京都作品「百面童子」シリーズも、一編大体50分前後
東映東京作品「魚河岸の石松」シリーズも、1955年から「添え物扱い」になったのか、急に尺数が短くなっています。
この手の「半端もの」は、劇場でもテレビでも編成し難いと思うんです。
二本続けて上映だと2時間近くになり、これはちょっと微妙に長くなりすぎて、回転が悪くなりますし…
ただし、当時でも、90分前後の普通の尺数の映画もありますから、これだけが原因ではないでしょう。
もう一つ考えられるのは、質問者様がご指摘のように「フィルムの保存状態が悪い」可能性です。
現在、名画座でかかる1980年頃の映画でさえ、借りてみたら、とても上映出来るような状態ではなく、別の作品と差し替え…などと云う事例が時々起こっていますから、半世紀以上前の映画となると…
今のように、パッケージ化して再販するなどと云う考え方がない時代でしたから、フィルムセンターのような公的施設でもない限り、どこの映画会社も保存はいい加減だったようですから。