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父が死の直前に見たものについて
昨年、実父を癌で亡くしました。そのことについては、徐々に気持ちの整理が出来つつありますが、ひとつだけどうしても気になり続けていることがあります。 父は亡くなる直前(心停止の10~15分程度前だったでしょうか)に、病室の天井の片隅を指さし、「あれ・・・あれ・・・」というような仕草をしました。何かを言いたそうに口が動いていましたが、私が「何?どうしたの?」と尋ねても答えることはなく、同じ仕草を繰り返しました。その時、病室に居た看護師さんは「ああ、何か見えているのね」とつぶやいていました。 実は、私は心霊譚の類はあまり信じないタイプです(生前の父も全く信じていませんでした)。この話をすると周りの人達は「ご先祖様が迎えにきてくださったんだよ」と慰めてくれますが(そのお気持ちはありがたく思っていますが)、私は今ひとつ納得できていません。 父が見たものの正体は一体何だったと思われますか? 父は癌末期の痛みを緩和するため、モルヒネの投与を受けていましたが、亡くなる1日前まで意識は晴明で、会話もふつうに成立していました。しかしモルヒネで痛みがあまり取れず(希にはこういう事もあるそうです)、苦しむのを見かねた医師が家族同意の上で、徐々に量を増やし極量まで達した日にモルヒネによる呼吸抑制が起きて亡くなりました。 私は父はモルヒネの急激な増量で幻覚を見たのではないかと想像していますが、こういうことはよくあるのでしょうか。「あれ・・・あれ・・・」と繰り返した時の父の表情に心なしか恐怖が混じっていたような気がして(単に癌の苦しみで表情がゆがんでいただけかもしれませんが)、とても気になっています。 もし、幻覚だとしたら、どのような幻覚が現れるのでしょうか。「麻薬常習者が壁に大量の虫が蠢く幻覚を見ることがある」というような話を聞くと、もしかして父も嫌な幻覚に苦しんだのかもしれないと思い、心が痛みます。同じような体験をされた方がいらっしゃいましたら、どうやってお気持ちの整理をつけられたか教えてください。また、合理的な説明が可能であれば、ご教示いただけましたら幸いです。 どうぞよろしくお願いいたします。
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こんにちは。いろいろな可能性が考えられます。一つは、モルヒネを投与されていたとのことで、他界される直前に脳内物質の何らかの影響で、生前に抑圧していた感情や、達成できなかった後悔などが瞬間的に走馬灯のように記憶として蘇り、何らかの象徴的なものを幻覚として見られた可能性があります。 また個人的な体験として臨死体験がありますが、死の瞬間、今までの現実に持っていた思い込みや先入観が外れる事があります。つまり、今まで当たり前だと思っていたことが、実は全て自分自身の意図で作り上げていたんだという、言葉では正確に表現が難しいですが、語弊がある表現かもしれませんが「騙されていた」ような感覚が瞬間起こります。と同時に、圧倒されるほどのたくさんの「存在」や「空間」を認識する事も起こります。それは驚愕というような体験になります。 上記はあくまでも可能性なので絶対的な事ではありませんし、実際何を体験したかはお父様自身でないと分かりません。ただ、一つ言えるのはそれはあなたの体験では無いと言う事です。臨死体験から個人的に分かったことは、お父様は瞬間的に驚愕的な体験をしたかもしれませんが、その後は苦しまず「なるほど」という腑に落ちた感覚意識になっているので大丈夫です。死というものは、遺された家族や友人にとっては悲しい体験ではありますが、当人にとってはそれが例え病死や事故であったとしても、一つの人生の反応であり、ある意味卒業です。私たちの文化には生まれたときは祝福されるのに、死ぬ時は悲しみで見送られるということがありますが、他界されていく人にとってはこれが次のステップへ安全に移動する事への障害になることになります。辛い気持ちは分かりますが、お父様は安心を求めているので、感謝とそして次のステップへ進むために祝福の祈りを送ってあげることが大切かなと私は個人的に思います。 以上ですが、何かの参考になれば幸いです。
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- senorsenor
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私の父は肝臓癌で亡くなりました。 やはり病床では何かを掴むようなしぐさをしてい た事もありました。 その後1年ほどで今度は建設業をしていた叔父が白血病になり 亡くなる前に「もっとこっちこっち」「ここに下ろして」などと 仕事をしているしぐさをしていました。 もうろうとした意識の中で一種の夢をみているようなものだと 思います。 身内のそのような奇怪な様子を見るとショックを受けますが 痛みを和らげる薬で心身共に催眠状態になり夢を見ていたのだろうと 思っています。
お礼
父が、「あれ・・・あれ・・・」というような仕草をした時、病室にいた身内は私(娘)と私の子ども(孫)だけでした。子ども(医療関係の仕事をしています。新米です)は私以上に醒めたところがあり、この件については「たまたまこの仕草が死の直前だったから先に逝った誰かが迎えに来たような気がするだけで、もしかしたら、誰もいない時にも(モルヒネ投与開始後も容態がさほど切羽詰まっていない時は夜は帰っていました)、同じ仕草をしていたかもしれないよ。だとしたら、次の日見舞っても、お祖父ちゃんはそういう話はしなかったわけだから、幻覚を見たとしても、お迎え系じゃなかったかも?」と言っています。回答の叔父様のエピソードを拝読して、そういう(単なる無意識の仕草だった)可能性もあるのかもしれないと思いました。 父は亡くなる前夜、一人で付き添っていた私に「今までよく世話になった。ありがとう」と言い(末期癌でモルヒネを投与されていることは本人も知っていました)、亡くなる日には病室にいた私と子どもを手招きして、もう起き上がることは出来ませんでしたが、寝たまま、かわるがわる抱きしめてくれました(昔気質で照れ屋だったので、今までそういうことをされたことは一度もなく、びっくりしました)。 人は亡くなったらどうなるのかは、今の私にはまったくわかりませんが、いずれわかる時がくるので(誰でも旅立ちはやってきます)、それまでは、父が残してくれた感謝の思いを大切にして生きていきたいと思います。子どもも「仕事で人の死に立ち会う機会があると思うけれど、お祖父ちゃんとのことはこれからの糧になると思う。貴重な経験だった」と話しています。 ご回答いただき、ありがとうございました。
うちのじいさんは肺病で死線をさまよった時に 日蓮上人に導かれてこの世に舞い戻ってきたそうです。 (ちなみに先祖は日蓮宗には一切縁がなく、今もない) で、それ以来、じいさんだけが日蓮宗に改宗しました。 そのじいさんも、死ぬ数日前にばあさんに 昨夜、お迎えがきた夢をみたから、そろそろ 心の準備をしておくように。。と言ったそうです。 お迎えはかなり昔に死んだお友達だったそうです。 嘘か真は知りませんし、どうでもいい話ですが。ご参考まで。
お礼
日蓮上人ですか。それはまた大物(徳の高い方)に導かれたものですね。 私は子どもの頃、体が弱く(今は頑丈ですが)肺炎に罹ったとき「お坊さんの行列が通りがかったのでついてい行こうとしたのだけれど、自分だけ転んで、お坊さん達に待ってと必死で頼んだけれど待ってくれず置いてきぼりになった夢」を見たことがあります。それを母親に話したところ(母はスピリチュアルな出来事を信じるタイプ)、「ついて行ってたらあなたは今頃この世にいなかった。転んでよかった」と本気で安堵していました。私は小さいときから変にリアリスト(とうか理屈っぽい性格?)だったので、「幼い頃、極楽とか地獄とかの絵本を読んで自分の中にそう言うイメージができあがっていいたのだろう」くらいに思っていました。 夢か高熱が見せた妄想かはたまたプチ臨死体験だったのか、当の私にも今となってはよくわかりません。世の中には解明されていないことが数多くありますね。いろいろな可能性があることを謙虚に認めたいと思います。 ご回答いただき、ありがとうございました
痛みを抑えるため、モルヒネを使用していたのですよね。 モルヒネの使用、状況から考えて、現実的な言い方をすれば、幻覚を見たのだと考えられます。 ただその幻覚が何であったのか。恐怖感を伴うものという内容がご質問にない所を見ると、見たものがお父様にとって恐怖感を与えないものであったのだろうと思います。 例えば、先に他界されたご友人やご家族とかです。 私の父親は10年ほど前に、癌を患っていた所に肺炎、結核の症状が出て、肺炎発病から10日で他界しました。前日まで減らず口をたたいていたのですが、偶然かなんだか判りませんが、他界した日は、最も仲が良く、前年に他界した親友と、まるで同じ日でした。親友だった方のご家族(奥様)から、「私を連れて行けなかったものだから、最も仲が良かった友達を呼んでしまったのかしら」と言われましたね。 科学で割りきれないことは多くあると言われています。気にされないことがいちばんでしょう。お父様はその時、きっとかけがえのない人か誰かの姿を見ていたのでしょう。
お礼
>他界した日は、最も仲が良く、前年に他界した親友と、まるで同じ日でした。 父は少し間の悪いところがある人でしたので(もちろん父を愛するゆえの悪口です)誰かを呼びに来ても、タイミングが悪くて追い返されるかもしれません(笑)。ちなみに父の誕生日は、初孫である私の子どもと一日違いです(「一緒だったら覚えやすかったのにね」とさんざん言われていました)。 >例えば、先に他界されたご友人やご家族とかです。 仮に幻覚であっても、そんな人たちなら私も大歓迎です。 ご回答いただき、ありがとうございました。
- f5system
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生前仲良くされて、先立たれた人の姿を見て驚かれたのです。たぶん、その人の手招きで、死を決意されたのでしょう。もしも、その人からまだ早いと言われたならば、まだ、命があったと思います。
お礼
もし、仲がよかった人の姿が見えたのなら、安らかな気持ちになれたでしょうね。そう信じたいと思います。私が死ぬときは誰が来てくれるかな? 誰も来なかったらどうしよう・・・その時は引き返せばいいですね^^ ご回答いただき、ありがとうございました。
- aymhfgy
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お父様のご覧になられたものは恐ろしい、魑魅魍魎ではなく、何か美しいもの、心を和ませるものであったと信じたいと思います。 死ぬ前というものは幻想を見るのか、心霊を見るのか、それはご本人でないと分らないのではないかと思います。 同じような体験ではありませんが、父が亡くなる直前に、私は不思議とある数字が気になりだし、何故かと思っているうちにその数字のつく日に亡くなりました。不思議なことでした。 又、ある友人は霊感なんて今まで全く無かったのにお父様が亡くなられた直後に夢枕に立たれたということでした。夢ではなかったと言えるくらいリアルな体験だったということでした。 質問者さまは合理的な説明と言われましたが、人の生き死に対しては何人といえどそれは不可能ではないかと考えます。 私は基本的には心霊はあるかもしれないし、ないかもしれない、わからないものであると思います。 脳の働きというものもまだ、解明しきれていない部分があるのではないでしょうか。しかし、この、(分らない)ということを受け入れるのも人の謙遜につながるような気がしてなりません。 臨死体験については評論家の立花隆さんが随分、詳しく色々と調べておられるようなので著書を読まれてもと思います。 こういうことを申してお気に障られなければと存じますが、もし苦しまれて亡くなられたとしても今はそこから解放されて魂の平安を得られているのだから御遺族として安堵して頂ければお父様の魂もより安らかに救われるのではないかと思えてなりません。 お父様のご冥福を心よりお祈り申し上げたいと思います。
お礼
死の前に何を見たかなんて、本当は本人にしかわかりませんよね。仮にある人が見た「何か」がわかったとしても、それが全ての人に当てはまるかどうかわからないわけですし(何となく自分でもそう思っているのですが、こうしてみなさまからいただいたご意見にお礼を書くことで、気持ちが落ち着いてくるような気がします)。 臨死体験に関する本はキューブラーロスの研究くらいしか読んだことがありませんでした(しかも随分前に読んだので内容も忘れかけています)。立花氏のご著書とともに、読みなおしてみたいと思います。過去に読んだときには気づかなかった何かが見つかるかもしれません。 ご回答いただき、ありがとうございました。
- dogday
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幻覚は自分の感情と感覚を拡大したものなので、 マイナス思考の時は、自分の持つ恐怖が拡大した幻覚を見ます。 楽になって快感を得た時は、多幸感で幸せな幻覚を見ます。 正直、どちらもありうる状況なので、死にゆく人の気持ちはわかりません。 ただ、モルヒネを増やしていくことは、感覚や意識がなくなっていくことですので、自分が死んでいく意識が薄れていく状態で、恐怖は少ないのではないでしょうか? モルヒネの語源は、ギリシャ神話の夢を司る神、モルフィスから名付けられました。夢を見るように痛みが遠のき安らぐからです。 ご自身が天に昇る夢でも見たと思いたいですね。
お礼
モルヒネの語源は、今まで不勉強で知りませんでした(語源について考えたこともありませんでした)。ふつうの時に眠っていて見る夢にも、その時の精神状態が反映されますから、幻覚はそれがもっと拡大した状態なのでしょうね。父が幻覚を見たとしたら、せめて心地よいものであったと信じたいです。 ご回答いただき、ありがとうございました。
お礼
>抑圧していた感情や、達成できなかった後悔などが瞬間的に走馬灯のように記憶として蘇り、何らかの象徴的なものを幻覚として見 >死の瞬間、今までの現実に持っていた思い込みや先入観が外れる事があります 可能性として考えられるという意味で、とても納得できました。 >私たちの文化には生まれたときは祝福されるのに、死ぬ時は悲しみで見送られるということがあります もし、死がある世界から別の世界へ移動であれば、「こちらは寂しくなるけど、向こうで頑張ってね」と素直にエールを送れるような気がします(なんだか転勤者を送る言葉みたいですが)。そういう考え方も前向きに生きるために大切かもしれません。 ご回答いただき、ありがとうございました。