なんか思うんですが、フェチでないものがフェチとして
なんか思うんですが、フェチでないものがフェチとして市民権を獲得している中、逆にフェチであるものがフェチとしての市民権を得られなくなっているように感じますがなぜでしょうか?
例えばスクール水着フェチというフェチがありますが、あれもスクール水着というアイテムに強い依存を感じるという人はほとんどおらず、スクール水着フェチと言いつつも、着ている女の子をただ愛でているだけじゃん?な人が多く思います。
同じそれであっても、女の子がスクール水着を着ているからこそエロいんだ、スクール水着を着ていない女の子は好きになれない、というならそれはまたフェチですね。
でも基本的にこれらの人って、元々女の子が好きという前提の上にスクール水着がついただけなので、本来はフェチと呼べないと思います。
また、よく思うのがフェチであれば、異性愛とか同性愛という言葉を絡める行為はちょっとナンセンスな気がします。
女性用アイテムの他に、競パンとか男子体操着みたいな男性用アイテムへのフェチというのも考えられますが、これはなぜか同性愛の一種として捉えられることが極めて多いです。
しかし、競パンは男性用アイテムではありますが、競パンというアイテムと、生きてる男性は全く異なるものです。
競パンが好き、もしくは男性が穿いている姿も好きだけど、脱いだら性的魅力が激減するというのであれば、それは同性愛じゃなくて競パンが好きな、競パンフェチだと思います。
で、競パン(やその他のメンズアイテム)が好きだからゲイセックスが好きとまで決めつける人がちょこちょこ居ますけど、ここまで来ると完全にナンセンスだと思います。
ぶっちゃけ、メンズがらみのフェチと同性愛は、別概念としか思えません。
だけどそれが一対一の様に扱われるのは、フェチという概念がいかに市民権を得ていない、理解されていないってことかと思います。
なぜフェチって、フェチじゃないものばかりが市民権を得て、本来のフェチの方がフェチとして市民権を得ないのでしょうかね?