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過去の中学校の偏差値について
自分は、早稲田中学に通っているのですが、父も同じ早稲田中学でした。 ある日、自分の時の方が偏差値が低いと言っていたのですが、どのくらいか気になったので過去の中学校の偏差値がわかるところを教えてください。 ちなみに1970年で、四谷大塚のが一番うれしいです。
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- number0004
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過去の偏差値は どのサイトを見てもあまり掲載しているのがありませんが 直近であれば 以下のサイトなどはいかがでしょう。
- 参考URL:
- http://www.chugakunavi.com/
- t3-waka-ju
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あなたのお父さんよりも年上のおじさんです。私も1960年代前半に四谷大塚に通い,中学を受験しました。早稲田中学も受けようかなと思ったこともあります。当時は行きたいところを1校だけ受けて,ダメなら公立に行くというのがほとんどでしたね。まあ国立と私立を2校受ける人はいましたが。試験も私立は2月1日と2日の2日間(筆記1日,面接1日とか私が受けた開成は筆記だけでも2日間あり,面接もありました。)というところが少なくなく,3日以降に試験をやっている学校があったような記憶はありません。たしか当時は開成よりも麻布の方が難しくて人気がありましたが,麻布に受かりそうでも慶応の方が好きだと言って慶応だけを受けて行った友人も結構いました。それに今の中堅より下の学校は中学からの募集はなく,中学から募集する学校は上位の限られた学校でしたね。まだ経済的に高校に行けない人も結構いた時代ですから。全体が貧乏でしたしね。要するに,ほとんど偏差値のようなことを気にした受験はしなかったと言うことです。ですから偏差値を並べて受験校を選ぶというようなこともなく,どこか気にいったところだけを受けるということでした。ですから偏差値のランク表などもなかったですし,そもそも偏差値を出していたかどうか記憶がありません。少なくとも私が偏差値というものを意識したのは大学受験のころからという記憶です。ちなみに当時の四谷大塚では「国立1組,2組,麻布1組,2組,慶応1組,2組」といったクラス分けで,国立麻布慶応は成績順ではなく,志望校の個性や試験の傾向によって分けていたように思います。1組は午前,2組は午後,どこをうけるにしても会員はそのどれかになっていました。日曜テストと授業だけで,平日の授業はありませんでした。ちなみに私は中野麻布1組でした。ちなみにその後私が大学受験で行った予備校(今の3大予備校の1つ)の生徒手帳が今でも残っていますが,各大学の合格者が予備校で何点とっていたかという平均点の順に並んだ大学のランク表が載っていますが,偏差値の表は載っていません。つまり偏差値を重視してランク付けに使うようになったのは最近のことです。だからこそ私のころは早稲田に受かっても中大の法に行くとか,慶応に受かっても上智の外に行く人も少なくなく,今みたいに偏差値の輪切りで優劣を決めることはしなかったのです。ですから昔の偏差値などわからないと思いますし,わかってもあまり意味はないと思います。