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楽しく生きるにはどうすればいいのか
中三男です。 どうすれば、楽しい人生が送れるのでしょうか。 僕は自分の人生がつまらないものだと感じているところです。 中学校最後の夏休みも、なんだかあっけなく終わってしまいました。 受験生なので仕方がないと言えばそれっきりですが…。 友達がいないわけじゃありません。 一年の時から運動部に入っていますし、他の部員との関係も悪くありません。 勉強が行き詰ってる、というわけでもありません。 頭がいい、という程ではありませんが、公立のトップ校を目指しています。 ただし、彼女は全くできません。 小学生の時は、中学校が舞台の漫画を読んで 「中学生になったらこんな生活が送れるのかな」 と期待していました。 今は 「高校生になったら楽しいに違いない」 と思っています。 無理だと察してきました。 なにも、漫画のような非日常を求めている訳ではありません。 でも、楽しい生活が送りたいんです。 社会人になって、 「あの時は楽しかった。青春していたなあ」 と思いたいんです。 僕は今後、どのような気持ちで、どのような行動を起こせばいいのでしょうか。 主観でも構いません。 体験談なども話してくれると非常にありがたいです。 長文で申し訳ありません。 どうかご回答いただけないでしょうか。
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質問者が選んだベストアンサー
今アナタが“楽しくない”って思えるその理由は2つあるんですよ。 例えばですが…もし… アナタの前に偶然、軟式野球のボールがコロコロと転がってきたとして… アナタはそれをマジマジと見たとします。 それを見てアナタは『大きい』と思いますか? それともそのボールを見て『小さい』と思いますか? 次にソフトボールが転がってきました。 アナタはそれを同じように見て…どう思います? 『大きい』ですか?『小さい』ですか? 最後にバスケットボールが転がってきました。 どうでしょう? そのバスケットボールは『大きい』ですか?『小さい』ですか? どうでしょう? さて答えなんですが… バスケットボールなんて小さなものです。地球の大きさに比べれば…。 そして、軟式野球のボールはソフトボールやバスケットボールに比べたら小さいですが…でも実はとても大きいんです。 だって口の中に入りません(笑) 何が言いたいかというと、 物事なんてその見方や捉え方によってどちらにもなるんです。 大きさも見方捉え方によって『大きくもなるし小さくも』なるんです。 面白さも楽しさも同じ、そして自分が幸せかどうかも…実は同じなんです。 それをどっちに見るか… それを“どう見るか”は…実はアナタ次第なんです。 5歳の子たちに質問したらとても判りやすいです。 何かを取り出して『これ大きいかな?小さいかな?』って聞いたら、ある子ははりきって『おっきい!』っていいますが、ある子は『小さいよ!だってカバンの中に入るよ!』って言います(笑)すると『でもポケットには入らないもん!』って負けじと言い合ってたりします(笑) そして最後に5歳の子は『大きいし小さい!』って言います(笑) 誰だって物事どちらにも捉える事が出来るのを知ってるんです。 でもいつの間にかそれを忘れちゃってたりするんです。 なんでもかんでも物事を自分が思い込んだ事だけを“一面的”に見る事に慣れちゃってて…。 或いは“誰かがいった”事に影響され“そうなんだ…”とか“そりゃそうだな”と思ってその事を信じてしまってて…。 或いは、比べなくていいものを比べてしまい、こうだと“決め付けて”しまってたりするんです。 大人になればなるほど頭が硬くなってきて一つの捉え方しか出来なくなったりします。 でも人は時々幸運にも思い出す事もあります。 アナタだってあるはずです。 “こんなもんつまんない…”と思ってたものを何かの理由でやっていると“あれ…意外に面白いじゃん”って気づいたりする事って。 今アナタが“楽しくない”って思っているその理由の一つは、“アナタ次第でどちらにでも捉えられる”事をただ一面的に『楽しくない』と、その見方捉え方だけに流され囚われ、そしてそう“思い込んでる”からなんです。 そしてもう一つの理由は… 貴方が私の質問できっと思ったように軟球やソフトボールの次にバスケットボールがきた事で『バスケットボールは大きい』と思ったように、ただ自分の前に次に何かがくる事を“ただ待ってるだけ”だから… だから“楽しくない”んです。 何かの情報などが得られる事、何かが起こる事をただ待ってるだけだから、まるで観客席に座って次にどんな出し物が出てくるかをただ待ってるだけのように、他の誰かが何かを出してくれる事をただ待ってるだけで、そうやって『何かがないと大きいとも小さいとも答えられない』状態のままだから… “これは大きい”とか“これは小さい”とかを自分から自主的に考えていないから…つまり『自分から動いていない』から… そして、ただそうやって待ってて流れてきたこと起ったことにそのまま流され、それで大きいか小さいかを判断してるから… だから単に物事が流れてるままににしか物事が捉えられなくなるんです。 人は誰でも“自分が動く事”ができるんです。 自分は動かず物事がただ流れるままに任せていると、ただソフトボールの次に流れてきたのがバスケットボールだからと、それを“大きい”と思ってしまいますが、自分が動き、それをどう捉えるかを自分で決め、自分が“これは小さいぞ!”と思ったり、それが小さくなる別のボールを自分が持ってきたらば大きいと思える事も小さくなるように、自分から動けば“楽しくなかった”のも楽しくなったりするんです。 楽しくない今も『自分が自分から動く事』で楽しくする事が出来るんです。 少し難しいですが判ります? こう言えば判るかもしれません。 今貴方が“楽しくない”と思ってしまうのは“(中学生活は)楽しくもなる”とは決して捉えておらず、『楽しくなるように自分から動いてない』からなんです。 ただ待ってたって楽しいことはちょっとしか流れてきません(笑) でも自分が動けば…楽しい事が一杯出てきます。 誰かと二人でいて、何もしなければ楽しくなんてありません。 貴方が話しかければ、話が出来て楽しくなったりします。 “ゲームをしよう”と貴方が言ってゲームを始めれば楽しくなったりします。 誰かがボールを転がしてくれるのを待つのではなく、何かが起るのを待つのではなく、“自分が動いて”何かを起こしてみてください。 貴方と反対に『学生生活は楽しい』と捉えてる人は単に流れてくるものを待つだけでなく、自分から楽しくなるように必ずどこかで自分から動いてます。何かを創意工夫して面白くしようとしてたり、“つまんない状態”に終わらせないように何かをしてます。 同じように“自分から動いて”みてください。 もちろん“自分から動く”事は時にはうまくいかないこともあり傷つく事もあります。 でも“楽しくすごせる”人はそれにメゲません。 同じように勇気を持って“自分から動いて”みてください。 勉強するにも、クラブ活動するにしても、“面白くしよう”と思って自分から何か動いてみてください。 “彼女が欲しい”と思ってるならそれも勇気を持って動いてみてください。 “彼女が欲しい”と思ってて、ただ待っていても向こうから来る事は珍しいです。 普通は…というか余程カッコいいヤツではない限り自分から動かないと彼女はできません。 恥をかく事を恐れず自分から動いた人だけが彼女をゲットします。 欲しかった彼女が出来れば“楽しく”なったりします。 その過程も後で思い返せば楽しい…というか面白い笑い話になってたりします。 恥をかく事を恐れず、失敗する事を恐れずに自分から動いてみてください。 一人でやるより仲のいい誰かを巻き込んでやれば楽しさも倍増したりします。 そんな風に“自分から動き自分から手を伸ばした”人だけが“楽しさ”を手に入れるんですよ。 流れに任せただ待ってるだけだから…楽しくないと感じるんです。 それが二つ目の理由です。 楽しくなるように 参考になればいいんですが…
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- ash_fxdash
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簡単・・・ つまらないと思いながら、生きてりゃ何したって つまらないもんですよ。逆に楽しいと思って生き てりゃ、大しておもしろいもんじゃなくても楽し いもんですよ。 1つアドバイスするなら、とにかく笑うことだね。 アホっぽいけど、不思議なことに笑うことで自分 どころか周りも楽しくさせることが出来るんですよ。
お礼
返事が遅れてしまいすみません。 ご回答ありがとうございます。 本当に、そんなに単純なことだったんですね。 「楽しい」と意識して生きようと思います。 笑う、ですか。 自分は普段、無表情な事が多いためか、数少ない女友達に「怖い」と(冗談交じりですが)言われることも少なくありませんでした。 確かに、無表情より笑っている方が楽しそうですし、見ている方もいい気分になりますよね。
- dai-ym
- ベストアンサー率22% (848/3824)
30代中旬のものです。 今まで生きてきて今が一番楽しい時期ですね。 なぜか。 それは自分からいろいろなものを求め能動的になったからです。 >「高校生になったら楽しいに違いない」 この考え方って、高校生になったら、高校生というものが自分や自分の世界を変えてくれて楽しくしてくれるに違いない。というような受身な考えじゃないですか? 自分も学生時代はそんなふうに考えていました。 しかし現実は受身で待っている人間には何も手にすることは出来なくて、積極的に能動的に動いているものがいろいろなものを手にしていくということです。 楽しくなる、楽しくしてくれる、などではない。 自分が楽しくする。 それしかありません。 部活のきつい練習を、ただこの練習きついなと思うのか、この練習をして自分が上手くなればこんなプレーが出来るようになるぞと考えて楽しむのか。 同じことをしていても前者は楽しくなくきついだけ、後者はきつい中に楽しみを見出しています。 こういう考え方一つで楽しいことが多くなるのか、楽しいことが無くなっていくのか違ってきます。 そういうふうに楽しいことを積極的に見つけるようにして、いろいろなことをしていけば、楽なことは無いけど楽しいことが沢山ある生活が待っていますよ。
お礼
返事が遅れてしまいすみません。 ご回答ありがとうございます。 僕は今まで、働きたくないと思っていました。 仕事で毎晩遅く帰って来て、これといった趣味もなく、なんのために生きてるんだろう…。 そんな父親を見てきたからです。 しかし、dai-ymさんは大人であるにも関わらず、「今が一番楽しい」と仰いました。 本当に、自分で何かを楽しもうとする行動、そして心構えが大切なのですね。 人生捨てたものじゃないですね。 これから、自分の手で、自分の人生を楽しくしたいです。
- sayusayu41
- ベストアンサー率19% (257/1298)
辛くても、打ち込める何か 部活や趣味に必死になったりする。 友達と、なんか計画して実行したりね。 彼女なんて、大人になってからで十分。 人生、青春たのし~って思えるのは 中高、大学と同性と馬鹿やったりすることよ。 楽しいだけの人生ってないから 今は実感しなくても、あとでああだったなぁって 感じるから大丈夫
お礼
返事が遅れてしまいすみません。 ご回答ありがとうございます。 そうですね… 打ち込める何か、が見つかればいいのですが 意外と、何気なく騒いでたり、遊んでることが思い出に残ることもありますね。
おばちゃんになって、学生時代を振り返ると、どういうわけか嫌なことは覚えていなくて、どんな思い出でも、すべてきらきらした楽しい思い出にかわっています。 歳をとると、若いころのことが、楽しい思い出に変わるのです。 今、いじめにも遭っていないのでしたら、間違いなくそれは、きらめく青春の思い出に変わります。 そういうものですので、どうぞ心配しないで、良い青春をお過ごしください。 そのままで十分、あなたはきらめいていると思いますよ。それが青春ですから。
お礼
返事が遅れてしまいすみません。 ご回答ありがとうございます。 いじめに遭ったことはありません。 そう言われるとそうかもしれませんが、不安なのです…
お礼
返事が遅れてしまいすみません。 ご回答ありがとうございます。 要は、心の持ちようなんですね。 できるだけ「楽しい」と思えるように、心の在り方を変えていきたいと思います。 自分から、何か行動を起こさないといけませんね 今までの自分は、消極的すぎたな、と反省しています。 「楽しい」の定義は曖昧ですよね。 そして、限られた時間を「楽しい」と感じて過ごすか「つまらない」と感じて過ごすかは自分次第。 そんな単純なことに気付かなかったなんて、自分はバカだったようです。 いつまでも、5歳児のような純粋で多角的な見方を失いたくないな、と思いました。