合っています
細かく言うと、十字軍に派遣されたけど、
パレスチナから逃げ帰った
神聖ローマ帝国のチュートン騎士団が、
ハンガリー方面から、東プロイセンを占領、
騎士団総長ホーエンツォレルン家のアルブレヒト・フォン・ブランデンブルク=アンスバッハは1525年ルター派に改宗、領内の騎士団を解散してポーランド王国の諸侯となりプロイセン公領を創始する。
西プロイセンと合わせて、神聖ローマ帝国のプロイセン王国となる。
プロイセンは、神聖ローマ帝国滅亡後、北ドイツ連邦の盟主、
さらに普仏戦争後、ドイツ帝国の中核となった後、
ワイマール共和国で、王政廃止、プロイセン州となる。
戦後、プロイセンの一部はソビエト・ロシアやポーランド領となり、またプロイセンの名称自体忌避されたので、現在のドイツではブランテンブルク州などに分割改名され、地名・行政区画名としても、プロイセンは見られない
お礼
細かく説明して下さってありがとうございました! やっぱり歴史はいいですね^^ 色々自分でも調べてみようと思います。