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昭和時代の歌手で「藤山一郎」や「東海林太郎」などの歌い方について
昭和30年代までの流行歌歌手の歌い方では、どこか独特の日本語発音を第一にする 歌い方(今で言うNHKアナウンサーや落語家のしゃべり方)が主流だったのですが これは何故なんでしょうか? 私の推測では、当時のレコード録音出版技術性能の都合で、このような歌い方を しないと78回転レコード蓄音機やラジオ放送、果ては映画のサウンドトラックで歌い手の 声や雰囲気をうまく伝達・再生できなかった・・・ と考えていますが、合っていますでしょうか?
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YouTubeからの転載で申し訳ありませんが、藤山一郎さんが歌い方や歌について語っておられます。 藤山一郎さん曰く、「幼少時代に『童謡歌手』で、明瞭な発音を要求された」とのことです。なぜ「童謡歌手」=「明瞭な発音」なのかは、推測ですが幼児に聞き取りやすく、正しい日本語を教えるためではないかと思っています。 当時の「時代」が藤山さんにどう影響していたのかはこの資料からは読み取りにくいですが、藤山一郎さんの歌に対する思いや姿勢がわかるので、一見の価値があるかと思います。参考にしてやってください。
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- harrywithers
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こんにちは、 一応、オーディオマニア(?)の端くれです、 当事の録音技術が未熟だったというのは、ちょっと納得が出来ません、 SPで機械式吹き込みというなら、発音だとか唄い方が影響したとも思われますが もう既に、そんな時代ではありませんでしたし、 米国では、30年代前半には、ステレオ録音のLPレコードが出ています。 そして、現在、その頃の録音の初版プレス盤や2ndプレス盤が、 マニア間で高値で取引されています、何故でしょうか? (私にはそういった類の趣味はありませんが・・・)単純に音質が良いからです。 ※私たちが通常聴かされて来たのが、元テープでさえ、コピーのコピーだったりしますが、 それよりも当事は再生装置の音質の問題が大きくて、音質の問題に気づきませんでした。 要は、SP時代から、録音側の問題よりも、再生技術の(アンプやスピーカーシステム)の発達や 未熟さ知識不足の方が常に問題となって来ました。 この辺の問題を細かく書き出すと、キリがありませんし、質問の趣旨と外れますのでこの辺で。。。 私は、その30年代までの歌い方の特徴は、主に作曲のスタイルのためと捉えています、 美しい日本語の詩があり、その言葉のひとつひとつに、一音一音に乗せて唄う、そういう 詩であり、曲であり、そういう歌い手のスタイルが世間に受け入れられた時代だと思うのです。 しかし、30年代からのロカビリーブームなどが中心になり、詩(言葉)と曲(音数)の問題・・・ 「外国曲(主に英語)の歌のリズムに、日本語が唄として乗らない」という悩みを抱えるようになりました。 これも、詩よりもリズムを重視する時代に成って行ったとの背景があり、 またその裏側には、リズム隊がハッキリと聞こえるような再生装置の低域の充実があったと思われます。 これは、始めの間は、英語のままに唄ったり、完全に日本語訳をつけて唄うことで、 (ロカビリー歌手などは、)折衷案を試みていたように思います。 もちろん、30年代に確固たる地位を確保していた昭和の歌手たちは直接的な影響を受けませんでしたが、 それでも、世代交代をしたり、新しいタイプの演歌歌手たちも現れてきましたし、 時代につれて、ひとつの言葉に、一音を付けるようなスタイルの作曲はや詩は、 (悲しいことですが)過去のものとして、流行おくれになってしまいました。 そして、40年だ以降の、ポピュラー歌手(&音楽家)たちが、苦しんできたのは、 「欧米のリズムにどのように、日本語を載せるのか?」という課題でした。 ※思うに“日本語”は、言葉自体に音程やメロディを持っている言葉なのでしょう。 そして、1978年に桑田圭佑という男がその問題のひとつ(あくまでひとつの)解決方法を提示しましたが、 世の中は、すべてその方向に向かい、現在の『見事な日本語の崩壊』がJ-POPに現れています。 以上、唄好きの駄文になってしまいました、スイマセン
お礼
書き込みありがとうございました。 一方面の意見として、参考とさせていただきます。
お礼
とても興味深い内容ですね。 童謡歌手という歌い手のジャンルがあり、その歌い方が由来とは 知りませんでした。 ありがとうございました。