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太平洋戦争の総括をしない理由(年配の方お願いします)

これまで太平洋戦争の総括をしなかった理由を教えて下さい。 もし僕が知らないだけだったら「お前が知らないだけ」という回答でいいです。 できたらその総括の内容を簡単に解説して下さい。 よろしくお願いします。

みんなの回答

  • aburakuni
  • ベストアンサー率30% (470/1562)
回答No.7

他の方の言にある様に、本来個人として総括すべきでそれが出来る人たちは殆ど居ないので、むしろ終戦後の経済発展を担った後の世代が総括を行なうべきと思います。 まず戦争の公的な総括は東京裁判・サンフランシスコ条約・戦争相手であった連合国側の発展組織である国連加盟で行なわれています。 もしその公的総括を覆すなら、少なくとも後者2つを国として変更すべきである事になります。 また開戦時の「このまま満州や中国利権を手放せば、最貧国に転落する」と言う動機については、その後の「朝鮮・台湾まで失った」状況下でも、大変な経済発展が行なえた事実に因り、完全に誤りであった事がはっきりしました。 私が学習した歴史教科書に書かれていた文言では、「日本は誤りを犯し国内外に大変な犠牲をもたらしました。しかしその反省の上に立って、戦争を放棄した唯一の平和憲法をもち、懸命な努力に寄り平和国家として経済を再建しました。」と言う誇り高い宣言が行なわれていました。 私の感覚としては家を建て直した事を評価すべきであって、その前の家を傾けた事は結果として誤りであったとしか評価仕様がなく、公的総括もそれに沿った妥当なものであったと思います。

noname#106800
質問者

お礼

とても参考になりました。 ありがとうございました。

  • phj
  • ベストアンサー率52% (2344/4489)
回答No.6

総括という言葉が結果に対する責任の分布ということであれば、太平洋戦争は一応総括されています。 東京裁判と天皇の人間宣言です。この裁判と天皇制の変化については、今でもさまざまな意見がありますが、戦後の時点で以下のように総括されたのは、事実といえるでしょう。 ・戦争の開始、および遂行に当たっては総帥権を乱用した、軍部および軍部出身の総理大臣等の責任である。 ・ゆえに、天皇については戦争責任を問わない、ただし軍部等に利用されないように、神格化から脱し人間宣言を行うこと。 ・国民については、軍部のプロパガンダに踊らされた被害者であり、天皇も輔弼者(総理大臣以下内閣のメンバー)が暴走した被害者である。よって、今後は憲法を改正して天皇制の元で民主主義国家を作ること。 ・戦後賠償については、サンフランシスコ講和条約に則って行うこと(ただし当面の間はGHQの占領下に置かれるため、外交自主権は無いものとする) ですね。国内的に見れば、戦争の責任のうち、国民の責任は一切問われず軍部の責任とされました。ドイツと比べて、国民の責任が追及されなかったわけで、これが現在まで日本国民における中国・朝鮮に対するスタンスの差につながっていると思います。 簡単にいえば近隣国に対して「謝った」「謝っていない」「いつまで謝ればいいんだ」ということです。 「謝った」側から見れば、東京裁判で軍関係者は断罪され、中国・韓国には賠償金で解決しているという立場です。 韓国には「日本国と大韓民国との間の基本関係に関する条約」で援助金という形で賠償。 中国は戦時中は今の中華民国が代表政府、戦後は中華人民共和国が代表政府ということで、中華民国は賠償放棄、中華人民共和国は日中共同声明時に賠償放棄宣言(ただしODAによる円借款や技術供与も同時に約束し、実質の賠償を行っている) その他の国も、サンフランシスコ条約の規定にそって基本的には賠償がすんでいます。 ですので、これ以上謝る必要は無いという立場になります(戦争はお互いの国の国権行使なので、国際法上も戦後賠償以上の責任は負わないが慣例です。後は自国政府が国民に保障するのです) しかし「謝っていない」派からすると、ドイツと比べて戦争の発端や戦時中の近隣諸国に対して行ったひどいことに対して、国民が真摯に考えているといえるか。それが近隣諸国に伝わっていない(だから、謝れといわれる)のはどうしてか。→それは近隣諸国に謝罪が足りないからである。謝罪とは日本国民が太平洋戦争中のひどいことを認め(ドイツのように)戦後教育でそれを教えて自戒していく必要がある。 という立場で、半ば精神論的な部分があります。 つまり、戦後の賠償は済んだ、いやいや日本国民はお金は払ったけど反省はしていないじゃないか、。という噛み合わない議論になり、総括がされていないように見えるのです。 私は、日教組の影響を多大に受ける時代に子供時代をすごしましたので、「近隣諸国に悪いことをしたのだ」と思っていましたが、今ではいろいろ調べて、少なくとも賠償は終わっている。と感じています。 結局一番のねじれは、ドイツのように「国民の責任」をきちんと総括しなかったことに尽きるのだと思います。 日本でも、男子には1928年に普通選挙権が与えられていますので、戦争に至る過程でまったく国民の責任が無かったというのは無理があると思っています。(ちなみにドイツでは1919年に安全普通選挙が実施されているので、完全普通選挙での結果は変わらないような気がします) 東京裁判の総括は、GHQの意向で国民に責任を負わせない(人気取りをして共産化させない)という政策があったようですので、出来レースの部分があったのです。 ですので、日本人の立場からすれば、本当の意味で自分の国の過去と将来について、自分たちで総括する機会を失った、とはいえると思います。 この点についていえば、もうすでに時期が過ぎてしまい、今年80歳の方でも終戦の1945年で14歳ですから、本当に戦争の頃に大人としての責任を果たした方々はほとんどいないのです。 ただ私からすれば、その年代の方は祖父の代に当たりますので、子供の頃に戦争の話を聞いても、誰もが口が重く、まともな返事が返ってこなかったことをよく覚えています。 戦争ですから、それも日本にも言い分のあった戦争ですから、近隣国に被害があっても、お互い様の部分があります。誰もが口が重かったのは、東京裁判で国民に責任無しとなっていても、実際には自分たちの責任を痛感していたからではないかと、今では思っています。

noname#106800
質問者

お礼

とても参考になりました。 ありがとうございました。

  • nishikasai
  • ベストアンサー率24% (1545/6342)
回答No.5

国土がめちゃめちゃにされ、たくさんの国民が死に、手に入れた海外の領土も全部取られた。賠償金も払わされた。そして謝った。 もう十分でしょう。 開戦はおろかだったと言えるが、あそこまで行ってハルノートをつきつけられたら仕方がない。あれは事実上のアメリカの宣戦布告でした。 日本は国力においてかなりの差があるアメリカを相手にするには先制攻撃をするしかなかった。通告が遅れてしまったのは残念だった。 アメリカとの戦争を避けるべきだった。 ヨーロッパの真似をして他国を併合したり、満州を建国したりしたのは間違いだった。やりすぎだった。いかに帝国主義華やかな時代であったとしても経済的侵略程度にとどめるべきであった。 結論 間違ったことをしたけど、負けて悲惨な目にあって懲りたのでもういいでしょう。これ以上謝る必要はありません。

noname#106800
質問者

お礼

>仕方がない。 仕方がない、、、ですか、、、 とても参考になりました。 ありがとうございました。

  • cliomaxi
  • ベストアンサー率33% (2921/8736)
回答No.4

やらないと言うより出来ないと言った方が良いのでは? 太平洋戦争(大東亜戦争、第二次世界大戦)や日中戦争(支那事変)も含め未だにコンセンサスはとれてないでしょ? 「西洋列強からアジアを守った先の大戦は大勝利であった」と言う人も少なからずいるし、「従軍慰安婦など無い」とか「沖縄戦の集団自決は自らに因るもので軍の関与は無かった」とか「南京大虐殺はなかった」とか。 はたまた真珠湾攻撃はアメリカが仕組んだとかの意見は無視することを憚られるほど。 後世の第三者的な研究者じゃなければ無理じゃないかな。

noname#106800
質問者

お礼

とても参考になりました。 ありがとうございました。

  • cse_ri2
  • ベストアンサー率25% (830/3286)
回答No.3

No.1です。一部訂正を。 >おおよそ、前の王朝が滅亡して数十年たち……が、ちょうどいいらしいです。 下記の記述によると、数十年ではなく百年くらいがいいらしいです。 明治の日露戦争もおおよそ100年前ですので、やはりそれくらい時間が経たないと、歴史を客観的な目で見るのは難しいのでしょうね。 参考:ウィキペディア『元史』  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%83%E5%8F%B2

noname#106800
質問者

お礼

丁寧に、ありがとうございました。

  • risa_gal
  • ベストアンサー率27% (3/11)
回答No.2

皆がクレイジーだった。そんなものを総括できるわけがない。 勝てば官軍、負ければ賊軍。 以上です。

noname#106800
質問者

お礼

ありがとうございました。

  • cse_ri2
  • ベストアンサー率25% (830/3286)
回答No.1

歴史というものをどう捉えるべきか、一例をあげて説明したいと思います。 中国の歴史書ありますよね。あれはどうやって作るかというと、王朝が続いている間は、歴史観はひたすら記録だけを残して行きます。 そして、前の王朝が滅亡した後、数十年たってから次の王朝が前の王朝の歴史書を作っていくのです。 なぜ、そんな手間のかかることをするかと言えば、王朝が今の歴史書を作れば権力者の横槍で、いくらでも記述を捏造されてしまうからです。 また、前の王朝が滅亡してすぐに歴史書を作り出すと、これまた次の王朝の権力者で前の王朝を倒した連中が、「俺はこんな悪い奴らをやっつけたんだ」と宣伝したいために、必要以上に相手を悪く書き、これまた信頼性を落とす要因となるからです。 実際、元王朝の史書である「元史」は、次の王朝である明が王朝が変わってからすぐに作ってしまったため、他の史書に比べて信頼性が低いと言われています。 おおよそ、前の王朝が滅亡して数十年たち、世代が変わって当時の関係者がすべてあの世に行ってから作り出すくらいが、ちょうどいいらしいです。 それを考えると、まだ太平洋戦争に参加した人は高齢者ですがまだ生きています。 さらには、日本でもまた日本の近隣諸国でも、半世紀以上前の太平洋戦争のことを取り上げて、何らかの政治的利益を得ようとする連中は大勢いるのです。 そういう意味では、「総括」という名で太平洋戦争の歴史検証をするには、まだ時代が早いでしょうね。 日本人で自国の歴史を、政治的な力学にとらわれず平静な目で見られるのは、せいぜい明治時代までだと思います。

noname#106800
質問者

お礼

とても参考になりました。 ありがとうございました。

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