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精神病?
自分はもう8年余り、精神病と思われる症状に悩まされています。 中学2年の時に、カンニングをしようとしている所を友人が見ていて部活内で言いふらし、部活内の男女と女子、更に女子が広めたのもあって結構な数の生徒の知るところとなり、それ以来暫く陰口や噂話が絶えませんでした。 友人が全く居なくなった訳ではないですが、クラスには部活の友人がかなり居たので会話が少なくなり、次第に口数が少なくなって表情が暗くなり、目つきが険しくなり、挙動も落ち着かなくなりました。そして数ヶ月もすると、今度は見た目のことで侮辱され、女子からは気持ち悪いと見下される毎日になりました。 クラスが変わっても暗い日々が続きましたが、支えてくれる友人が居て、比較的真面目なクラスだったので悪口は少なくなり、自分は勉強に気持ちが行きました。 塾にも部活の友人が居て、あれ以来いじめられていたので遂に止めてしまいましたが、夏から勉強がしたくなったので独学で始めました。 決してトップクラスではありませんでしたが、カンニングを試みた頃が嘘のような点数が自力で取れるようになり、満点の教科もありました。 そして高校に入学しましたが、容姿は弱々しく挙動が不自然な所は変わらなかったので、そのことについて悪口を言われる日々は相変わらずでした。中学の友人は2人しか居なったので、なぜ自分がこうも不自然になった過程を知っている人は居ないので孤独でした。しかし親友が2人もでき、今でも仲良しなのは救いかもしれません。また逆に、孤独な人の気持ちが分かるようになりました。 近くの国立大学に現役で合格し、家族、特に技術者である父は非常に喜んでくれたので嬉しかったですが、自分の病は良くなった訳ではありません。 実験や実習、口頭発表、友人とのコミュニケーションは大学では非常に重要です。自分はこれから研究室に入り、いずれは社会に出なくてはなりません。 今の自分は、「姿勢が悪い」「人の目を見て話すのが難しい」「上手く笑えない・自然な笑顔が作れない」「家族と食事をしている時ですら落ち着かない」「何をするにも、自分が他人からどう見えているか気になり、1日に鏡を何度も見る」「落ち着いてノートが取れない」など、他にもあるのですが多くの問題を抱えています。周りの人に迷惑をかけるだけですし、理解されずに苦しむのはもうたくさんです。このような症状についてアドバイスできる方が居ましたら宜しくお願い致します。
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- yukisizuku
- ベストアンサー率100% (1/1)
精神病かは精神科に行ってみないことには分からないと思います。 もしその状態が精神病だとしたら(これ以上酷くならないうちに)早く精神科を受診された方が良いと思います。 質問者様の「姿勢が悪い」「人の目を見て話すのが難しい」「うまく笑えない」は誰でも抱えているような悩みだと思います! そこまで気にする事ではないと思いますよ。
- formidable
- ベストアンサー率15% (470/2940)
精神病とは分裂病 (=精神分裂病=統合失調症)のことですが……病気のことは 主治医に任せましょう。 良い質問には答えが半分隠されている。 〔 開高健 作家 〕 ということで、ご自身で治せることは治し、他は、 ドクターにお任せしましょう。それがベストでしょう。
お礼
早速のご回答有、真に難うございます。 良い質問であったかは分かりませんが、自分の悪くなっていった過程は理解しているので、夏休みに医者に行こうと思っています。 また、おっしゃる通り直せる部分は自分で直すように引き続き努力したいと思います。
お礼
ご回答いただき、誠に有難うございます。 自分には中学の頃は小学生以来の友人がおり、また、支えてくれる人がいたので不登校にはならずに済んだのかも知れません。また、それまでは活発でテストの前の日も友人と外出し、廊下で鬼ごっこをしている非常識な人間でした。 また、自分は教会に幼い頃から行っていましたがトラブルメーカーで、カンニングという社会的に罪とされていることを行ったので遂に罰が下ったのだと思います。ただそれによって反省の心が生まれ、正しさ・清さへの憧れと関心が芽生えたのも事実です。 あのままだったら自分も、努力をせずに外見だけで他人を決め付ける癖が抜けなかったかも知れません。それに、高校では2年の冬まで私生活は腐っていました。欠席は多かったし、勉強はテスト勉強を直前に頑張ったくらいです。 ただ、クリスマスに洗礼を受けた際、昔の聖歌隊の友人に「おめでとうございます」と言われた時に、凄く元気が湧きました。 女の子に優しい言葉をかけてもらえたのが久しぶりだったからかもしれませんが、自分もこれから頑張らなくちゃならない、という気持ちが溢れて来たのです。 そして何ができるか考えていると、昔、牧師先生が“勉強することも神様に喜ばれる”と言われたのを思い出して、そうだ勉強をしよう!と決意したのでした。 結局、環境問題に対する自分の関心だけではダメだったんですね。 ですから、自分1人では今までやってこれなかったと思います。