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鬱状態誘発映画と私(精神分析依頼)
実はこのサイトにメンタルヘルスのカテが有る事は分かっているのですが、そちらは切迫した質問で埋まっており、この様なある意味余裕のある「興味関心からの質問」はそちらではしたくなかったので、迷いましたがこちらのカテでしてみました。 下らないとも言える全くの「変な質問」の類でしょう。 実は何の事はない、「フーテンの寅さんの映画」の事なのですが、あれがいわゆる大多数の人に支持される(完全ではないが支持されやすい)いわば国民的映画である事は現実の様です。 ところが私は放映されはじめてから今日までずっと、あれを見る事がとても嫌でした。 あの作品を見ると、気持ちが暗~~くなる、まるで私には 「鬱状態誘発映画」 の如きものに思えていたのです。 周りの者にそういう話をしても今迄誰一人そういう私に共感を示した人はいませんでした。 皆、面白い面白いと興じている風にしか見えないのです。 もちろん私と同じ感じ方の人がいるだろうし、いてくれればやっぱりな~という気にもなれるのですが、その事より、自分がなにゆえこんな気分になるのかに、ふと興味を感じ、 軽い遊びの様なふざけ半分でもいいので、どなたか精神分析してみてもらえんか、と、投稿してみました。 暇な事をまぁ~~ようやるわ、のご批判が出そうですが、 どんな厳しいご意見でも受け付けます。 ちなみに私は東京在住ですがどちらかというと下町に長く住んでおり、少なくともその地域については厭な思いはもっておらず、今どうであるかは別にして、育つ過程はお陰様で、豊かとはいえないがあえて貧困を経験したわけでもありません。 遊びくらいのつもりで、ご意見お待ちいたします。
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真摯なレスありがとうございます。雑談は本当はここでは禁止ですが…。 又、あまり詳しく言うと個人の特定に繋がってしまい、 且つ仲良くなり過ぎると、他の方が入り辛くなるので、そこそこにしますが、 実は私も東京下町に住んでいたことがあります。昭和の終わり頃に、5~6年間程ですが。 道上小学校の近くです。ホッピー飲んで、もつ食べて、もんじゃ食べて…^^ 今頃はいつも、川の匂いがしていましたっけ。中川や荒川の匂いです…。 まず、「べったり」ですが、べったりなのは実は「甘えられなかったから」 ということも考えられるのです。私がそうでした。父親にですが。 私は父親に褒めて貰ったことも、叱られたことも、ただの一度も無いのです。 だから甘えられていません。だからべったりくっついて、甘えの充足を要求していたのです。 もちろん幼児ですから、気づかずに、です。 幼児はその時は、気づかないのですよ。これはとても重要なことだと思います。 お父様の存在にまつわる不安、悲しさ。そういうものも、やはり実はあったのではありませんか? ただ気づかなかっただけ、ではないでしょうか。 だからもしかしたら、貴方様はお母様にあまり、甘えられていなかったのかも知れません。 しかしそれ自体は、まぁどちらでも余り関係ないかも知れません。 問題の中心はやはり、お父様だという感じがします。 曖昧なことしか言えませんが、やはりお父様がご不在だったことが、 そのような漠然とした「外世界そのものの存在不安」というものに影響をし、 それが人間の無常の悲しみに繋がり、よって葬式という「死」の場面で現れ、と。 そんな感じも致します。「外世界がガラガラと音を立てて崩れ消えていくかも知れない」 というような不安でしょうか。父親の存在というのは、やはり大きいのですよ。 もしかしたら幼児にとって、ある時期においては、「外世界」イコール「父親」なのかも知れません。 つまりは失礼ながら、その存在感覚が希薄である故、という感じもするのです。 そして当然これは、お父様の存在に関わることですから、 東京下町を転々としていらっしゃったお父様を思い、それを求めている。 しかし求めているが、得られない。得られないから不安だ。悲しい。 又、その「転々としている」という事実が示す不安定さをも含め、不安だ。悲しい。 そしてそれが寅さんに繋がっていく…と。 たとえこれ以上情報をいただいても、恐らく私の力ではこれ以上はムリだと思います。 曖昧なモノで申し訳ありません。私は素人ですので、あくまでもきっかけ作りのアドバイスということです。 しかしてお母様は、きっとよくがんばられたのだと思いますよ。 厳しい環境で子育てをされた。しかしそれにもめげず、貴方様は深刻な人格障害等を発現したりせず、 今日こうやってお元気で過ごされておられるのです。 今回のご質問のような僅かばかりの心の空虚感のようなものは、けっして社会生活に深刻に影響するものでもなく。 だからお母様に感謝されてよいものと思いますよ。 他人が偉そうに口を差し挟みました。失礼お許し下さい。 貴方様と、そして東京下町の、今後ますますのご発展をお祈り致します。
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- youchan37
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>遺伝子的恐怖 というより、ご質問者様が幼少の頃、お父様の身を案じて、 実際にお父様のことを、ご心配されていたのではないでしょうか。 その心配(不安)が、寅さんに重なるということではないでしょうか。 つまりはお父様と寅さんを重ねて感じている、と。 お幾つ位のことか分かりませんが、三つ子の魂百までと云います。 人格障害というのがありますが、これが発現する最も多い原因は、 1歳半~3歳頃までの心理社会的な「親との心のふれあい」と云われています。 まぁそこを中心に、0歳~5歳位までが特に大事とも云われています。 3歳位までですと、多くの人は明確な記憶がありません。 しかしこの「無意識の記憶」と呼ばれるものの影響は、とても大きいのだ、ということです。 ですから、たとえご自身がお父様をご心配されていた明確な記憶(場面)のようなものがなくても、 影響は大いにあるだろう、と考えられそうです。
お礼
仰る事は深い事ですし、もし他者の事であれば私もそう考えた様な気もするのですが、実際の私はそんなに情愛深いきめ細やかなタイプではないし、何より母親ベッタリで愛情に飢えたりする事なく生きてこられた、その点では幸せ者なんです。 どうもそれとは違う気がしてなりません。 で、実は質問時点では寅さんについての違和感だけで問うたというのはまったく正直な所なんですが、お礼を書いてるうちに自分でも考えはじめ、両親の離婚の事をこのスレの途中ではじめて考えた次第なのですが、更に他にも実は考えた事が有って、五年ほど前に身内が不幸な亡くなり方をした時の葬儀の場での自分のありえない乱行を思い出したのです。 死者の実の兄の弟に対しての理性的すぎる批評と私に対する侮辱行為に対しに毒づいてしまったのですが、周囲の者は気付かなくとも私自身は気付いていたのですが、その感情の爆発というのは、何も不幸な死に方をした仏に対しての哀切な気持ちやその兄に対する強い反感だけではなかった、という事なのです。 通夜の夜、次の日が告別式だというのに不眠になるほど暗黒な気持ちにとらわれていた自分にはたしかに、葬儀の地である新潟の事だけではなく自分の住む東京下町の、自分や自分の母、自分の叔母などで構成された世界が実は極めて不安定なもので、そういう世界が崩壊してしまうかの様なわけのわからない不安に襲われていた事を思い出したのです。 親族の葬儀だというのに何故自分の地元に強い不安を覚えたのか、その時たまたま同時に起きていた新潟中部地震ともあいまって何だか妙に私には不吉でした。 こういう事も何だか遠いどこかで寅さんや下町についての感じ方と結びついてる様な気がしないでもないのです。 ただ、こういう事はすべて私が歳のわりに精神的に未熟ゆえ起きていた事で、その後五年の内には母の死去などにも遭遇し、今の私がそのままではないのですが、それにしても分かり切った散文的な人間だと自認してきた自分にとっては、勉強を少しした事になるかな、とは思いました。 youchan373さん、 きめの細かいご意見どうも大変有難うございました。
- h1r0s13
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正常です。 あの映画のような人物は、この世には存在しません。 だから拒否反応を起こされるのだと思います。 「寅」という人物こそ、躁病です。 だから反比例してうつ病状態になることは、極自然なことだと思います。
お礼
正常です、と言われますと何かこの事を私が気に病んでるかに思えてるのかな、とも感じましたが、もしそうならそれはまったく無く、単なる不思議感とでもいうものです。 寅さんだけなら仰る事で了解するのですが、「下町」についても何か有りそうです。 どうも有難うございました。
- hasire750
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ANo3です。 何となく分かりました。 >こういう場でよく見かける「オチ」という言葉が理解できていないのです。 学習障害です。
補足
学習障害? おやまた!? してみるといったい何を「学習」するとああいった気分にならずにすむのでしょうか? ご存じの秘術でもお有りの様なのでぜひ開陳願えますと幸甚でございます。 かしこ
映画は観ていません。 個人的には「しみったれた映画」は好みではありませんので 想像の域を超えませんが マドンナがいて毎回寅さんが恋をしてる? それが純愛として描かれているイメージですけれど・・・ すぐ恋に落ちて相手がコロコロ変わるのは純愛ではありませんよね^^ 寅さんの妹の兄弟愛、献身的で好感が持てるとの評価もありますが 犠牲になっていることが美徳とするのは理解できません。 恋愛は絶対に実らず、生活は苦しく それぞれが我慢を強いられている・・・ どこが面白いんでしょう?? 現代社会においても我慢・我慢と 我慢しないものは我儘と吹聴されることが少なからずあります。 そこに嫌悪感を抱くのかもしれませんね。
お礼
あああ、なるほど・・・ 貴方の様な方もやはりおられますね・・いろいろだ。 仰りたい事、たしかにそうで、共感できました。 まったくですよ。 ですが自分の場合は貴方ほど正義感や市民意識が発達してそうなってるとも言い難く、面白けりゃいいじゃん、の人間だというのに暗くなるので、???なのです。 有難うございます。
補足
これはお礼の後につけた補足で、貴方様個人に対してというより、この場をお借りしての、言い足りてない事についての「補足」です。 あの映画は撮影技術が発達した時代に作られていながら、あえてわざと荒んだようなくすんだ映像にしているように感じるのですが、しかしそれなら昔の小津作品なども同様なはずなのに暗さを感じないというのはやはり、映像表現の問題ではなく、映し出している地域や人々によると思うのです。 で、ふと思ったのですが実は私の両親は離婚しており私は母に育てられたのですが、その後の父が下町を転々とかなり不安定な生活をしてるらしい事を母から聞かされていた様な覚えが有ります。 自分自身は母の愛情に恵まれ不自由ない暮らしをできてながらも、無意識のどこかで「下町」「さすらい」に対する遺伝的恐怖の様なものでも育ったのでしょうか・・・・???
- hasire750
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大人の笑いが理解できない。 だから「東映まんがまつり」好きと言うオチだと思います。
お礼
有難う。 ですが残念ながら自分は東映うんぬんに浸る様な映画少年ではありませんでしたし、 それ以前にまだネットにさほどなれてないので、 こういう場でよく見かける「オチ」という言葉が理解できていないのです。
>ただ思い当たる記憶は無いのですよねえ・・・ 仮にNo.1さんの推論が当たっているとすると、 その「嫌な記憶」を無意識のうちに封じ込めている、という可能性も考えられますね。 素人の戯言ですが。
お礼
有難うございました。 子供時代の事は忘れやすくけして平穏だったともいえませんが、もしそうなら、どちらかというと級友がどうのというよりは、親族の死去などが考えられるのですが、それよりかは何となくですが、「下町」「山の手」「定住」「放浪」に関係してる様な気はしています。 自分の住む下町は平気なくせに、特段の用事が無い場合、他の地域の下町に足を運ぶと、暗い気になる様な実感はあります。 それでいながらいわゆる田舎は平気なのです。 山の手については頭では「ヘッ!」という気を持っているくせに、本心では立ち入っても安心で満ち足りた気分であり、暗くなるという事は有りません。 何じゃこりゃ???
- zoom10
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たとえば、あなたが、小さかった頃、嫌な事があった。 その、嫌な事は、とてもあなたを傷つけた。その時に、家のテレビで、 『寅さん』が放送されていて、その嫌な出来事と『寅さん』がリンクしている。
お礼
早速どうも、う~~ん、なるほど。 ただ思い当たる記憶は無いのですよねえ・・・ 有難うございました。
お礼
「真摯なレス」というのは貴方が今私にしてくれようとした事が、まさしくそれではないですか。 さて、 貴方様は私を「父を求め気遣う人間」に見てくれてる様ですが、無意識的にも自分がそうではない事は私は心得ているのです。 それと心のどこかで、うちの場合はこういうのは我慢せねば程度は有っても、私は母には充分甘える事ができてた認識です。 ですが「幼児は気付かない」「存在不安」などは仰る事、とても良くわかります。 「簡単にそういう事が分かる事ができてしまう」というのがむしろ問題なのですが。 何となく「人間の存在自体の不安定さへの不安」の様なものであれば、たしかに私の中には知らずに育ってしまっていたのかもしれませんね。 ですが、その程度の事というのは、けっこう大勢の人に起こりうる事ともいえ、それをいつまでも引きずるというのは、普通であればそれこそ「未成熟」「甘え」の範疇でしょう? 言ってみればそんな不安は家庭を作って支えたり、社会と関わり行動してゆくうちに、自然にもっと早い段階で脱却されてなければおかしいわけです。 で、実はそれがそうはなれないでいた裏側に、こういう問題とはまったく別の私なりのある「きつい問題」があったのですが(それはここには書きません。)、つまりは、そういう問題をかかえている者というのはそれ以外の面での自然な成長が止まる面がたしかに有りそうだ、と今回感じました。 「寅さん」「下町」というのは、やはり「私の心の幼さ」が生んでいたもの、というのが結論の様に私には思えました。 (ですから繰り返しました様に、むしろ抜き差しならない病気であった「問題」に比べれば、ここで書いてる「不安」というのは私にとっては別に悩みなどではなく、単なる「興味関心」にすぎなかったのです。) 新潟で起こしたパニックも考えてみればそういう全てを含んだものだったのでしょう。 中に一部貴方様とお父上についての記述が有りますが、「興味関心」で質問したにすぎない自分が貴方にそういうものを思い起こさせてしまい、かえってすまない気もしましたが、おそらくは貴方もそれとは別に良い思い出もお有りなのうだろう、と思っております。 どうもとっても丁寧に考えて下さり有難うございました。 心よりお礼申し上げます。