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なぜ大人になると感動が少なくなりますか?

こんにちは 一つ質問させてください。 僕も今では二十代後半になり、最近、感動や驚きが少なくなってきました。 なぜ年取るたびに何も感じなくなって行くのでしょうか。 そのことをとても寂しく感じています。 特に僕は奥手で若いころに女性と一度も付き合えたことがなかったので、 これから永遠に若いときの感受性で恋愛を楽しむことができないのかと思うと、やるせない気持ちになります。 それとも歳をとっても恋愛を10代や20代前半のように夢中で楽しめるのでしょうか。 よろしくお願いします。

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  • atana0
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回答No.4

私もそんな事はないと思います!と言いますか、そうでありたい!と考えています! 私も20代後半です。ただ私は結婚し2児の母なのでtatapa様とはちょっと違う現状にありますね。 周りで色々ありまして、結婚したらそこで愛情が家族愛に変わり昔の様に愛を感じられないんだなぁ~と落ち込んで居ました。結果はまだまだ出そうにないですが、今は『人は人、自分は自分』と割り切る努力をし自分なりに昔のトキメキを忘れぬよう生きています。 【やるせない気持ちになる】この気持ちをtatapa様が忘れなければ良いんですよ!結果を予想せず、その時感じた自分の気持ちを大切にしていれば良いんだと思うんです! 大人になると周りからの情報が多くなり結果を見る前に自分なりの結論をだしちゃうからダメなんだと思うんです!知らぬ間に感情より自分保護に回っちゃうんでしょうね…『疑って傷つくなら信じて傷付いた方がかっこいい』そう話してくれた先生が居ました。まさにそれだと思います。 そうであろう未来より、傷つく可能性を怖がらずそうであって欲しい未来を信じる気持ちを大切に生きる。 tatapa様次第で夢中で楽しめる恋愛ができると思います!!

tatapa
質問者

お礼

とても気持ちのこもった回答ありがとうござます。 恋愛を楽しむのに年齢は関係ないですね。 若いときはいろいろと他人を意識過ぎて、自分のしたいことをできませんでしたが、今はそいうことはないので、思いっきり前にすすめます。 やるせない気持ちになることを忘れない。これが大事ですね。 傷つく可能性を怖がらない勇気と自信をつけるために仕事にうちこみたいです。 ありがとうございました。

その他の回答 (8)

noname#93222
noname#93222
回答No.9

>なぜ年取るたびに何も感じなくなって行くのでしょうか 子どものころの「感動」というのは、「世界がどういうものかを知る喜び」なのではないかと思います。 人間って、「自分以外の人間がいるのかどうかもわからない状態」から人生をスタートするわけで。 その中で、お父さんやお母さんという人間がいて、人間は家族以外にもいて…というふうに、自分を取り巻くものを知っていくのは大きな感動だと思います。 恋愛も、「初めてのことを知る」というのは大きな感動でしょう。 重度の障害児・者の場合、マッサージなどで感覚刺激を受けたりして「自分はここにいること」を自覚していくことから教育がスタートするらしいです。 「自分が存在している!」ということを自覚したときの喜びってどれほどのものだろう…とうらやましい気持ちになりました。 大人になってからの感動というのは、「より世界を深く知る感動」だと思います。 子どものころは、強制的に親だの友人だのがセレクトされていましたが、それが自分で家族を作る相手まで選べるようになるので、見る世界が全然変わってきます。 ただ、その際にどれくらい感動するかは、個人の資質によって変わってくると思います。 感受性をいつまでも失わない(どころかどんどん強くなる)人もいれば、どんどん意固地になって凝り固まってしまう人もいますから。 私の場合、子どものころ、「自分も大人になったら周りにいる大人みたいにこんなにつまらない人間になってしまうのか…」と思っていたので、大人になって「そんなことはない! 自分は自分の生きたいように生きていいんだ!」ということがわかってから毎日が楽しくて仕方がないです。

tatapa
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 おっしゃるとおりだと思います。 年を取るだびに初めてのことが少なくなって行き、 刺激がなくなる毎日です。 そのかわり、仕事以外は経済力もでて来ましたのでなんでもやりたいことができる状況ではありますね。なので バンジージャンプとか今まで挑戦してなかったことがしたい気持ちです。

  • hyuuma8579
  • ベストアンサー率29% (326/1097)
回答No.8

大人になると仕事します。仕事には効率が要求されます。 効率的であるためには、客観思考が要求されます。 結果、主観作用よりも客観作用の方が強くなり、偏った人格が形成されてしまうのです。 つまり、今の会社システムや社会のシステムによってもたらされた弊害といってもいいと思います。 また、本来の仕事の本質は、お金もありますが、仕事そのものを楽しむという原点があるのです。楽しむ=主観作用の産物です。 それが、いつの間にか逆転して、金のために仕事するという本末転倒に陥っているのです。 極端なことを言えば、仕事が楽しかったら、給料はいらんのですよ!! 「こんなに楽しい仕事させてもらえるだけでも本望なのに、えっその上給料までもらえるんですか?信じられない」これが、正しい姿というか本末転倒していない普通の姿なのです。 それが今、ビジネスという横文字になると、何かクールさを気取る風潮にありますね。 しかし、どんなにクールでも、その結果喜びを捨て去ったら人生の意義を失い、大損していると言えます。 その意味でも本末転倒なのです。 ビジネス社会の奴隷とならないためにも、自分の心の在り方まで丸投げしない方がいいでしょう。 仕事でクールさ気取っても人生で大損したら、死んだも同然の生き方でしかありません。 主観作用と客観作用・・・主観作用が主体なのです。 喜びや楽しみは主観作用の本質であり、人間らしさの本質なのです。 効率の代わりは、人間以外のロボットやコンピュータでもなれますが、 喜びや感動の代役は、未来永劫、人にしか務まりません。 主観作用は、人間らしさの真髄であり、本来全ての動機になければならないものです。 「毎日が感動の発見の連続である」・・・これが、普通の人間の姿なのです。 どれだけ、歪んだ大人が多いか・・・つまりビジネスに負けたのです。 環境に勝てなかったのです。客観視はできても、主観思考を失ったのです。 人間本来の喜びを追求する主体性があれば、環境にも負けるはずがないのです。環境に負け主体性を失い、結果生きた屍になったのです。 温かい血が流れる有機物から血の温もりのない無機物とかしたのです。 体は人間でも、心を喪失したのです。 心がなければ、感動がないのは、当然です。 大多数の大人は、そういう傾向にありますが、中には、そうでない人もいます。 人間らしさを捨てない人・・・見かけは会社の歯車のようですが・・・強烈な主体性を持った人です。 喜びこそが人間の原動力であり、本質です。 つまり、客観作用以上に主観作用を強める努力を惜しまないなら、人は、小事にも感動できるし、習慣で行動する動機はなくなるのです。 朝の挨拶一つでさえ、習慣でやれちゃうという次元ではありません。 一期一会で同じ人に挨拶できるのです。動機はそうすることが嬉しくて嬉しくてしかたないからです。 喜ぶために挨拶しないで、習慣でやれちゃう挨拶なんて、意味がありません。どうせ挨拶するなら喜ばなかったら損でしょうに!! 小事でも喜びを得たなら一日の仕事はどうでしょうか? そうやって、挨拶一つでも積み重なれば喜びの総量の差は歴然としてきます。 主観作用の差は死ぬ間際に出るのです。 クールに生きた人生であっても、何も残らないのです。 どうせなら、生まれてきて良かったといえる人生を辿りたいものです。 小さなことにも感動できる自分・・・絶えず、主観性を大切にし、情感性を研きましょう。 優れた芸術作品に触れたり、コルテオをみたり、一流の人の生き様に触れてみることです。彼らがいかに洗練された主観作用の持ち主であるかがわかるでしょう。。

tatapa
質問者

お礼

回答ありございます。 仕事が楽しかったら給料はいらない。 同感です。 でも今の僕はまだその段階には残念ながら達してないです。 もうちょっと鍛錬が必要です。 主観的に、そしてなんでも主体的に取り組むことが大事ですね。 他人に対する感謝を忘れず、であいを大切に生きて行きたいです。

noname#168404
noname#168404
回答No.7

感動は、経験に反比例します。 経験を積むほどに、それが学習として記憶され、似たようなものに感動しなくなります。 しかし逆に経験を重ねるほどに、感動は奥の深いものになります。 陳腐な、お涙頂戴のドラマでは泣きませんが、一瞬でも共感できるものに泣いたりすることもあるでしょう。 簡単な例で言えば「ベルリンの壁崩壊」にしても、何も知らない人にとっては、いい大人がツルハシ持って怒りにまかせ、壁を壊しているだけにしか見えないでしょう。 しかし、歴史的事実やその意味するところを理解する人にとっては、何度見ても感動するものでしょう。

tatapa
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 なんでも捉え方しだいということでもありますね。 今まで体験したことがないような衝撃的な人生体験をしてみたいです。

  • toturenzu
  • ベストアンサー率31% (623/2000)
回答No.6

ドキドキしてる時って、心は浮き立つような喜びを味わえるけど、生物として身体には酷なんですね。 必要以上に脈拍が高い状態が続くのは良くないので、バイクのリミッターカットのような機能が脳についています。 「前にも同じような経験したから、もうドキドキしなくていいじゃん?」 年をとると、若いときとは別な感慨はあります。 わたしは40過ぎてしまったので、毎年一度しか見れない花を見る時、あと何度この花が咲くのを見ることができるだろう、と思います。 人って限りある人生なんですよね。 その限りある時間に様々な人やモノとの出会いがあります。 ボーッとしてる間も、時間は怒涛の速さで流れている。 普段は、そんなこと思いもしません。 本当は一分一秒も大切なのに気づかないだけなんですよね。 貴重な出会いを大切にしてください。 本当に好きな人と出会うと、この先いつまでこの人と共に過ごせるだろうと考えます。 夢中は無いけど、より大事に丁寧にできますので、失敗は少なくなると思います。

tatapa
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 考えれば人生にとって出会いほど刺激的なことはないですね 今まで人付き合いが嫌いだったので、それほど深く意識しませんでしたが 人との出会いから受ける刺激によって成長できることが多く それによって感動も得られると思います。 出会いを大切にこれからの人生を生きて行きたいと思います

noname#227567
noname#227567
回答No.5

類推に過ぎないものの・・・・ 「脳」が鈍感になっちまいやがるような気がします 「初めてのこと」ってのには感動しても繰り返されると 鈍くなりますが、人生において連続するはずの「初(略)」をも、 「繰り返されること」としてルーチンワークとして処理しちまいやがるのかどうか?・・・・・・・・・・・ ただ、「驚き・感動」ってのも精神に対しては大きなストレスに足り得ちまいます ホメオシスタス(恒常・安定状態維持)は、生存において欠かせないですが、精神の情動に対しても 作用するのか? 驚き感動は精神(知覚)に深く浸透することを考えると、  原始期の人類にとっては、よりよい環境・生存技術を探し=改善をも含め、たどり着い=てそこを堅守するのが必須目標だったのは確実ですが、生存に有利な状況を一度確保した後の「現状維持」、 「やぶ蛇なマネをして、『お宝』をむざむざ捨てちまわない」 というのも必然だったとしても当然でしょう 生存のノウハウを確実に獲得するまでは「取り込む」ために、 -二十歳過ぎになっても獲得しない者は(多くが)死んで、 死地に飛び込みかねないマネを避けるのに「現状維持」(飛び込むのは 他人で、それを学習する?) 想像でしかないですが、考え方のモデルにはなるかと思います

tatapa
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 同じことの繰り返しの毎日に自分のオリジナルを加えていくことで 新鮮な体験ができ人生に刺激が生まれて、楽しくなるということはありますね。 この掲示板でも質問することによっていろいろな意見を聞くことが出来 とても良い刺激を受けています ありがとうございます。

noname#104430
noname#104430
回答No.3

私は30代ですが日々感動しっ放しですよ 私の知り合いの60代の男性は「今が青春だ」と言っていました 思いもよらないことが起こるのが人生だと思います

tatapa
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 今を大切に生きるという考え方は大事ですね。 自分も今こそが自分の青春なんだという思いで 生きて行きたいです。

noname#99579
noname#99579
回答No.2

年齢と共に積まれる経験がそうさせるのではないか、と思います。 しかし世の中結構動いていて、新しいものがバリバリ生まれているように思います。 歳を重ね、保守的になるにつれその新しいものたちに気づきにくくなるように思います。 それらに能動的に触れている間にもっと歳をとり、古いものや懐かしいものに感動出来るようになるのではないでしょうか。 まだまだ老け込む年じゃないでしょう(私も20代後半です)、色んな物に触れて刺激を受けていきましょう。

tatapa
質問者

補足

回答ありがとうございます。 年を取ってよかったと感じるのは少々のことで動じなくなったということです。批判されてもあまり痛くありません。 若いころは大きな怒りだとか悲しみを感じていて、そのたびに、心が乱れていました。経験をつみそのようなことが少なくなってきたのはいいことだと感じています。 何も感じないということを言い換えているとも言えますが(笑) 新しいことに挑戦する気持ちが大事ですね。 それは僕も大切にしたいと思っていて、いろんなことから刺激をうけていきたいと思います。

  • born1960
  • ベストアンサー率27% (1223/4397)
回答No.1

 そんなことないですよ。 年を経ると、些細なことでも感動し涙が出ます。 若い頃には映画を見て泣くことなんてありませんでしたが、45を過ぎてから一気に涙腺が緩んできました。  ただ・・・いろいろなものに対してある程度「先が読める」というのはありますね。それは今までの人生で経験値を得ているからですね。  恋愛も同じだと思います。 今までの経験よりも上回る相手が現れたら、感動することは間違いないです。

tatapa
質問者

補足

回答ありがとうございます。 僕は涙腺は弱いほうなのですが、年を取るにつれて弱くなくなっているように感じます。 やはり経験値が一番大きいですね。 なので最近はなんでも新しいことに挑戦しようとしています。 恋愛については今までの人生で後悔ばかりなので、これからは自分から積極的に行動していきたいです。

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