今更、なんですが。f(^_^;
「手話は言語であり、自然に生まれたものである。」というのが現在の言語学では考えられています。
つまり、日本語や英語と同様に自然に生まれたもの、です。
音声の言語に世界共通言語がない(人工言語としてのエスペラント語などの試みはありますが、現実的ではありません。)のと同様、視覚言語である手話にも共通言語はありません。
便宜上、国際手話と言われているものもありますが、その実情は統一されたものではなく、複数の手話言語のピジン(混成語)であると考えられます。(国際手話の使われる場所によって、使う人の母語によって変化する。)
ピジンは日本人の観光客に対してカタコトの日本語を使う諸外国の観光地などでも見ることができます。
ただし、手話という言語は基本的に語彙の発生が視覚的な情報から生まれている物が少なくはないため、異なる国のろう者であっても通じる場合があるのです。(面白いことに「本」という概念は世界各国の手話でもほぼ似た表現を使っていますが、「お金」という概念は国や文化などによってまったく異なる表現を使うこともあるようです。)
日本手話の場合、親指を立てることで「男」だけでなく、場合によっては「人」を表すこともありますが、アメリカ手話では「男」を表す表現と「人」を表す表現はそれぞれ別の表現になり、日本手話とは全くことなります。
ちなみにアメリカ手話とイギリス手話は全く異なる言語で、英語手話、というのは存在しません。
言語学の観点から調べてみると、おもしろいですよ。(^。^)
お礼
ありがとうございました。 なるほど~~っと参考になりました。