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意図的に人を泣かせようとすること・・・
草彅剛さんが復帰会見をしましたね。 事件の後の会見でもそうでしたけど、レポーターたちが、彼を泣かせよう泣かせようという質問をするのが、とても嫌でした。 でも、彼がしっかりと答えていたので、ついには「香取慎吾さんの涙を見てどうでしたか?」と、直接的に「涙」という単語まで出していましたね。 私はこういった「意図的に人を泣かせようとする」のがとても嫌なんです。 それでも涙を浮かべてもらえないと、最後には「心なしか、目を潤ませて」などというレポートや記事にしてしまったり・・・ どうみても光の反射の関係で、実際には目を潤ませてはいませんよ。心なしにもほどがあるというものです(笑)。 他に、こういった「意図的に人を泣かせようとする」という事例には、どんなものが浮かびますか? もちろん、テレビなどでのインタビューには限りません。 出来るだけ具体的な例でお答えいただくと、なお嬉しいです。 そして、その「意図的に人を泣かせようとする」ことについて、どう感じられるか(或いは、別に感じないとか)も、お聞かせいただきたいので、宜しくお願いします。
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こんにちは。 私は自然と涙するっていいことだと思うんですよね。 感極まるってことは感情がしっかりと表に出せるって言う人間の証であるものだから、だけど、、、 意図的って言うものは確かに嫌いです。 自分はいつも思うのは、病気を克服するとかなくなるまでどうするとか、そういう映画です。 心の葛藤とか、それは分かります。 だけど、本当にきれいな部分だけじゃないはず、最近の「某花嫁」の映画も感動巨編のようですが、実際の闘病って涙も出ないくらいの修羅場。 実際は、そんな涙を流すような余裕もないと思う。 結局無理やり、感動ストーリーにさせるドキュメントほど見てられないものはない、、、 これは闘病を経験した私も含めてみんな思うことだと思います。 そして、このきれいごとだらけの映画を見て泣いている人たち、ドキュメンタリーを見たか?と聞きたい。 申し訳ないけど、本当の苦悶の日々を見せられないで、心誘導させられているむなしさを感じます。
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- tanuchi
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日テレ「24時間テレビ」 まんま。 大っ嫌い。うざい。ばっかみたい。わざとらしい。 だからあの番組見たことない。
お礼
私も、心から観たくないし、実際に観ないと決めている番組ですね。 その日はひたすら他局を見続けています。 バカバカしくて、もう批判する気さえ失せました。。。 ありがとうございました!
- a-haru0124
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プロ野球のヒーローインタビューでヒーローの選手の身内(親や祖父母)が前日とかに亡くなっていると、インタビュアーは必ず触れますよね。「昨日お亡くなりになったお父様も、天国で○○選手のHR見てたんでしょうね」とか。試合内容に関係ないじゃん!と思います。そんなこと言われた選手もやっぱ涙が出てきてしまうことがほとんどで、何万人もの大観衆の前で大の男が涙を流さざるを得ない姿を見ると気の毒になってしまいます。
お礼
プロ野球のヒーローインタビューで”さえ”も、泣かせよう泣かせようとしますからね。 身内の方が亡くなられたとかだけでなく、誰かにプレーで恩返しが出来たとか、或いは苦労をかけている奥さんに感謝だとか、何かにつけて泣かせようとしますからね。 私も、ヒーローの涙などではなくて、はじけるような笑顔を見せてほしいと思いますね~ ありがとうございました!
- masao44
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復帰会見は見てません。 >事例には、どんなものが浮かびますか? ・立てこもり犯への説得 天国のおっかさんが泣いてるぞっ! ・高校球児が甲●園の土を袋に詰めてる姿をアップで撮影 「コイツ煙草吸ってそう」 「コイツ後輩イジめてそう」とか そういう眼で見てしまいます。。 甲●園と同じ黒土を使ってる(誰でも出入り出来る)グラウンドを知ってますし。。 オレ、、いつからこんな大人になったんだろう・・・ >「意図的に人を泣かせようとする」ことについて、どう感じられるか ブラウン管の向こう側でなら大歓迎です! フィクションだろうが偽善だろうが、所詮他人事ですので。 日常生活で泣く事なんて殆どありませんので、共感できるシーンがあれば、 ここぞとばかりに一緒に泣いてしまいます。
お礼
立てこもり犯への説得・・・これは、あの手この手を使わなくてはいけませんからね~ まあ、強行手段を取らずに済めば、それが一番ですからね。 高校球児が甲●園の土を袋に詰めてる姿・・・昔は球児たちも泣きながら詰めていましたけど、最近はけっこう楽しそうにやっている選手も多いですけどね。 ブラウン管の向こう側でなら大歓迎・・・笑うことだけでなく、泣くのも好きという人もおおそうですからね~ 私は、直ぐにチャンネルを変えてしまう派ですけど(笑)。 ありがとうございました!
- Claudio
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自然現象を無理強いするような展開はどうも好きになれない1人です。 画伯が泣かせようとされていたのか、実際に感涙したのかは短時間ではわかりませんが、 グループ内でも「唯一」気心が知れた仲と言われている慎吾さんの名前には反応したはずです。 意図的に泣かせようとする事例と聞いてすぐ思いついたのが、毎年夏にTVでやってる壮大な「偽善大会」。 マラソンの意図も理解できなければ、 某事務所の似たり寄ったりの美男子もどきしか番組の顔になれないシステムも疑問です。 以前、ダウンタウンの松本氏が、週刊プレイボーイ誌の連載で 「慈善というのは人知れずやってるからこそ価値が生まれてくるもので、大々的に宣伝してやるようなことではない」 と、暗に批判するようなことを言ってくれたときには、素直にありがとうと感じました。 そういえば、この放送局が東京マラソンの中継を担当したときも、無理やりな目的でアナウンサーを走らせたりして、 東京市街の宣伝も兼ねたスポーツイベントという、本来の大会主旨から逸脱した内容でした。 こちらからも無理強いはしませんが、個人的な印象として、 劇場版クレヨンしんちゃんの方がよっぽど泣ける気がします。
お礼
私も、人間の自然な感情を無理強いしたり、そうではなくとも意図的にある感情を持たせたりというのは、笑いとかポジティブなものであればいいのですが、ネガティブな場合にはとても嫌な気になります。 あの「偽善大会」は、まさにその嫌な面の集大成とさえ言えますね。 私は、意地でも見ませんし、その日はわが家ではあのチャンネル禁止令を出しています。 これについては、ここでもアンケートを取りましたし、テレビ局にもその結果を添えて番組の廃止を求めましたけど、やはり何の効果もなかったですね。 「嫌なら見なければいい」というご意見の方も多く、実際それくらいしか対抗手段がないですけどね~ ま、しょうもないテレビ局の中でも、自分たちの立場を分かっていないことでは一番かもしれない局ですからね。 「クレヨンしんちゃん」は、私はテレビも劇場版も観ていませんが、妻は漫画を読んで受けています(笑)。 ありがとうございました!
こんにちは。 草彅さんの記者会見は昨日のしかみてないのですが、今朝のも同じだったのかな? でも彼は本当に復帰できることが嬉しそうだったし、 つらい期間を過ごしたのだと思います。感情表現は素直そうにみえましたが?(吾郎ちゃんのほうがイタかったよ) 「意図的に泣かせようとする」ではなく「意図的に泣いた」ひとでは 松田聖子さんがNO.1でしょうね。彼女は、役者です(笑)
お礼
私は、事件後の会見も今回のそれも、草彅さんはしっかりしている若者だと感心したんです。 あのような立場におかれても、質問に対して、決まり文句を並べるのでなく、自分の頭でよく考えてから返答していましたし、それでいて変にへりくだり過ぎた態度でもなかったですしね。 例えば、「今後もお酒を飲みますか?」という質問に対しても、「もう二度と飲みません」などという、レポーターが言わせたいような答えはしませんでしたしね。 そんなしかりした彼に、何とか泣かせようとして、あの手この手で質問している、いい年こいたレポーターたちが、とても滑稽に見えました。 ご回答のように、そんな人間を相手にして、最後までしっかりと素直に、そして涙を流したりせずに対応していた姿勢に感心しただけに、この質問のような感情を抱いたわけです。 松田聖子さんは、「意図的に泣いた人」でもあるし、「涙を流さずに泣ける人」でもありましたね(笑)。 ありがとうございました!
- tips
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こんにちは。 会見は見ていないので、知らないですが お涙頂戴というと「難病」「不遇の絆」「わが子」「再会」 「生き別れ」そういうテーマが浮かびます。 日本では、泣いたら許される、涙が過去を流してくれる、 泣けないと冷酷、そんな空気がほかの国よりも強い気がします。 意図的に人を泣かせようとするのは、「子から親への手紙を 他人や第三者のいる前で朗読する」というシーンが浮かびます。 手紙ってもっと個人的な閉鎖的なものだと思うので、 人から人への手紙を代読したり、声を出して人前で読むのは 受け取り側のプライバシーを無視したやり方だとおもうので 自分はあまり好きではないです。 最近自分が、泣いた(泣けそうになった)のは、 あるお年寄りが、毎回会うたびにやさしさで こちらのために自分の好物のピスタチオを1袋買ってきて もってきてくれるのですが、今回会ってまた頂いたとき、その袋に 「ピスタチオ」じゃなくて「クルミ」って書いてあったんです。 けっこう大きな字なのに、それが見えなかったのかな、 それともぼんやりしていたのかな、と涙腺がうるっときました。 「あ、これ、クルミってかいてある…」って伝えたら 「ほんとだぁ モウロクしてきとるわ」と言っていたけど。 その方が帰ってから泣きそうだったけど、それを違う人に 話をしたら、笑いながら「tipsさんのほうが目悪いじゃない! 裸眼で80代ってそれだけですごいでしょう」って言われたけど。 あまり参考にならずすみません。
お礼
「難病」「不遇の絆」「わが子」「再会」「生き別れ」・・・こういったテーマを取り上げる場合には、泣かせて感動させるという意図がありますよね。でも、本当の意味は他にあるはずなんです。 それが、涙を流すことで隠されてしまうのが常ですし、そうして安易に「泣かせる」というのは間違いだと思うんです。 「子から親への手紙を、他人や第三者のいる前で朗読する」というのも、私には耐えられません。 当事者になるのは断りますけど、結婚式などで聞かされるのは逃げられませんし、勘弁してほしいですね。 お年寄りとのやりとりというのは、いろいろと涙が出てしまうことも多いですね。 ご紹介いただいたケースでは、当事者としては涙が出るようなことだったのに、第三者にとっては笑い話になったりしたわけですし、人に伝えるのは難しいですよね。 ありがとうございました!
お礼
人が涙するというのは、悲しいにつけ嬉しいにつけ、その人の心情から発せられるものですよね。 ですから、まさに人間である証でもありますよね。 その人の心情を無理に引き出そうとするのは、ちょっと失礼だと思うんです。 私は映画が大好きなんですけど、お涙頂戴系の作品は、全く観ないんです。 「某花嫁」の映画にも全然興味がないんですけど、お涙系の中でも、こういった実話物は、特にダメですね。理由の一つは、ご回答いただいたとおりです。 昔の映画で申し訳ありませんが、「愛と死を見つめて」などが、そのいい例だと思いましたね。 ありがとうございました!