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意図的に人を泣かせようとすること・・・
草彅剛さんが復帰会見をしましたね。 事件の後の会見でもそうでしたけど、レポーターたちが、彼を泣かせよう泣かせようという質問をするのが、とても嫌でした。 でも、彼がしっかりと答えていたので、ついには「香取慎吾さんの涙を見てどうでしたか?」と、直接的に「涙」という単語まで出していましたね。 私はこういった「意図的に人を泣かせようとする」のがとても嫌なんです。 それでも涙を浮かべてもらえないと、最後には「心なしか、目を潤ませて」などというレポートや記事にしてしまったり・・・ どうみても光の反射の関係で、実際には目を潤ませてはいませんよ。心なしにもほどがあるというものです(笑)。 他に、こういった「意図的に人を泣かせようとする」という事例には、どんなものが浮かびますか? もちろん、テレビなどでのインタビューには限りません。 出来るだけ具体的な例でお答えいただくと、なお嬉しいです。 そして、その「意図的に人を泣かせようとする」ことについて、どう感じられるか(或いは、別に感じないとか)も、お聞かせいただきたいので、宜しくお願いします。
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お礼
人が涙するというのは、悲しいにつけ嬉しいにつけ、その人の心情から発せられるものですよね。 ですから、まさに人間である証でもありますよね。 その人の心情を無理に引き出そうとするのは、ちょっと失礼だと思うんです。 私は映画が大好きなんですけど、お涙頂戴系の作品は、全く観ないんです。 「某花嫁」の映画にも全然興味がないんですけど、お涙系の中でも、こういった実話物は、特にダメですね。理由の一つは、ご回答いただいたとおりです。 昔の映画で申し訳ありませんが、「愛と死を見つめて」などが、そのいい例だと思いましたね。 ありがとうございました!