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娘が鬱状態に・・
以前「娘が五月病に。。」のタイトルで大変お世話になりました。 http://okwave.jp/qa4951560.html その後遠くから時には励まし、時には見守りながら数日過ごしてきました。 先週末関東方面に出張だった主人が、娘に会いました。最初のうちは食事をしたりと普段と変わらなかったようですが、主人が帰る前日に激しく泣き出し、とても普通ではない状態だったとか。。 娘の下宿先の近所の心療内科を受診しようと思ったらしいのですが、予約制ですぐにはかなわず、予約だけして帰ってきました。 娘は高校時代にも学校に適応できなく、通信制の高校に転校しました。 本人もそのことを後悔していたようで、通信制の高校では頑張って勉強し、学校のからの推薦でいまの短大に入学しました。 今度こそは失敗したくないという思いは強かったのに、やはり心が未熟なのか、親が過保護に育て過ぎたのか同じようなことになってしまいました。。 私たちも最初は単なる5月病くらいに思っていましたが、水曜日に下宿先で初めて過呼吸になり、「苦しい、、苦しい」と泣きながら電話で訴えてきました。とにかく落ち着くように話ましたが、途中で電話がが切れつながりません。いてもたってもいられず夜中夫婦で高速を飛ばし娘を連れて帰ってきました。どうやら手とか唇がしびれて、最終的には意識がしばらくなくなってしまったようです。一日ゆっくり実家で休ませて、心療内科の予約があったので昨日私と一緒に下宿先に帰ってきて病院を受診しました。 先生のお話では、すべての環境が一度に変わってしまったので、適応できなく、今は鬱状態とのこと。 本人にも学校へ行けるようなら行き、無理なら休学をしなさいといわれました。 とりあえず今は薬で強い不安を和らげるしかないとのことで、安定剤とか抗鬱剤とかを頂いてきました。 学校のスクールカウンセラーにも相談しているようですが、本人は実家に帰りたくてしかたがないようです。 学校も辞めたいと話しています。 私は本人が決めたことなのでもう少し頑張ってほしかったのですが、このまま実家に帰らせるべきか悩んでいます。 私は後一週間位仕事の休みを頂いたので、しばらく娘の側にいるつもりですが、今の娘の表情は能面のようで、笑顔が全く見られません。 この表情は高校の時に学校へ行けなくなったときと一緒です。 学校の話をしだすと泣き出します。 高校の時は学校を転校したらいつものような明るい娘に戻っています。 親としてどうすればいいのでしょう?アドバイスお願いします。
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No.10です。 前回の回答に「自信あり」などとありますが、本当のところ私が当事者なら、やはりオロオロすると思います。 そして、私なら死んでは欲しくないし、考える時間が欲しいので休学を選ぶと思います。 もちろん、死んでしまったら元も子もないからです。 でも、押しつけはしません。 そして、急いで答えを出さなくても良いと思います。 最終的に決定するのは娘さんですから。 No.7のお礼を読んでいて、この前は書かなかったのですが、ちょっと気になる箇所があったので…。 お気を悪くされるかもしれませんが…。 >連れて帰る前日の夜中一緒に寝ていたはずの娘がいなくなりました。 部屋の中を捜してもいないのでベランダから外を捜すと娘が道路に立っていました。夜中でも結構な交通量の道路にです。嫌な予感はありましたが、声をかけると直ぐに部屋に戻ってきました。私も深く追求はしないで、「寝よう」と声をかけ娘と一緒に寝ました。 >翌朝なってテーブルにあった手帳の間から娘の遺書を見つけました。。 姉達にも色々書いていました。私が眠っている間に書いて部屋を出て行ったよです。 私が遺書を読んだことは娘には話してません。 これって一見、娘さんはお母さんに気づかれたくない様な、このことに触れては欲しくない様な感じはしますが、気が付いて欲しいと思ってやっている気が私にはするんです。 娘さんは精神状態があまり良くないし、思い詰めているからフラフラと部屋を出て行ったような印象はありますが、本気で死にたくなってしまったら、お母さんに止められないように、自殺が遂行出来るように、下宿先からは一刻も早く離れられるように、もっと遠くへ急いで移動すると思うんです。立ち止まらないでタクシーに乗ったり、走ったりです。 遺書の件もそうです。 見つけて欲しくなければ、テーブルの上には置かないと思います。 遺書を絶対見つけて欲しくない人はいませんが、死を覚悟した人は、もう少し分かりにくい場所に隠すと思います。 お母さんの気持ちが知りたいんだと思います。 もっと、はっきり言うと叱られたいんだと思います。 ほっぺたを思いっきり、ひっぱたいて欲しかったんだと思います。 罵られたかったんだと思います。 自傷行為を自分を罰するためにするのだと言う人がいます。 私は叱られてばかりだったので、自分を罰する人の気持ちが解りませんが、叱られないと親が心配していてくれるのが、分からない人もいるのではないかと思います。 お母さんが娘さんの頬をひっぱたいて、怒って、泣いて、娘さんも泣いて、そうじゃないと娘さんは、お母さんに、ただ心配されているだけではなくて、愛されているんだということが実感出来ないのではないでしょうか。 そして、お母さんが本気で叱ってくれないと、本当に自分は唯の甘やかされた駄目な人間のように思えるのではないでしょうか。 言い方は悪いのですが、叱られることに耐えられないような弱い人間だと憐れまれているような気持ちになって、惨めな気分になるのではないでしょうか。 反応はみんな違って当たり前ですが、私なら怒ります。 ひっぱたきます。罵ります。 恨まれたって良いです。格好悪くても威厳が無くても良いです。 そして、わめき散らした後、わんわん泣くと思います。 絶対死ぬなと約束させます。 全然参考になっていないかもしれせんが、お母さんはもう少し感情を表に出しても良いと思います。 オロオロするのは良くないですが、駄目なことは駄目だときっちり叱った方が良いです。 年下で人生経験が浅い私が言うのも本来は失礼なことです。 もしも、ご近所さんなら何も言えないと思います。 でも、この場だからこそ本心を言います。 叱るタイミングは逃さないようにしてください。 お母さんが娘さんをしっかり愛していて、娘さんも受け止めていたら、叱ることは決してマイナスなんかじゃないですよ。 叱られて初めて大きな愛に包まれることもあるんですから。 そして、お姉さん達のいうことは話半分で聞きましょう。 間違ってはいませんが、私情も入っています。 お姉さんが妹さんに厳しいのは仕方ないです。友達じゃないんですから。 鬱も経験がないし、母親になったことがないのだからどうしても厳しくなってしまうのでしょう。 あまりうるさく言うなら一喝したらどうですか。 この際、家族で気を遣って言えなかったことを話し合ってはどうですか?
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- wathavy
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ずぅっと下のほうで回答させて頂いたものです。 ともかく、ゆったり、ゆっくり、心配しない。という今の状態と正反対の態度を取るように医師には薦められていると思います。 そんなこと聞けない。 ところが、そこに鬱になる原因があります。心療内科、神経科の医師に相談してください。いいアドバイスは耳に逆らいます。でも必ず治ります。 時間はいくらでもあります。ゆっくりやりましょう。
お礼
何度もありがとうございます。 >ゆっくり、ゆったり、心配しない。ですよね。 頭の中ではよく分かっているのですが。。 実際娘はまだ休学届けを出していません。 休学、退学、学校復帰、頭の中でぐるぐる回っています。 娘はここ2、3日抗鬱剤が効き始めたのかいつもよりテンションが高くとても元気です。 本人もいつもなら怖いことも全然平気といいます。たぶん薬の影響だと思います。 このまま元気になったので、学校へ戻るといい出しそうな勢いです。 大学へ戻ってもこの状態が続くとは思えません。 いつかまた息切れを起こすのではないかと思ってしまいます。 家にいても両親は三女の病気を理解していますが、姉達にはただの過保護な親と甘ったれの三女に見えるようです。 実際姉達の友達の中にもストレスで胃に穴が開いて入院した子や疲労で倒れて救急車で運ばれた子もいるのに、三女を見ていると甘ったれでイライラしてくると家の中の雰囲気も最悪です。 大学からも色々連絡が入りもう私自身が崩れてしまいそうです。。
No.7です。 ご返信ありがとうございます。 お母さんも、娘さんも強くなる必要なんか無いと思います。 生意気を言うようですが、鋼のように堅くなるのではなくて、柳のようにしなやかな生き方も強さじゃないかと思います。 いつも何かに向かっていくだけではなくて、軽くかわしたり、風の吹くまま気の向くまま、少したわんでいた方が、心にゆとりがある方が、案外丈夫だったりするのではないかと思います。 心療内科の先生も人間です。 娘さんのこと、ご家族のこと、何から何までご存じなのではありませんよね。 必ず先生が言うことが、全て正しいなどと言うことはないと思います。 先生に不信感を持つのは良くないけれど、娘さんのこと、家族のこと、一番良く分かっていらっしゃるのはお母さんだと思います。 母親の勘を信じてください。 娘さんを連れ帰って良かったと私は思います。 娘さんのことも、どの心療内科に掛かっても、口を揃えて 「学校へ行きなさい」とはならないと思います。 地元の先生の発言ですが、その辺りは、今まで診た患者さんや自分の人生を振り返って仰っているのだと思いますが、休学することはそんなに弱いことなのでしょうか? 本当に弱いというのは、全てから逃げること、全ての責任から逃れること、自ら命を絶つことだと思います。 どうしてそこまで思い詰めてしまったか、ご家族でも中々分からないことだと思います。 今回娘さんのことを読ませていただいて思い出したのは、次姉のことです。 娘さんと次姉では立場はまるで違うけれど、次姉は姉妹の中でも特別に頭が良く、器用でスポーツもそこそこ出来、高校に進学するときも学区の違う進学校に進みました。 入試もトップで受かり、傍目からはまるで悩みのない前途洋々の高校生でした。 私はと言えば物心ついた頃から、特に次姉とは比べられっぱなしで、元々賞賛欲の高い母にとって、次姉は誰にでも誇れる自慢の娘でした。 そんな次姉でも、悩みはあったのです。 次姉は何故か、自分は両親から愛されていたという実感が今でもないようです。 頭が良いだとか、良く気が付くと褒められても、それは能力が認められているというだけのこと、所詮それまでのことと、自分自身が愛されているとは思っていないようなのです。 私から見れば母は何かというと次姉を自慢し、私と比べるので、母は私に次姉のようになって欲しいと思っているのだ、母は長姉や妹を溺愛しているし、次姉は自慢の娘、そして私は…と、お終いまで考えると気が重くなるのでいつも打ち消すようにしていました。 母は私が幼い頃、繰り返し、父方の母が嫌っていた叔父に私が似ていると言いました。母は叔父を知的障害者だと思い込んでいました。 それを言われるのが子供の頃は一番辛かったです。 父にも姉たちにもその事は言いませんでした。言うと余計プライドが傷つくからです。特に父には言いたくありませんでした。 言ってしまうと父と叔父が可哀想だったからです。 そして私は、自分だけは母から愛されていないと思っていました。 今思うと母は、父が酒乱であったことや障害者への差別意識(叔父は知的障害者ではなく、今で言う学習障害であったのではないかと思います)から結婚をしたことに後悔していて、妹も赤ん坊であったので、育児疲れから当時一番手の掛かる私に当たっていたのだと思います。 本当に幼い、3,4歳までは母は私にとても優しかったです。 だから、次姉は私が母に言われた言葉を聞いていないので、次姉は私にでさえ、今も複雑な思いを持っています。 その上、次姉は父と折り合いが良くありませんでした。 父には子供の出来ない友人がいました。 父はその人を気の毒に思い、また自分も生活が苦しかったために、父は次の子供が生まれたら、その人のところに養子に出す約束をしていました。 父がその話をしたのは、私も次姉もまだ小学生の頃です。 父としては、そんな重い約束をしてしまったものの、いざその友人が家を訪ねて生まれたばかりの次姉をくれと申し出ても、やはり我が子なので可愛くて渡せなかったのだと話しました。 でも、次姉は、私が生まれたことで父の愛情が私に移ったと思っていたようで、その話を聞いても自分が愛されているとは思えなかったようです。 次姉は次姉で、私が母に対して複雑な思いがあるように、父には葛藤があります。次姉は父が自分は要らない子供だと思っていると感じていたようです。 成績が下がれば遊んでいると責める母、父の怒鳴り声も次姉の精神状態を悪くしました。 次姉はある晩も酔った父と喧嘩して家を飛び出し、そのまま階下に飛び降りようとしているのを後を追った妹が見つけて止めました。 私は当時はその話を妹に聞いて何もそこまでと、次姉の行動に驚きました。 このことは次姉から直接聞くことはありませんでしたが、次姉はその晩、頭痛薬を一箱飲み、翌日は授業中、酷い頭痛と吐き気に襲われたという話を私にしてくれました。 どうしてそこまで?と、今でも思います。 でも、次姉には両親に愛されている実感が無かったようなのです。 理由はそれが全てだと思います。 私たち姉妹から見たら、決してそんなことはないのに。 次姉はその後はそのような行動は起こしませんでした。 そして志望大学に進み、3年目に大学を辞めると言い出しました。 理由は好きな人の後を追って、結婚したいからです。 母はその事に酷く腹を立て、猛反対しました。 何故あと一年が我慢できないのだ。何のために私も働いて大学までやったのだと聞く耳など持ちませんでした。その頃の次姉は泣いてばかりいました。 そんな次姉を可哀想に思い応援したのが父でした。 次姉は、 「お母さんだけは解ってくれると思ったのに…。でも、お父さんが味方してくれるなんて…。」 と驚いていました。 次姉は父が提案したとおり、大学を休学することにしました。 その後、次姉は子供を産み、子育てが忙しくなり復学のチャンスを失いました。でも、子供にも夫にも恵まれて幸せです。 娘さんは、今、ゆっくり自分の道を探したいのだと思います。 休学をすると、次姉のように復学のチャンスを失うかもしれません。 でも、長い人生です。 今まで頑張ったんですから、ゆっくり休ませてあげてください。 未来はいつだって開かれています。 幸せの形はいくらでもあります。 そして、お母さんもゆっくり休んでください。 お母さんは少しのんびりしている方が、子供も気楽で良いのです。
お礼
回答ありがとうございます。 >鋼のように堅くなるのではなくて、柳のようにしなやかな生き方も強さじゃないかと思います。 いつも何かに向かっていくだけではなくて、軽くかわしたり、風の吹くまま気の向くまま、少したわんでいた方が、心にゆとりがある方が、案外丈夫だったりするのではないかと思います。 その通りだと思います。。なんか元気がでてきました。 私も3人の娘がいますが、それぞれ娘達を同じように愛していますが、子供にとっては親の愛情の感じ方は違うのでしょうね。 私にも経験がありますし、反省もしています。 勉強も出来て器用でスポーツも出来ると親は自慢ですよね。親が心配しなくてもこの子は立派に自分で生きていけると思っちゃって、その子に目が行かないんですね。我家の長女も同じように接してきたような気がします。今も県外で就職して年に一度くらいしか帰ってきません。 三女は中学の頃から学校に適応できないのか色々問題を起こしたり心配なことが多くいつも親の目は三女に向いていたと思います。 きっと上の娘達も色々悩んでいたのに私達には相談できなかったんでしょうね。。 私がもっとしなやかな心でのんびりできるといいのですが、昔から死ぬほど苦しんだり悩んだりしたことが無いので、娘がこうゆう状態になるとオロオロ、メソメソでまったく駄目です。 私のこんな姿を見て苦しんでいるのは三女なのに。。 先ずは私が元気でいることが一番ですね。 ありがとうございました。
- psfa_mig
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頑張って欲しいって本気で考えているでしたら、親として大間違いをしてます。 >「苦しい、、苦しい」と泣きながら電話で訴えてきました。 お子さん、既に相当頑張ってるんじゃないですか? 頑張ってるのにたまたま結果が出なくて悩んでるんです。 そこにあなたが更に頑張ってと言ったら。。。精神的に相当ストレスを感じるでしょうし、破綻してしまいます。 どうかお子さんの視点で考えてあげて下さい。 古き良き日本の考え方であれば、何でもかんでも頑張れ、なんですが実はこれは心理学的に間違いであることが知られています。 今後はこれまでのお子さんの頑張りを肯定してあげるコミュニケーションを心がけてあげて下さい。 あなたも経験があると思いますが、必死に努力に努力を重ねても運悪く失敗が続くってことがあります。 そうなると人間、何をやってもダメになるんじゃないかとか、何をやったらいいのか解らなくなるんです。 これを解決するため、一度お子さんと向き合って、頑張ってきた部分を肯定してあげるという作業が必要なんです。 これはお子さんにポジティブな経験を積んだことを認識させることが目的です。 ポジティブな経験は自身に繋がりますし、他の行動への応用できる知識として本人に蓄えられます。 しばらくの間、時間をかけてお子さんと話す機会を持って、肯定できる箇所は可能な限り肯定してみて下さい。
お礼
お礼が遅くなって申し訳ありません。 本当に間違っていたようです。 本人は苦しくって死も考えていたようです。 生きていてくれればもう学校なんかどうでもいいと思って、連れてかえってきました。 まだ学校のことは話が出来る状態ではありませんが、本人が悩み結論を出すまで待ちたいと思っていますが、心のどこかで諦め切れない自分がいます。 主人には母親が大きな心で受け止めてあげないといけないと怒られます。 私がため息を付いたり、悲しそうな顔をしているのを敏感に感じとっています。 もっと強くなってすべてを受け入れられるようになりたいです。 時間を掛けて話し娘のいいところを沢山認めてあげたいと思います。 ありがとうございました。 時間を掛けて娘と話す時間を作って行きたいと思います
No.7です。 これも余計かもしれませんが、娘さんが頑張ったらちゃんと褒めてあげて欲しいです。 どんなに小さな事でもです。 私の場合ですが、私の上の二人の姉はかなり勉強が出来たので、わたしがそこそこ良い成績を取っても、私は母親から褒められたことはありませんでした。 そして始終、姉妹達と比べられるのが嫌でした。 お姉さん達と比べていることを臭わせるようなことは、娘さんには言わないであげて欲しいと思います。 子供のうちよりも、成人に近くなってからの方が、自分の能力の限界が見えてきて落ち込みやすくなってしまいます。 正直私は、子供の頃の方が余程、母親にはきついことを言われていたと思うのですが、家庭に入ってから子育てがなっていない、次姉を見習えと何度も母に言われたときは酷く落ち込みました。 唯単に、ここが駄目、あそこが駄目ではないんですからね。 一々、「おまえは次姉よりも劣っている」との形容詞が付くのだから、溜まりません。 他にも体力のなさは、長姉を見習えと比べられるし、辛かったです。 うちの母は、私を貶すときは姉妹を総動員するので本当に嫌でした。 その頃は他にもいろいろ悩みがあったので、鬱になってしまった程でした。 質問者さんは、優しそうな方なので、その様なことはしていらっしゃらないと思いますが、もしも思い当たるなら…と思い余計なことを書いてしまいました。 お気を悪くしたら、ごめんなさい。m(_ _)m
お礼
そうですね。。 私も三女を励ますつもりが、追い詰めていたことがあったようです。 上の姉達もそれぞれ大学在学中には悩み苦しんだ時期があったようです。 そのエピソードを話して聞かせて皆寂しい思いや苦しい思いをしたんだよと話ました。 なんとか成功体験をして自分に自信を持って欲しかった。 それが三女を苦しめていたのかも知れません。。 上の娘達に言わせると、私達夫婦は三女に対して過保護で過干渉しすぎるとのことです。 私達に救いを求めてきてくれるだけ嬉しいと思っているのですが、親離れ子離れできないです。 少しでも三女のいい所を認め口に出して褒めてあげたいと思います。 ありがとうございます。
娘さんはもともと自己否定感が強いんじゃないでしょうか。 上二人のお姉さんは、普通に大学生活していらっしゃるから、そして自分は高校で一度失敗をしているからと、家でも外でも、いつも自分がみんなより弱いんじゃないか、頑張りが足りないんじゃないかと人と比べる癖が付いて、思い詰めやすいんじゃないでしょうか。 大学に行く意味が分からないというのも、本当に行きたかったと言うよりも、人目や評価を気にして選んでしまっただけなのではないかと後悔しているのではないでしょうか。 独り暮らしだと、自分のことばかり考えてしまうから、なおさら自己否定感が募るのではないでしょうか。 ここに書くことはまるっきり間違っているかもしれませんが、娘さんは上に二人もお姉さんがいるので、(ちなみに私の実家は四姉妹で私は三女です)、いつも上のやることに習うばかりで、自分が本当は何をしたいのか突き詰めて考えることが少なかったり(つまり惰性です)、経済的にも立場的にも家族に気兼ねして、長年、中々本当に思っていることが言えなかったりということがあったのではないかと思います。 それと読んでいて心配なのが、娘さんの衝動性です。 自傷行為があったのが心配です。 素人の言うことですが、こちらのサイトの質問を見ていても、自傷行為そのものは中々治りにくいような印象が私の中にはあります。 摂食障害等とも病根が同じ様な気がします。 娘さんはお友達に気を遣っていらっしゃるようですが、もともと、きつい面も持っていらっしゃる様に思えます。 その自傷行為は当時の高校の先生に対する抗議ですよね? そういう気持ちを普段、周りの友達に向けないように押さえつけているのだとしたら、相当なストレスだと思います。 そのストレスの中和剤がお母さんをはじめ、家族であったのでしょうね。 結局のところ、お母さんが恋しいのだと思います。 娘さんですが、本気で頑張りたかったら、 「辛かったらいつでも帰っておいでよ。お母さんはいつでも味方だから。」 と言えば、帰りたくともぐっとこらえて、そしてお母さんにちゃんと愛されているのだと安心して、頑張れるのではないかという気がします。 娘さんが本気なら、動物に関わる仕事に赴いても良いのではないかと私は思います。 やりたいことがあると言う気持ちが一番大切なんだと思います。 このことも視野に入れてあげて欲しいです。 所詮、赤の他人が言うことなので、的外れなことばかりかもしれませんが、お母さんも心療内科に通うなどしてメンタル面の勉強をなさると良いと思います。 何か、解決に向けて糸口が見つかるかもしれません。
お礼
お礼が遅くなって申し訳ありません。 娘は先週の月曜日に実家へ連れて帰ってきました。 今回は自傷行為はしていなかったの少しは安心していましたが、もっと深刻だったようです。 連れて帰る前日の夜中一緒に寝ていたはずの娘がいなくなりました。 部屋の中を捜してもいないのでベランダから外を捜すと娘が道路に立っていました。夜中でも結構な交通量の道路にです。嫌な予感はありましたが、声をかけると直ぐに部屋に戻ってきました。私も深く追求はしないで、「寝よう」と声をかけ娘と一緒に寝ました。 翌朝なってテーブルにあった手帳の間から娘の遺書を見つけました。。 私たちに対して「弱い娘でごめんなさい、たくさんチャンスをくれたのにもうどうしていいか分からない。。」のような内容でした。 姉達にも色々書いていました。私が眠っている間に書いて部屋を出て行ったよです。 もうこのままでは娘は本当に死んでしまうと思い、連れて帰ってきました。 地元の心療内科を受診しましたが、そこの先生は「適応できないと言って実家へ帰ってきてしまうと益々学校へ馴染めなくなるよ。こういう時は少し我慢してなれるまでいた方いいのに。。社会へでてもつらいことは沢山あるし。。」みたいなことを言われましたが、大学の近くの心療内科で頂いてた薬を処方してくれました。 娘は実家に帰ってきても1週間部屋に閉じこもりました。 夕方になると少し元気になってご飯も食べられるのですが、朝から昼過ぎまで死んだように寝ていました。 昨日あたりから少しずつ元気になり、今日は地元の友達の家に行ってまだ帰ってきません。 娘は「実家がこんなに恋しいとは思わなかった。」と言っていました。 娘の遺書の中に私に対して「いつもいつも私のことで泣かせてごめんなさい」とありました。 私が遺書を読んだことは娘には話してません。 「貴方が一番大切だから、しばらく学校のことは忘れてゆっくりしよう」と声をかけていますが、心のどこかに学校へ戻って欲しいという気持ちがあるのでしょうか、今は私が苦しいです。
- wathavy
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実は、鬱になったのは、妻が最初でした。 家族に伝播します。つまり、負担がかかったり、症状を見て頑張る人が今度の鬱にかかる人になります。 お気をつけください。 家族がみんなで普通に暮らせることがいいという風に、気軽に考えるべきです。あまり深刻にならないようにしましょう。 ご自愛ください。
お礼
お礼が遅くなって申し訳ありませんでした。 あれからしばらく娘の所におりましたが、本当に私までおかしくなってしまいました。娘の苦しんでいる姿を見て私まで苦しくって苦しくって。。 もうどうでもいいじゃないって気になってしまいました。確かに私も今普通の状態ではありません。心療内科にかかって安定剤をもらっています。弱い母親です。。 すべてをまるごと受け止める心の大きなお袋さんになりたいです。 娘は実家に連れて帰ってきました。 1週間部屋にこもってました。昨日あたりから少しずつ元気になり今日は地元の友達に会うことができました。 娘も診療内科にかかっています。 ありがとうございました。
- wathavy
- ベストアンサー率22% (505/2263)
他の方が、おっしゃっていますが、鬱は、脳の機能障害です。間違えた対応をすることで、悪い症状が出る事がありえます。彼女が学校を毛嫌いしているのであれば、単位制の学校であれば、1年休学して、様子を見る事も手段かもしれません。辞めてしまえば、おそらく入学すること自体が難しいでしょう。この時代、就職は相当困難です。うつ病はとても時間のかかる難治療な病気だと思います。(治療できても、再発することが多くありますし、完治と言う状態には中々持っていけません) 二年間の学校が終われば、就職で職場に行かねばなりません。恐らくそうした将来について考えれば、ゆっくりやっていくのがいいのかもしれません。 私も、躁鬱病ですが、仕事がひと段落し、本来であれば、落ち込みがひどい状態になっている時期です。しかし、かなり安定していて、今は平常心が保たれています。しかし、炭酸リチウムを相当量飲んでいます。あまり、感情的にならないように、また、問題が複雑化すると、自分が危険なので、人を挟んで、状況を克服するように出来る限り、自分の直接の仕事を限定しています。 娘さんにも、いずれ必要になってくるノウハウかもしれません。 一般論ですが、鬱になるのは、場合によっては躁が原因の場合も有ります。躁では、力を使い切ってしまうのです。私なんかは典型です。なので、コントロールして自分の力をセーブするようにしなくてはなりません。 今回は、どうなった事が原因か、私には分かりませんが、そこを防ぐことは当面の課題かと思います。
お礼
ご回答ありがとうございます。 休学ですか。。その方がいいのでしょうかね。。 確かに早い段階の方が回復は早い様に思います。 今回も再発みたいなものでしょうか? 本人の中で親に申し訳ないとか、せっかくチャンスをもらったのに。。でももう頑張れないし解決方法がわからないと言ってました。 もうこの苦しみら救ってあげたいと思う自分いる反面、今ここでつまずいたらこの先の就職、結婚、出産、すべてに適応できない人間になってしまうのではないか、もっと厳しく対応しないといけないのでは??と思ってしまいます。 世間の人に甘い親だから子供が何からでもすぐ逃げ出すんだよと言われているようで怖いです。。 娘は病気なんですよね。。もっと私が強くならないといけないですね。 ありがとうございました。
- blazin
- ベストアンサー率50% (20251/40149)
娘さんなりに過去の自分の失敗というか、不完全燃焼だった部分を今度こそ成就させたい気持ちで臨んだのが大学生活なんですよね。 普通に考えたらこれが最後の学校生活。だからこそ何とかしたい気持ちが強い。だからこそ、それが上手くいかないと余計に自分の中で頑張れると思っていた気持ちがくじけてきつい部分と、過去にも同じ様に振舞ってしまっているという事実が似たような反応になってしまって今は後ろを向くことの方が楽になってしまっている。 一つ言えるのは貴方も含めた親の育て方がどうこうという問題ではないという事。彼女は彼女なりに自分の適応できなかった部分を自覚している。それは家庭の問題よりも個人的な部分。 ただね、そういう彼女の状態で頑張りやすいネクストステップとしてはやはり実家に近い場所で貴方のぬくもりや声が届く範囲に身を置いて進んでいく形の方が良かったのかもしれないですよね。 いきなり親元から離れて孤独感にさいなまれた状態で、尚且つ苦手な学校との適応という部分をやっていこうとすると無理が出てしまう。 現に今の状態がそう。勿論彼女なりに頑張れると思ってスタートした訳ですから後悔は必要ないと思うんです。 ただ、今の時点から考えてみると、やはり娘さんの新天地、新環境でのスタートにはそれを支えて頑張るだけのゆとりと精神的な準備が少なかったのかも知れませんよね。 下宿という閉鎖された状況もゆとりの無さに拍車をかけてしまってる。 例えば娘さんが一人暮らしであれば、お母さんがリズムを作るまで一緒に居るとか、月の中で適当な時期に顔を出してバランスを取る事も出来たのかもしれませんから。 勿論娘さんが駄目になるまで追い込んでも意味はないんですよ。 ただ、一度休学など流れから外れてしまってまたそこに戻るのは以前よりさらに力が居る事になる。当然周りの人たちも変わってきますからね。場合によってはマンスリーのアパートなどに越して、そこで彼女の場所を創ってあげてしばらくはお母さんが傍に居る状態で通学すると。 とにかく辛くても通いぬいた経験を踏ませてあげる事で娘さんは前に進めるんですよね。ただその辛くても~の部分の辛さは本人にしか分からない部分なので、彼女なりに納得して歯を食いしばる必要がある。 今の実家へのゴーホーム感覚のままだと難しい。 そこはスクールカウンセラーさんの力を借りて、もう少し視野を広く、色々な選択肢も含めて考えられるように落ち着かせてあげる必要がありますよね。帰る事は簡単なんですよ。でもそれで楽にはなっても次が難しい。同じ事を繰り返してきた部分があるならまた同じ壁が出てくる可能性もある。ですからご家族で娘さんを支える形で追い込む事はしないと。でも以前よりも一歩でも二歩でも前に進むという選択も辛い中から見出していけるような彼女の成長も促していく。 焦る必要はないですからね。今は直ぐに辞めるとか休学とか形にせずに、時間を味方につけつつ、頑なに内にこもりすぎる娘さんの気持ちを受け止めてあげてなんとか前を向いてもらう事ですよ。 考える時間はありますからね☆
お礼
ご回答ありがとうございました。 私も高校のことがあったので地元の学校を勧めましたが、姉二人が県外の大学に進学したこともあり、自分にもできると思い込んでいたようです。 とにかく一人暮らしがしたかったようです。実際してみて初めて家族のこと大好きで、一人がこんなにも寂しいということがわかったようです。 最初の1か月でお友達も沢山出来たのですが、一人は寂しいけど、お友達との毎日のお泊り会いにも疲れてしまったと話ていました。 何とか成功体験を積んで大人になって欲しかったので、ひたすら励まし、skypeでのテレビ電話で毎日会話もしていました。 今は鬱状態とのことなので、できる限り娘のそばについていたいと思います。 主人には自分で実家に帰りたいと言い出すまで待つように言われましたのでもう少し様子を見るしかないのかなと思ってます。
- takas223
- ベストアンサー率22% (299/1308)
こんにちは。 鬱というのは、基本的に、大きなストレスによる脳のホルモンの正常分泌異常です。 感情をつかさどる、ホルモン伝達物質が減ることにより、無感情になったり、ちょっとしたことが心に刺さったり、、、 精神的なものとも言われますが、体的にいうとこう説明できます。 大きなストレスをまず取り除くことが大事だと思います。 感情、喜怒哀楽が出せなくなるのはその症状によるものでしょうし、鬱の典型的症状だと思います。 とりあえずは、薬を飲むことが大事です。 先生の処方された薬を飲んで、しっかりと休養をとること。 その上で、自分を客観的に見られるようになったときに、自分で決めればいいことだと思います。 鬱状態では大きな決断をしてはいけないといいます。 自分であって自分ではないからですね。 心と体が離れている状態といえますので、、、 今親御さんにできることは、あせらせないこと、、、 人生は長いと、今の休養をすすめること、、、 退学ではなく休学でとりあえず時間を与えてあげること、、、 遠くから子供さんを見つめること、、、 ただ、薬だけでは鬱は治せません。 ある程度よくなった後で、 なぜ自分がこのような状態になってしまったのか? 原因は? 自分はどう変わればいいのか? 少しずつゆっくり考えられるように誘導していけるといいですね。 私も過労性の鬱を3年間患ってます。 一時期あなたの子供さんのように喜怒哀楽が出せませんでした。 自分で自分でない感情、別の自分が自分を見ているという感じでしょうか? 今は、だいぶよくなりまして、薬を減らしながら自分を保つ練習の段階です。 この間に自分を客観的に何がいけないのか?何がこうさせるのかを考えてきました。 とりあえずよくなりましたら、ぜひ日記を書くことや、認知行動療法をしてみてください。 大変でしょうが、鬱は完治まで長いこと時間がかかるものなのであせらずゆっくりされてください。
お礼
ご回答ありがとうございます。 鬱は脳のホルモンの正常分泌異常なんですね。 高校時代も学校の校門の前に行くと涙が出てくるとか、過敏性大腸炎でバス通学ができなくなったりしていました。 もともと神経が過敏だったのでしょうか? 高校は転校してしばらくすると症状がうそのように消えました。 心療内科にも一度受診したことがあります。 学校の授業を受けられない娘を修学旅行をへ連れていかれないと担任の先生から言われた時、自傷行為をしたりしていました。 なんとしても修学旅行に行きたかった娘は、医者に頼んで薬をもらい1週間保健室に行かず授業に出て、修学旅行にも無事行くことができました。その後一回も学校へは行けず、転校になってしまいました。 皆さん娘と同じ体験をされているんですね。 日記をつけたりするといいのですね。認知行動療法?? よく調べて娘にアドバイスしたいと思います。 ありがとうございました。
- pansy_15
- ベストアンサー率19% (11/57)
すごく辛いですね。質問を読んでいて思わず泣いてしまいました。 僕はそんな大それたことは言えませんが、精神的に大分不安が募っているのでしょう。 娘様の性格はよくわからないのでどうとあまり言えませんが、相当責任感、無理強いをよくされるんじゃないでしょうか? 僕も親にやる気があればなんでもできると小さいころから言われてきて大学に入るまでは、 それでやってこれましたが、大学に入ってからやる気だけでやっていくことに限界を感じ、スランプ?みたいなものに陥ってしまいました。 それで、学校に行っても授業を受ける必要性があいまいになってサボってしまい親に怒られてしまいました。 まずは、学校に行かせるより、精神の安定を優先した方がいいともいます。精神的に疲れてしまっているので、その防衛本能として心を閉ざしてしまった。これ以上心が疲れないようにですね。 そのせいで笑顔や悲しんだ顔・怒った顔を出さなくなったんだと思います。 高校で通信制にしたと言うことなので 家で受けていたってことですよね?学校に行くということに何かあるんでじゃないでしょうか?トラウマ的な何かがあるとしか思えません。 まだまだ若造の20歳の男の子です。 ちゃんとした回答になれませんでしたが、何とか力になってあげたい気持ちでいっぱいになりました。
お礼
回答ありがとうございます。 確かに娘はまじめなのかも知れません。少し神経質なところもあります。今回娘の部屋に来てはじめて気づきました。学校も辛くて苦しくても休まず行っていたようです。 何よりビックリしたのは家にいるときは、結構ズボラな娘だと思っていましたが、一人暮らしではかなり綺麗に生活していて、コンセント類も使わないものはすべて外していて、ガス栓、洗濯機の蛇口まで小まめに閉めていたのには驚きました。 学校には色々とトラウマがあるのだと思います。 友達関係も明るくて友達も多いのですが、それがまた彼女を苦しめます。 友達に気を遣いすぎて疲れてしまうといいます。 高校は転校した学校は通信制でしたが、サポート校に週3回ほど通っていました。バイトも二年間がんばりました。 学校は適当にさぼっていましたが、バイトは熱があっても出ていましたね。 今鬱状態のためか、娘も何のために学校へ行っているのかわからないと話しています。 も少し様子を見たいと思います。ありがとうございました。
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お礼
たびたびありがとうございます。 遺書の発見の時はパニックになってしまいました。 今から考えてみるとNO.12さんの仰るとおりだと思います。 私が夜中道路にいる娘に声をかけた時の娘のホッとした表情が忘れられません。本気で死のうと思っていたわけではなく、「私は死ぬ程苦しんでのよ」というメッセージだと思います。手帳も私の目に付きやすいところに置かれていました。 確かに読んだことはハッキリ話してませんし、娘をたたいたりはしていませんが、「どんなことがあっても自分から死んだりしてはいけない、そんなことがあったらお母さんやお父さんがどれだけ苦しむか。。私も生きていけない。○○が一番大切で、生きていてくれるだけでお母さんは嬉しい。だから死ぬことだけは絶対にしないと約束して」と泣きながら訴えました。娘も私達夫婦が遺書を見つけたことを分かっているようで本人も泣きながら約束してくれました。 今回はありませんでしたが、高校時代はよくリストカットもありました。左の腕には今も跡が残っています。 リストカットは死ぬためにやるわけではなく生きるためにやるって聞いた事があります。自己否定や欲求や心が満たされない時、自分を見てほしい・気持ちをわかってほしい時などにやってしまうらしいですね。 今回もこんな気持ちが含まれているんだと理解して、娘とゆっくり寄り添って行きたいと思います。 ありがとうございます。