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娘が鬱状態に・・
以前「娘が五月病に。。」のタイトルで大変お世話になりました。 http://okwave.jp/qa4951560.html その後遠くから時には励まし、時には見守りながら数日過ごしてきました。 先週末関東方面に出張だった主人が、娘に会いました。最初のうちは食事をしたりと普段と変わらなかったようですが、主人が帰る前日に激しく泣き出し、とても普通ではない状態だったとか。。 娘の下宿先の近所の心療内科を受診しようと思ったらしいのですが、予約制ですぐにはかなわず、予約だけして帰ってきました。 娘は高校時代にも学校に適応できなく、通信制の高校に転校しました。 本人もそのことを後悔していたようで、通信制の高校では頑張って勉強し、学校のからの推薦でいまの短大に入学しました。 今度こそは失敗したくないという思いは強かったのに、やはり心が未熟なのか、親が過保護に育て過ぎたのか同じようなことになってしまいました。。 私たちも最初は単なる5月病くらいに思っていましたが、水曜日に下宿先で初めて過呼吸になり、「苦しい、、苦しい」と泣きながら電話で訴えてきました。とにかく落ち着くように話ましたが、途中で電話がが切れつながりません。いてもたってもいられず夜中夫婦で高速を飛ばし娘を連れて帰ってきました。どうやら手とか唇がしびれて、最終的には意識がしばらくなくなってしまったようです。一日ゆっくり実家で休ませて、心療内科の予約があったので昨日私と一緒に下宿先に帰ってきて病院を受診しました。 先生のお話では、すべての環境が一度に変わってしまったので、適応できなく、今は鬱状態とのこと。 本人にも学校へ行けるようなら行き、無理なら休学をしなさいといわれました。 とりあえず今は薬で強い不安を和らげるしかないとのことで、安定剤とか抗鬱剤とかを頂いてきました。 学校のスクールカウンセラーにも相談しているようですが、本人は実家に帰りたくてしかたがないようです。 学校も辞めたいと話しています。 私は本人が決めたことなのでもう少し頑張ってほしかったのですが、このまま実家に帰らせるべきか悩んでいます。 私は後一週間位仕事の休みを頂いたので、しばらく娘の側にいるつもりですが、今の娘の表情は能面のようで、笑顔が全く見られません。 この表情は高校の時に学校へ行けなくなったときと一緒です。 学校の話をしだすと泣き出します。 高校の時は学校を転校したらいつものような明るい娘に戻っています。 親としてどうすればいいのでしょう?アドバイスお願いします。
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No.10です。 前回の回答に「自信あり」などとありますが、本当のところ私が当事者なら、やはりオロオロすると思います。 そして、私なら死んでは欲しくないし、考える時間が欲しいので休学を選ぶと思います。 もちろん、死んでしまったら元も子もないからです。 でも、押しつけはしません。 そして、急いで答えを出さなくても良いと思います。 最終的に決定するのは娘さんですから。 No.7のお礼を読んでいて、この前は書かなかったのですが、ちょっと気になる箇所があったので…。 お気を悪くされるかもしれませんが…。 >連れて帰る前日の夜中一緒に寝ていたはずの娘がいなくなりました。 部屋の中を捜してもいないのでベランダから外を捜すと娘が道路に立っていました。夜中でも結構な交通量の道路にです。嫌な予感はありましたが、声をかけると直ぐに部屋に戻ってきました。私も深く追求はしないで、「寝よう」と声をかけ娘と一緒に寝ました。 >翌朝なってテーブルにあった手帳の間から娘の遺書を見つけました。。 姉達にも色々書いていました。私が眠っている間に書いて部屋を出て行ったよです。 私が遺書を読んだことは娘には話してません。 これって一見、娘さんはお母さんに気づかれたくない様な、このことに触れては欲しくない様な感じはしますが、気が付いて欲しいと思ってやっている気が私にはするんです。 娘さんは精神状態があまり良くないし、思い詰めているからフラフラと部屋を出て行ったような印象はありますが、本気で死にたくなってしまったら、お母さんに止められないように、自殺が遂行出来るように、下宿先からは一刻も早く離れられるように、もっと遠くへ急いで移動すると思うんです。立ち止まらないでタクシーに乗ったり、走ったりです。 遺書の件もそうです。 見つけて欲しくなければ、テーブルの上には置かないと思います。 遺書を絶対見つけて欲しくない人はいませんが、死を覚悟した人は、もう少し分かりにくい場所に隠すと思います。 お母さんの気持ちが知りたいんだと思います。 もっと、はっきり言うと叱られたいんだと思います。 ほっぺたを思いっきり、ひっぱたいて欲しかったんだと思います。 罵られたかったんだと思います。 自傷行為を自分を罰するためにするのだと言う人がいます。 私は叱られてばかりだったので、自分を罰する人の気持ちが解りませんが、叱られないと親が心配していてくれるのが、分からない人もいるのではないかと思います。 お母さんが娘さんの頬をひっぱたいて、怒って、泣いて、娘さんも泣いて、そうじゃないと娘さんは、お母さんに、ただ心配されているだけではなくて、愛されているんだということが実感出来ないのではないでしょうか。 そして、お母さんが本気で叱ってくれないと、本当に自分は唯の甘やかされた駄目な人間のように思えるのではないでしょうか。 言い方は悪いのですが、叱られることに耐えられないような弱い人間だと憐れまれているような気持ちになって、惨めな気分になるのではないでしょうか。 反応はみんな違って当たり前ですが、私なら怒ります。 ひっぱたきます。罵ります。 恨まれたって良いです。格好悪くても威厳が無くても良いです。 そして、わめき散らした後、わんわん泣くと思います。 絶対死ぬなと約束させます。 全然参考になっていないかもしれせんが、お母さんはもう少し感情を表に出しても良いと思います。 オロオロするのは良くないですが、駄目なことは駄目だときっちり叱った方が良いです。 年下で人生経験が浅い私が言うのも本来は失礼なことです。 もしも、ご近所さんなら何も言えないと思います。 でも、この場だからこそ本心を言います。 叱るタイミングは逃さないようにしてください。 お母さんが娘さんをしっかり愛していて、娘さんも受け止めていたら、叱ることは決してマイナスなんかじゃないですよ。 叱られて初めて大きな愛に包まれることもあるんですから。 そして、お姉さん達のいうことは話半分で聞きましょう。 間違ってはいませんが、私情も入っています。 お姉さんが妹さんに厳しいのは仕方ないです。友達じゃないんですから。 鬱も経験がないし、母親になったことがないのだからどうしても厳しくなってしまうのでしょう。 あまりうるさく言うなら一喝したらどうですか。 この際、家族で気を遣って言えなかったことを話し合ってはどうですか?
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- peacementh
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どうもお久しぶりです。 今回このような結果になり、質問者様ご自身もこれからの暗中模索の日々の不安や、心配の気持ちで辛いことと思われます。 さて、このレベルにもなると、「学校の近くにある医者」と言うだけで実家から外に出るのが嫌になってしまっているかもしれません。 「実家の近くの医者に乗り換えようか?」と持ちかければ二度返事で帰ってくることでしょう。 娘さん本人もせっかくここまで来たのにという無念の思いもあれば、なんとしても卒業しなければ顔向けできないという葛藤をしながらもどうにもならないことがネックとなるでしょう。 休学が必要と判断された場合は思い切ってやめてしまうことをお勧めします。完全に学校と言うものから開放してあげるわけですね。 地元の精神科、あるいは心療内科を改めて探し出し、自立支援というシステムもしっかり踏まえ、腰をすえて向かうことです。また、カウンセリングも必要になるのではないかと思うので、娘さんの中にある「絶対言われては嫌なところ」に関する、質問者様の疑問やなんで?と思う部分、あるいはこうしてもらいたいといった部分を話すには細心の注意が必要です。 そういった「言われては嫌な部分」を克服するのがいわゆるカウンセリングと言うヤツです。まだ医者にかかって間もないので少々先の話ではありますが、これからの社会生活を・・・世間の荒波に耐える力を得るべく、「今のうちに」準備をしておくという寸法です。 早急な対応ができたのは幸いなところです。 そして、質問者様のように少しでも理解を深めようと言う姿勢のある家族がいることは本人にとっては大きなバックアップとなります。 この間に見守る家族にも大きな負担がかかり、不眠や、大きな動揺がしばしば見られる場合は、やはり対応をせねばなりません。
お礼
先回といい、今回も早速の回答ありがとうございます。 本人も実家での療養を望んでいます。 実家を離れて初めて家族が大好きだったことが分かったと話していました。 短大に進学したのも自分のしたいことが決まっていなかったから、とにかく親元を離れて一人暮らしをしたかったのだと思います。 実家には犬が二匹います。地元に帰って動物に関係する仕事がしたいと言い出しています。 地元、家族大好きっ子が地元を離れることが間違っていたんでしょうね。これからも私だけは娘を見守っていきたいと思います。
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お礼
たびたびありがとうございます。 遺書の発見の時はパニックになってしまいました。 今から考えてみるとNO.12さんの仰るとおりだと思います。 私が夜中道路にいる娘に声をかけた時の娘のホッとした表情が忘れられません。本気で死のうと思っていたわけではなく、「私は死ぬ程苦しんでのよ」というメッセージだと思います。手帳も私の目に付きやすいところに置かれていました。 確かに読んだことはハッキリ話してませんし、娘をたたいたりはしていませんが、「どんなことがあっても自分から死んだりしてはいけない、そんなことがあったらお母さんやお父さんがどれだけ苦しむか。。私も生きていけない。○○が一番大切で、生きていてくれるだけでお母さんは嬉しい。だから死ぬことだけは絶対にしないと約束して」と泣きながら訴えました。娘も私達夫婦が遺書を見つけたことを分かっているようで本人も泣きながら約束してくれました。 今回はありませんでしたが、高校時代はよくリストカットもありました。左の腕には今も跡が残っています。 リストカットは死ぬためにやるわけではなく生きるためにやるって聞いた事があります。自己否定や欲求や心が満たされない時、自分を見てほしい・気持ちをわかってほしい時などにやってしまうらしいですね。 今回もこんな気持ちが含まれているんだと理解して、娘とゆっくり寄り添って行きたいと思います。 ありがとうございます。