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クラシックを演奏する悦びとは?
プロ、アマチュアを問わず、クラシックの曲を演奏する人に質問です。現代においては、演奏する曲は大昔の天才が創った(自分ではない、他者の)曲であると思いますが、それを演奏している時は代弁行為になっている様に感じます。どんな所に「悦び」を感じておられるのですか?演奏家の人達の「創造的悦び」の在り方を知りたいので、教えて下さい。
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譜面その物は私にとっては作曲家からの手紙。読み込むと、心象風景が見えてきて面白いです。なんとなくですが、性格が想像できる、気が短いんだなとか、神経質だっただろうね、とか。作曲家に感情移入して演奏する時と、作曲家に恋をして演奏する時って全然違います。お芝居で、全く違う性格の人物を演じるのに似ているかもしれません。一人の人間の心の中を理解する喜びです。その作曲家の視点で物が見られたらいいなって思うし、それを音と言う媒体によって外に出せて気持ちを聞く人に通じればいいって思うけど、すごく難しいです。 それから、馬車の時代の音楽には、そのテンポがあるから、その時代の時間の流れの中に身を置くコトが出来ます。暖炉の時代の温度感とか、時代を飛び越える感じですね。 時代と文化背景と性格が自分と違うから、それをどう解釈するかで苦しくもあり、楽しみでもあります。 私は趣味で演奏するから、深い答えじゃないかも知れませんが、こんな感じです。
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譜面ってのは、あれは「完成品」じゃないんだ。あれは、いわば設計図だ。それをもとに演奏して初めて完成品になる。そうオレは思ってる。 例えば、家の設計図がある。世の中に、「自分の家を建てず、設計図だけ見て喜ぶ人」ってのがいるだろうかね? やっぱり、建てて初めて満足するだろ? 形になって初めて感動できる。まぁ、世の中には譜面を読んで感動するような人たちもたくさんいるだろうが、大半の人は、実際に演奏として聞いてみないとわからない。譜面をもとに、演奏者が演奏して初めて「作品」になる。 設計図を元に家を建てるにしても、建てる大工さんによってぜんぜん違うものになる。演奏だって同じだ。譜面には、最低限のことしか書かれてない。それを演奏して、何度もやっているうちに「ああ、ここはこう弾くんだ」ということがやっとわかってくる。いわば、暗号解読をしているような感じだ。 そうやって、作者が譜面の中に封じ込めた壮大な世界が、次第に見えてくる。それは、やってみたことのある人間でないとわからない。さすが天才たちの作った世界は違う。練習中にはまったくわからなくて「こんなんであってるのか?」と思いながら弾いていたものが、ようやく通して弾けるようになると、「そうか、こうなっていたのか!」と初めてわかることもしょっちゅうだ。いわば、天才たちとの共同作業なんだな。自分のような浅才な人間ではどうがんばっても届かないような高みに、かの天才たちが導いてくれる。彼らと共同で作品を作り出していくことで、見たことのないような高みに上り詰めることができる。自分だけの力では決して到達し得なかった高みまで、な。 自分だけの力じゃ犬小屋しか作れないが、プロの力を借りることですばらしい家を建てることができる。日曜大工で犬小屋を作るのもそれなりに楽しいが、プロの設計士や大工さんと共同で家を建てるのもまったく違った楽しさがある。それぞれに素晴らしい楽しさがある、ってことさ。 むしろ、昨今テレビで流れる曲なんて、他人が作った、レベルの低い曲をただ歌ってるだけ、なんてのが圧倒的でないかね? そっちのほうがはるかに思うんだが。
お礼
しばらくの間、ネットを繋げない環境に居たため、お礼を書き込めるのが遅くなりました。回答番号No.1さん、No.2さん回答くださり、ありがとうございました。多数あるうちのご意見の二つとして、参考にさせて頂き、自分なりの見解を見出すことにします。