その昔、女子大時代の就活として応募した航空会社、当時はCAといえば今と違って憧れの華の職業でした。
容姿端麗で学力優秀、まだそんな時代の高いハードルを思いがけず乗り越えてCAとしての仮採用に採用されました。この仕事こそ、小さい頃から決めていた自分なりの目標だったし、そのために、CAの実績が高い女子大を選んで進学して、それなりの成績を得ていたのです。
でも、その当時、なぜか悲惨な航空機の事故が連続して多発しました。といっても世界中で一日数十万回も離発着しているラインの飛行機、私自身はそれほど深刻には考えませんでした。でも、家族にとっては、それはとても大きな懸念だったようでした。某社のジャンボ機がマニラ沖で謎の空中分解をするに至って、その懸念は猛反対となってついに爆発、両親も兄も、そして親戚からも猛反対の嵐、そして勘当寸前・・・。
そうしてついにCAの道は諦めることに・・・、その代わりにとさる有名企業へコネ付での応募をエサに半ば無理やり諦めさせられたCAの道、折角採用してくださった会社には丁寧に身勝手をお詫びをしたものでしたが、考えてみれば、たとえ勘当されても、初志は貫徹すべきだった・・・と今になって悔やむことしきり。
でも、ただ一度だけ、体験搭乗で身につけた憧れのユニフォームと、海外なのにその日一日でとんぼ返りをするという過酷なまでの搭乗勤務の体験、今ではそれだけがいい思い出になっています。
お礼
ありがとうございます。丁度タイミングが悪くお気の毒でしたね。ご親族の方は危険性をご心配なさった上でのご反対じゃったようですね。確かにあなた様の人生はあなた様がようお知りになっていると思いますのでさぞ無念じゃったと思います。でもものは考えようで、今あなた様がご健在でいられるのもあなたの事を一番よくわかっていらっしゃるご親族のご反対があったからこそではないかとお考えになっても宜しいかと思います。