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いじめられる側の原因って?
よく、いじめはいけないことだって言ってる人に 《いじめられる人にも原因はある》って言う人がいるけど、 いじめられる人側の原因って何なんですか??
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虐められるようなことをしたということでしょうね。 ただ、それは虐める側の言い訳ですから、虐めるための口実でしかない。即ち、自分が責められたときに、どっちもどっちだと言いたいだけです。 ただ、物事の多くは強い者、多数派の倫理で動きますから、強い側が言い訳をしてそれが通ることが多いのも世の中の摂理というところでしょうか?まあ、司法の場にでもその判断が委ねられれば、強者であっても裁かれることがありますけどね。 特に学校や会社、部署など小さな社会で閉鎖性があると法律や倫理だけではなく、その場所を仕切る者や力のあるものの倫理観によって歪められる傾向にあるため、虐められる側があのときこうだったから虐めて当然という考えを正当化して見るようになります。結果的に虐める側にも問題があると虐めたことがある人は言うようになるでしょう。また、虐められている側も、自分があのときこうすればと自分を責めるようになり、自殺や精神疾患に陥ることもあります。 実際のところ、一方的な暴力や暴言になってしまえば、どちらに最初の非があっても既にそれを理由に認められる限度は超えているということになり、虐めた側を問題視するようになります。司法などにそれを委ねるようになれば、企業ならセクハラやパワハラとなり、学校ならば暴行、傷害などの事件として扱われるようになり、被害者に対する問題が上がることは、よほどそれ以前に前科でもなければありません。 本来、問題があるなら喧嘩や性格の不一致などから物別れ(絶交)になるだけで長期的に虐めに発展することはないはずですから、虐められる人の原因というより、虐める側が原因であることの方が圧倒的に多いです。 尚、虐められるとストレスが溜まるため、さらに弱い者を虐める方向に進むケースもあります。即ち、虐めは連鎖する可能性があるのです。いわゆるはけ口として虐められ、それをはき出すために他の人をさらに虐めることも。
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- tinycat19
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1つ、集団というのは絶えず、からかう存在を探しているものだということです。 これを頭に入れていれば、皆より少し変わっている、目立つ、という理由で集団からはじかれれば、いじめの対象になることは容易に理解できるでしょう。 動物に保護色があるように、周囲となじんでいる人間はいじめの対象になりません。周囲から浮いた存在が、いじめのターゲットになりやすいのです。 原因というより、人間関係の緊密さが薄い存在がターゲットになっているだけだと思います。 なるべく周囲とは同調して、一緒に行動するというのも身を守る方法です。
- kisaragi-r
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他の方も書いておられるけど、単純に世間一般で「原因」とされているようなものはあると思います。 でも、それを真に受けて「だからコイツをいじめても構わない」と思い込むバカが多いからイジメがなくならないのです。 そんな「原因」では本来イジメをしていけないのですが、倫理の問題で、バカにはこれが理解出来ないからイジメちゃうんですね。
- disease
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弱い 運動神経が異常に弱い 劣悪な家庭環境で育っている 自分の意見を言えない 自分の意見を押し付ける 太っている 痩せすぎている 頭が悪すぎる
- rikukoro2
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一番の原因は『空気が読めない』 ということだと自分はおもってます
>いじめはいけないことだって言ってる人に 《いじめられる人にも原因はある》って言う人がいる--- 原因があって結果がある、というのは常識ですが、この場合の原因というのは「当人が責任を負うべき(いじめる人間が最初に目を付ける)種を持っている」というような意味でしょうか。 例えば生まれつき身体のどこかが悪かったりしたひとに対するいじめが起こることがありますが、こういった「身体的劣等などの原因」を指しているのではないでしょう。 いじめの原因は多様で、多くの場合微妙なものだろうと推察されますが、パターンとしていえることはいじめ側よりもいじめられ側が圧倒的に弱いということでしょう。いじめ側が相対的により大きい力を持っているということですが、その力というのは未成年の社会では数(人数)の多寡でしょうね。いじめられ側がひとりぼっちで孤立している場合が多いのではないでしょうか。 孤立の原因も多様でしょうが、好んでひとりぼっちになりたい傾向のひと、社交性に欠けるひと、そういったひとが社交性を積極的に身につける努力をしなかったからいじめにあったのだ、といわれるケースが考えられますね。 もちろんこんなケースだって、いじめられ側が好んでそんな立場を保持しているケースは少ないでしょうし、だからいじめられ側も応分の責任を負わねばならないと一概に言うことは出来ないと思います。 もっと総括して、弱いからいじめにあったのだ、強くなれ、と諭すことは場合によってはナンセンスではないと思います。 強者がますます強くなるのは世の自然な流れといえますが、弱者が強くなるのは一般に非常に難しいことですが。
- horahuki-dondon
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自分自身が「イラッと」来るような言動を見聞きした時の突発的な感情など、 いじめる側の言い分や、第三者的な発想であり、列挙すればキリがありません。
- kasumimama
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そんな簡単に答えられる質問ではないです。 ひとりひとりいじめられる原因なんてバラバラです。 本当に性格が悪い人もいれば 性格は悪くもないのに、ただいじめたくなる人だっている 容姿が悪い人。容姿が悪くたってとっても笑顔で愛嬌がある人はいじめられない人だっている。 だからいいじめられる方にも原因があるって言われるのだと思います。 いくら可愛くたって気に障るような態度が目に余るなど。 目立ちたがりも根暗もどっちも原因のひとつ。でもそれでもいじめられない人いじめられる人どちらもある。 原因なんて本当にいっぱいある。 いじめる人が一番悪い。でも原因がないのにいじめることはない。 つまらない原因でもいじめる側にとってはそれがおもしろかったり うっとおしかったり原因があると言うことで 原因があると言う事がすべて悪い原因とは限らないと言う事です。 いじめていない人にとっては別にそんな事でいじめなくてもなんていう つまらない理由だってある。 原因=悪いところがある と結びつける事はありません。