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胸腺癌の代替医療
胸腺癌の肺転移で、化学療法も効かないことから、緩和ケアを待つ身ですが、このまま、何もできないなんて、さみしいじゃありませんか。 今は元気に仕事にもいけている状態なので、免疫療法はじめ代替療法で効果があったよ~という経験をお持ちの方は教えてください。
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- lovecocoro
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どういう治療を選択するにせよ根本的には、病を治すのは本人であり、また治せる力を持っているのも本人だと思います。栄養剤や薬、各種治療法もしくは医療者は、その補助役であり、決して誰かの病を代わりに根本から治してくれるものではないという実物の目を持って(患者側も医療側も)取り組んでいくことが、大切だと思います。病は闘うものではなく、学ぶものではないでしょうか。
- 参考URL:
- http://www.greenrainbow.jp/
- kaoruko2006
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早くにお礼コメントを頂き有難うございます。 まずは、コメントの中のご質問から・・・ ■肺への転移 先にも書きましたが、兄は最初のオペで浸潤が見られた左肺を全摘出しております。 ■モルヒネについて lip8123さんも大きな傷跡があると思いますが、兄も3本あります。 どうしても、骨を削っている部分他鈍痛はオペ後ずっとあるそうです。 一昨年より、鈍痛以外の痛みもあり経口(飲む)モルヒネを服用しています。 注射や貼るタイプもあるようですが、まずは経口から始まるのが通常のようです。 量は徐々に増えていきます。 先月から量を増やしました。兄は、午前・午後12時で服用しています。 12時間毎に40mg=80mg/日 ⇒ 12時間毎に60mg=120mg/日 *上記のように増やしても、時折冷汗をかくほどの痛みがあったことがあり 緊急用として10mg×4錠を一日分として処方されています。 兄は痛みを嫌い、12時間毎の通常モルヒネの合間で服用しています。 なので、一日の摂取量は160mgになります。 モルヒネは青天井の医療麻薬であり、効くまで量を増やせるようです。 聞く所、同じ主治医の別の癌患者が現在8,000mg/日で通常生活を送っているようです。 副作用に車の運転禁止とありますが、意識がもうろうということもなく普通です。 ただ、事故を起こした場合は飲酒運転同様自動車保険は下りないようです。 兄は、今モルヒネの最大の副作用である便秘に神経質で・・・。 女性と違い、男性は便秘に神経質になるようです。 便秘には便秘薬、 プルセニド毎食2錠ずつ 寝る前に下剤(液状薬)ラキソベロンを40滴服用しています。 主治医曰く、所詮便秘は薬を飲めば最低でも最高でも下痢止まりと気にしません。 貼るタイプは副作用の便秘が軽いらしいので希望しましたが、現在痛み止めでボルタレンも服用中。 薬量の摂取量も湿度体調によって左右されると飲めるうちは経口でと言われています。 まずは経口からスタートみたいですね。 ■再発後の変化 再発前は、髪もフサフサに戻り顔色も体格もそれなりに戻りました。 再発後は、やはり痛みが一番違うと思います。 食事量も減りました、現在168センチ53キロほどです。 髪も薄くなりました。頬もこけたので人相も変わりました。 我が兄は、現在子供も自立して単身でおります。 単身なので食事も進まないのかと、目先を変え届けたりしております。 現在は歩く速度も遅くなったと本人が申しております。 食事は元気な頃の3分の1ほどですね。 ■今後について 兄は役職定年をしておりますので、行けるだけ嘱託で仕事を続けるようです。 家族としては無理をしないという約束で行かせています。 気に入った車を買い、短距離ですが寒い時期だけでもと車通勤です。 本当はいけないですが、モルヒネ服用者でも皆さん運転してます。 単身であるために、ホスピスの手続きを済ませております。 限度額認定証なるものも申請して持っております。 本人は、もう長い時間は要らないと言いますが明らかに悪化しています。 最初のオペ時より転移もあり、場所も良くなかったので、ソノ時点で 本人は覚悟をつけているようです。 あまりイイお話でなくて申し訳ありませんが、 今も普通にお食事が摂れてモルヒネ摂取もないと言うとまだまだお元気ですね。 我が兄は、だいぶ先を歩いているように思います。 時々覗かせていただきます。兄の事が僅かでも参考になれば何でも聞いて下さい。 ネットで調べても本当に情報が少ない癌ですね。 山本議員は本当に早い死が衝撃的でした。きっとかなりの末期だったと思います。 どうぞ、今を大事にご家族と楽しい時間をお過ごし下さい。
- kaoruko2006
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はじめまして、胸腺癌(58歳)の兄を持つ妹です。 兄は2005年8月にステージIII-Bでオペを致しました。 やはり自覚症状はそれほどなく、若干の胸の違和感と健診後の精密検査で判明。 腫瘍の大きさはガチョウの卵程との説明で7センチ位でした。 やはり、顔つきの悪い癌細胞との事で、5年生存率30%との説明でした。 10時間予定のオペは18時間かかり、予定通り左肺・胸膜他 浸潤の見られる部分は骨まで削るように取りました。 しかしオペ後、必ず再発があると言われました。 当初オペ後4クールの化学療法が予定されていました。 使用薬は記憶が確かであれば、 (1)シスプラチン (2)アドリアマイシン (3)オンコビン (4)エンドキサンです。 副作用(全身の痒み、脱毛、手足ツメ全部剥がれ、全く無味の味覚障害)に耐え切れず 2クールで終了。放射線に切り替え計36回照射しました。 味覚障害は、地道な薄味食摂取と亜鉛をサプリで摂り奇跡的に半年かけて治りました。 虎ノ門耳鼻科で治る見込みなしと言われましたが味覚障害は完全に戻りました。 体重はオペ前82キロ⇒50キロに減少。味覚障害完治で62キロまで戻る。 2007年10月再発、東京築地ガンセンターと愛媛の四国ガンセンターでセカンドオピニオン。 結果は変わらず、研究対象になるだけの症例数がなく薬がないと・・・。 免疫療法も持ちかけましたが、癌細胞の方が進化して追いつかないとの見解に断念。 抗癌剤を4種から2種に減らして再度挑戦!以前の肺がん用のモノではなく乳がん用に変える。 タキセル系を使いました。パクリタキセル・シスプラチン2クールで効果見られず中止しました。 現在治療は行っておらず(本人の希望です)仕事=事務職には行っておりますが、 2008年10月より経口モルヒネを服用、便秘に苦しみながら現在モルヒネ120mg/日服用中です。 進行は遅く、再発当初検査データから余命2年以内で3年はないと東京・四国で言われました。 現主治医は名言を避けておりますが、5年と口にする事もあるくらいでデータ無いので分からないと いうのが本音のようです。 私が免疫療法で興味を持ったのは、オペの際に癌組織を保存しておきソノ癌細胞専用の 免疫対策なりワクチンを作るというものでした 我が兄の癌組織は病理に出しただけで廃棄してしまったのでソレだけは悔やまれます。 ドクターが癌細胞の顔つきと言うように、オーダーメイドで免疫対策を考えられるのが 最良かもしれません。アガリクス茸他試しましたが、我が兄は家族の思いも他所に治療に 疲れてしまい、人間らしく終わりたいと今後治療は望んでいません。 皆さんのように、まずは食事が摂れて体力があるうちは色々チャレンジしてほしいです。 参考にはならないかも知れませんが、症例数のとにかく少ない稀有の癌です。 兄の辿った治療法、薬名他が少しでも皆さんのデータになればと思い書かせて頂きました。
お礼
詳しい情報ありがとうございます。 私と初期症状、ステージ、手術内容、2年後の再発転移と近いですね。 手術に12時間、胸骨ごと切除、抗癌剤は術前にシスプラチンとドセタキセルを2クール、 放射線40グレイ併用し、術後の抗癌剤は体力の回復を優先して投与しませんでした。 きっと、術後に抗癌剤を投与していても、転移の発見が少し遅いだけだったかもしれません。 その分、職場復帰が早くできたことを良しとしています。 再発後の余命告知に少しあわてましたが、 稀有な癌には代替医療も決めてなしとわかり、 癌の個人差を見極めることにしました。 再発後は、腫瘍の増殖速度をCTで経過観察しており、 今で1年間、抗癌剤を投与することなく過ごしています。 今後、肺内腫瘍が大きくなれば、パクリタキセルを予定しています。 とにかく、入院治療生活より普段どおりに生活できる状態を長く保つことを優先しており、 これも、主治医の方針です。 一方、故・山本参議院議員の胸腺癌の進行は、速かったですね。 私の場合、幸いにもまだ内臓への転移はなく、 食事も普通に摂れることが救いです。 暇を見つけては、家族と旅行の思い出作りに励んでいます。 まさに、いただいたアドバイスどおり過ごしていることをこれでいいと確信しました。 5年生存率30%のクリアーが当面の目標です。 心強いメールに感謝します。 お兄さんは、肺に転移されているのでしょうか。 モルヒネを打たないといけないほど痛みがあるのですか? 息苦しいとか? 再発後は、体調に急激な変化がおありだったのでしょうか?
- ykt3n
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だいぶ間が空いてしまってすいません(^_^;) 石灰化していることに対しての事ですが、癌腫瘍の中心部あたりに何箇所か石灰化している所があるらしいです。癌腫瘍が出来てからかなりの年月が経っていると石灰化する事があるらしいのですが、はっきりした事は聞いてません。 このまま癌腫瘍が大きくなっていくと心臓や肺を圧迫していき心不全・呼吸困難・体のマヒ等になってしまい、この世とオサラバになってしまう可能性が高いみたいです(-_-;) はっきりとした答えもなくスイマセン。 こちらは32歳です。
お礼
私などこの歳なら贅沢いえませんね。 それにしても、胸腺自体、幼少時代の免疫機能を終えて退化することを考えれば、随分早い時期に発症したものですね。 しかし、転移がないことは救いかも・・? 一般的に、原発ガンより転移ガンが致命的な要因となるといいますから。 「転移しないすむなら、現状維持のまま石灰化してくれればいいのに・・」とも思います。 抗がん剤も、投与して3cmでも小さくなるということは、反応するということですから、剤の選択はよかったのかも・・? いろんな抗がん剤を試しながら、有効性を確認していくことになるのでしょうね。 その際も、通院外来で投与できたら、入院しなくて済むのに・・と思います。 お互いに! また、試された抗がん剤の種類とその奏効性について教えてください。 私も、12月の検査では一回り大きくなった程度で、抗がん剤投与は3ヶ月先の検査まで見送りになりました。 正月を自宅で迎えられそうです。
- ykt3n
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こんにちは。 転移は幸いなことに無いです。 心臓近くの血管や心臓に浸潤しているかもしれないとの言われましたが、大きすぎてはっきりとはわからないみたいです(-_-;) ただ心臓・肺をかなり圧迫していて、息が上がりやすいみたいですが実感はないですね(^_^;) 入院は副作用対策のためにしていますが、昨日なんとか退院しました。 今回の薬は効いているのかがまだハッキリわからない(また1cmほど巨大化していた)のでもう一度打ってから検討するとのことです。 薬が変わればまた入院しないといけないので、効いていてくれることを願っています☆ 白血球は全然問題ないです! とりあえず年内は家に居れるのでゆっくり年末年始を迎えます(^_^)v もお入院はいやですねぇ
お礼
退院出来てよかったですね。 年末年始は家で迎えられて・・・ 私も今月中旬の検査が不安です。 3ヶ月の定期検査の結果をみながらの治療方針ですから! いつも、こちらから聞いてばかりで申し訳ありません。 転移はないとのことですが、胸腺癌でも比較的局所に留まってくれるタイプ(これも、個人差でしょうが・・)かもしれませんね。 石灰化するって、どのような状態になっているのですか? 今後、巨大化すると、どのような変化が考えられるのですか? まだ、お若いようですが、私は、55歳(発症は53歳)です。
- ykt3n
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おはようございます。 自覚症状は息苦しいとかはたまにあったのですが、元々喘息がありそれかなっと思っていたくらいでした。 寝ていた時に体の痺れと呼吸困難になり救急病院に行き初めてわかりました(-_-;) かなり前から出来ていたらしく一部石灰化しているところもあるみたいです。 現在は体調の変化や不都合などはないのですが、病院が退屈でヒマ疲れしています。 早く家に帰りたいですねぇ。
お礼
なるほど、呼吸困難でしたか。 23センチの腫瘍は、どの範囲まで浸潤していたのですか? 肺、心臓血管は? 胸骨には食い込んでませんでしたか? 胸腺以外に転移はないのですか? 石灰化していると、抗がん剤も効きにくいのでしょうか。 入院は、抗がん剤の副作用対策のためですか? 白血球が低下しているとか・・・ 早くいゑに帰れたら、いいのにね。
- ykt3n
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おはようございます。 朝早くからすいません(^_^;) 以前使った抗がん剤の名前は覚えていないのですが、2種類合わせたのを使っていました。 今回はトポテシンというのを使っています。以前の抗がん剤は月1投与でしたが今回は週1の投与です。 以前の抗がん剤に比べ副作用はかなり楽ですが、やっぱり2~3日は吐き気等でダルイですね。 大きさは今年3月の時は23cmくらいで、6月の時には20cmくらいになったのですがまた23cmと元に戻ってしましました。 今週で1クール終わるので後は外来で投与出来るよう担当医を説得中です! 病院より外で過ごしたほうが気分が全然違いますもんね☆ 頑張って行きましょうね♪
お礼
こんばんわ 朝ご回答いただいたのに、お返事が夜になりました。 ごめんなさい。 胸腺癌は珍しいから、コレが決め手という抗がん剤はなさそうです。 そもそも、固形ガンに対する抗がん剤の効き目は高くないですもんね。 いろんな抗がん剤を試しながら、自分のガンに対する奏効性を試すしかありません。 お互い、情報交換しながら、少しでも効果のある剤を探しましょうね。情報交換よろしくお願いします。 トポテシンって“イリノテカン”ですよね。 注射投与ですから、通院できたらいいですね。 大切な時間は、病院のベッドで過ごすより、家がいいです! 私もその持論です。
補足
追伸 20cm以上でも、自覚症状はなかったのでしょうか? 私は、胸骨のあたりがピンポイントに痛みを感じた程度 X線ではわからず、CTで胸骨の裏に隠れている腫瘍が発見できました。 現在も体調の変化や不都合はないのですか? 私は抗がん剤の副作用の間と術後を除けば、ほぼ普段どおりの生活ができています。
- ykt3n
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はじめまして。 僕も今年の3月に胸腺癌と診断されました。 癌細胞の大きさは20cm以上あり心臓や肺をかなり圧迫している状態だと言われ手術や放射線は出来ず、化学治療を今行っております。 3月から6月まで入院し、癌細胞も少し小さくなりいったんは退院したのですが、また大きく育ってしまい只今入院中です。 普通に元気に過ごしている状態なので、病院生活は退屈です。 見た目は普通の人より元気が良いくらいです。 最初に癌と聞いた時は正直目の前が真っ暗になり隠れて泣きましたが、 暗く落ち込んでもしょうがないので笑って過ごすように心掛けています。 病は気からですよ! 質問に対して何の回答もなくすいません。
お礼
いえいえ、ご回答ありがとうございます。 20センチとは、驚き! 全摘できないぐらい、周囲に浸潤・圧迫してたのでしょうね。 私も8cmあり、胸骨浸潤、心臓と動脈に癒着していたので、手術も危ぶまれたのですが、抗がん剤を2クール(H18.12~H19.1)やると、一回り小さくなり、心臓との隙間ができたので、摘出(H19.2)しました。しかし、胸骨(皮膚付)ごと右肺の一部も切除、人工血管置換して、背中の肉で胸をカバーするため、体内移動させて形成移植しました。傷跡はすごいよ。 それから、2年後の多発性肺転移です。もう、摘出はできないので、抗がん剤投与のタイミングだけです。 抗がん剤は何を使われましたか?20センチがどれぐらい小さくなり、数ヵ月後には、どの程度まで大きくなったのですか? 私は、シスプラチンとドセタキセルです。 今は、入院中とのことですが、私も元気さでは人にまけてませんでしたよ。同じガンでも、食事は普段どおり摂れて、痩せることもなかったから、その点では有難いと思いました。今もそうです。 普段どおりの生活ができることを一番の幸せと思い、毎日、仕事に行ってます。一緒にボチボチやりましょうね。
- -amy-
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私は今年の6月に祖母をC型胸腺癌(享年70)で亡くしました。 実体験ではありませんし、参考になるようなことは何もないかもしれませんが、どうしても他人事と思えなくて書かせて頂きました。 祖母は、昨年9月に一か月にわたる検査の結果、C型胸腺癌と診断を受け、余命は持って3か月とのことでした。 なぜそれほど進行するまで気付かなかったかというと、一度も痛みや体の不調を訴えたことがなかったからなのです。 今思い返せば、一人暮らしの上、軽い脳梗塞が影響していたのではないかと思いますが、最後まで痛いと訴えることはなく、原因も突き止められませんでした。 お世話になっていたヘルパーさんが元看護士の方で、この方が腹部にできた腫瘍に気づき、病院へ連れて行ってくださったと母から聞いています。 弱った心臓に高血圧を持っており、リンパ、骨、脳や他、全身のあらゆる部位・臓器に転移し、手の施しようがありませんでした。 年を重ねてから遊びを覚え、大酒飲みで煙草も多く、誰の言葉も「やかましい!」と聞き入れなかった人なので、それも拍車をかけたのかもしれません。 効果的な治療法はなく、即ホスピスでした。 元々食が細く、少なかった体重は25キロにまで落ち、強力な治療に体が耐えられず、かえって命を削ってしまうということで、治療よりも体力をつけることを優先していました。 体力さえあれば・・・予後は変わっていたかも知れません。 入退院を繰り返し、余命3か月と聞いてから、主治医と話すたびに「今月を越せるか・・・」という厳しい日々でしたが、それでも診断から10か月を生きました。 最後は徐々に血中の酸素濃度が下がり、老衰のように眠りました。 治療らしい治療といえば、本来胃がん治療に用いるTS-1を試していました。痛みが出た時はモルヒネで痛みを除くことになっていました。祖母の体力を考慮すれば、これが精一杯だったそうです。 質問主様の知りたい情報でもないことを書き、お気持ちを逆なでするようでしたらごめんなさい。 ですが、稀な症例の胸腺癌で身内を亡くした一人として、少しでも状態がよくなられることを、心の底からから願っております。 投げやりだった祖母とは違い、ここの皆さんには、癌などには負けまい!というお気持ちを感じます。 どうか、どうか、回復されることを祈っております。 長文失礼しました。
お礼
ご回答ありがとうございます。 おばあさまのご冥福をお祈りいたします。 質問した当時は、あがいている自分がいましたが、今では、読んでくれている人がいることが、自分にとって生きている証です。 再手術を断念した4月以降、3ヶ月ごとにCTで増大状態を確認しています。多発性の肺内腫瘍は順調に大きくなっています!! 慌てない!慌てない! 当初は、免疫療法や代替療法も自分で調べたり、そのことを主治医とよく話しました。診察日には2時間ぐらい話したこともあったかな。 結論は、バタバタしないことに!! 入院生活より日常生活を優先する方針から、無治療で過ごしています。 もう少し、大きくなったら、抗がん剤をドカンと打つことになるでしょう。 そうなると、仕事も遊びも思うように出来なくなるでしょうから、今は家族旅行で思い出づくりに精を出しています。 国内に海外に・・・アルバムにコメントを入れて、我ながらいい出来だ。これを見ながら、あの頃は元気やったな~と言ってくれるでしょう。 こんな感じで、回復は無理としても「いい状態を長く保ちたい」と思っています。 頑張らないけど、あきらめない!!
- 2008usagi
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葉状腫瘍は肉腫の一種なのだそうです。珍しい病気ですが、そのほとんどが良性で悪性のものは、ごく稀だといわれています。私は始めて手術をした時に”相当、顔つきの悪いもの”と告げられており、その時はピンときませんでしたが今となっては、こういう展開が予想されていたのだろうと思い知らされています。発症から3人の医師にお世話になりましたが、どの先生もこの病気のことを良く知らなかったので今に至っており解らないなら、もっと早くに他の医師に回してもらえたら違う人生があっただろうに・・・なんて思ったりしています。でも今更~なので、やっと出会えたお医者様を信じて、これからに期待を持って頑張っていきます!お互いに難しい病気になってしまった者同士、情報交換をして励ましあえればいいな~と思います。
お礼
本当にそうですね。細胞の顔の悪さは私も言われました。このことが、今になって、現在の化学療法では効かないこと、細胞の増殖が速いことが致命的であることがわかってきました。 患者の気持ちをわかってくれる医者とめぐり合えることは、大切であり、また、難しいことでもあります。 その隙間を患者同士の共感が埋めてくれるような気がします。 私も、免疫療法、WT1ペプチドワクチン、大学の治験など話を聞いてみようと思います。 腫瘍マーカーに反応しない私の胸腺癌には、免疫療法は難しいかも? WT1ペプチドも胸腺癌のタンパク質を対象としているのか? いろんな観点から、調べたいと思います。 ただ、緩和ケアを待つだけでは、自分がかわいそうな気がしますよね。 せめて、納得しないとね。よろしくお願いします。
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お礼
早速に、ご丁寧なご回答ありがとうございます。 本当に情報が少ないんですよね。 先生も「胸腺腫はあるが、胸腺癌の患者は10年に1人ぐらいだね。」 本当に、標準治療といえる決め手もないようですね。 学会発表で一番多く使用される抗がん剤が、標準治療というところですか。 比較するには、それしかないのでしょうね。 癌には個人差があるように、抗がん剤の奏効性も個人差がありますから・・・ まず、使用してみないと効果の程はわからないのでしょうね。 そのような中で、情報の少ない癌には、経験者のお話が一番薬にたちます。 左肺の全摘だったんですね。一部摘出かと思っていました。 全摘されるぐらいですから、かなり浸潤していたのでしょうね。 右肺は大丈夫ですか。 片肺では、肺活量もかなり落ちておられるのでしょうね。 私の切除範囲は右肺の上葉一部でしたから、 肺活量は、3,000cc程度はキープしていまが、 少し小走りすると胸がグッと詰まってしまいます。 でも、あえて体を動かすように頑張っています。散歩、散歩・・・ 私は2006年12月発症確認、2007年2月全摘OPE、2009年2月再発 私より1年早いようですね。 私もまだ3年はいけそうな気がしてきました。 お互い、ボチボチとやりましょうね。 来週は、家族と温泉に行ってきます。