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自殺既遂と未遂
自殺行為をし、死んでしまうか否か、違いが出るのはなぜでしょうか。 私が、考え付くのは、自殺している途中で苦しくなって自ら行為を止めた やり方・準備が不十分だった 死ぬ覚悟の強さの違い・・・位です。 自殺者が多い世の中なので、ふとそんな事を考えてしまいました。 逝ってしまう人、残る人の違いが他にもあれば、教えてもらいたいです。
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お邪魔します。^^ 1)途中で断念。 2)方法/準備が不十分。 3)死ぬ覚悟の強さの違い そんな感じでしょうか。。。 3)についてちょっと思う所があります。 既遂と未遂の違いは *既遂=覚悟が強い *未遂=覚悟が弱い/不十分。 と捉えがちですが、私は逆ではないか?と考えています。 つまり、 「覚悟が強ければ強い程」未遂率は上がるのではないか?。。。と。 覚悟が強い、と言う事は考えに考え、熟考の末の結果の筈。 それは視点を変えてみれば「迷いのるつぼ」でもあると思うのです。 そして、既遂のケースは実は、 覚悟も何も無くフラッと突発的に実行に移す事が多いのではないか?と。 突発的であるが故に衝動的/強引/強烈な意志が伴っているように感じます。 死んじゃおうかな。。。?と「考えている」うちは生物は死ねないように思います。 普段の健康な生活の中では、生と死の間には大きな大きな格差と言うか、段差がありますよね? 生きている状態と死んでいる状態に「違い」を感受出来るうちは、生物として体内の命が死を拒みます。 生と死の段差が縮まる時があります。 例えば、 長く生きて天寿を全うする頃、 生まれたばかりの自意識のはっきりしない状態、 様々な要因で抱えている苦しさが生命の許容量を超え、生命エネルギーが枯渇している時。。。等だと思います。 最後の場合が自殺に向かっていくと思われます。 この状態の時(生命エネルギーの枯渇状態)は、生の状態と死の状態に「違い」を感受出来なくなります。 生命にとって「大きな違い/乗り越えられない段差」の筈が「地続き」に感じられるのです。この足を少し持ち上げて一歩普段通りに踏み出すだけで「死の側に行ける」。。。当たり前に続いている道の先、と言う感覚です。 「清水の舞台から飛び降りるような。。。」と言う比喩があります。 あの目もくらむような清水の欄干の外側。。。あの欄干の外がそのまま普通の庭園だと想像する感じでしょうか。。。 清水の舞台から飛び降りる「覚悟」は、あの高さだから必要なのです。 そしてその高さを感受出来るのは「健康な生命体」です。 「生命エネルギーの枯渇状態」では、欄干の外は地続きの庭園。 下手したら、欄干さえ感受していないかも知れません。 そうしたら「覚悟なんて必要ない」でしょう? あとは、「その突発的瞬間」に目の前に偶然あった「手段の致死率の差」で決まると思います。 。。。んで、生き残ってしまいました、私。^^ 参考になりますでしょうか? あーーー暗い話、しちゃった♪
お礼
じっくり読まさせてもらいました。参考になりました。ご回答ありがとうございます。